2020, June

『ピエロのワルツ』のこと。

ひょん | カルチャー 映画・音楽
DATEJun 15. 20


 葡萄畑というバンドででアルバムを出したのは1974年だった。「ザ・バンド」のような音楽をやるつもりだった。でも売れなかった。「売れたい」という気がなかったし、なにより下手だったからしかたがない。売れなくても、自分たちがやりたいことをやるんだ、みたいなことを言って、いつもマネージャーを困らせていた。つまり気分はカウンター・カルチャーだった。そこんところを「なかなか気概がある」と事務所側が勘違いして2枚目のアルバムを出そうということになったのだろう。その前にシングル盤を出すので、それ向きの曲を作ってくれとも言われた。

 困った。アルバムからカットするのではなく、シングル盤だけをつくるのは、そもそもヒット狙いに決まっているが、歌詩はぼくの担当だ。シングル向けの詞なんて書けなかった。「愛」や「人生」という言葉は気恥ずかしくて使うことはできない相談だもの。毎晩、下宿の部屋でもんもんとした。それでもなんとか書いてみた。そして、「愛」は使わなかったが、「人生」は使ってしまった。

 タイトルは『ピエロのワルツ』。新宿の3番館で見た映画『気狂いピエロ』と『フェリーニの道化師』が頭のなかをぐるぐる回っていたせいなのか。『気狂いピエロ』から「愛」の残酷さを、そして『フェリーニの道化師』から「道化師は貴族だ」という、ふたつのテーゼみたいなことを自分なりにまぜこぜにしてみたかったのだろう。

 当時付き合っていたJunちゃんは、出会った時から名前も仕事も年齢も偽っていた。モデルをしているとか言っていたが、実際は広尾にある日赤医療センターの電話オペレーターで、たまにモデルをしてはいたが、実はヌードだった。一度だけ仕事の打ち合わせに付いてきてほしいといわれて銀座の喫茶店でカメラマンと会った。「きみはジョン・レノン好きなの、じゃ彼女と一緒に写ってみない?」と言われたが、断った。ジョンとヨーコの全裸のポートレイトが話題になっていた頃だ。名刺には荒木経惟とあった。
 
 新宿駅東口の芝生ではフーテン達がビニール袋をスースー吸っていた。「みんな宇宙人みたい」がJunちゃんの口癖だった。オカッパの髪は金髪で、ひっきりなしにたばこを吸っていた。東京だと言っていたが、本当は新潟の出身で、二人姉妹の下で、亡くなったお父さんは小さな神社の宮司だった。

 『ピエロのワルツ』のデモテープをポリドールのバカ広いスタジオで録音したけど、なんだかしっくりこない。メンバーの青ちゃんが付けてくれたメロディーはセンチメンタルでぜんぜん悪くないのだが、アレンジが弱い。シングルなので、もっとなにかが欲しいということだったか、矢野顕子さんの旦那だった矢野誠さんにアレンジを頼んだのだが、彼はアメリカに行っていて実現しなかった。曲はそのままお蔵入りになって、ぼくらもそのことを忘れてしまった。

 そんなこんなを、なぜくだくだ書くのかというと、去年、青ちゃんが『ピエロのワルツ』をやり直してみたいと電話してきたからだ。かれは”絶滅危惧種”として、今でも葡萄畑をしつこく背負ってくれているので、ノーとは言えない。というか、嬉しかった。

 アレンジはアコースティックにして、レナード・コーエンがシャンソンを唄うってなカンジだという。そして青ちゃんはそれを去年の年末のライブで唄ったのだ。送ってくれたライブの動画を観て、ぼくは泣いてしまった。初めていい曲だと思ったからだ。
 それはこんなふうなヴァース(歌の前語りの部分)で始まっている。
     学校で習ったはずさ この世は大きなサーカス小屋だって
     木戸銭払って観ているよりは 仲間に入ってみる気はないか。
 ぼくはまだ知らない「人生」を歌おうとした。自分の人生に、そんなに良いことが待っているとは思えなかったが、やってみるしかなかった。
 
 余計な後日談がある。何年か経ってバンドをやめ、ぼくは福岡に戻って中古車屋でアルバイトをしていた。昼休みに近くの本屋で週刊誌を立ち読みしているとグラビアに荒木経惟のヌード写真が何ページか載っていた。そのなかの一枚にJunちゃんの姿があった。あわてて閉じた。
武末充敏

犬とサイレン

ひょん | 社会科
DATEJun 5. 20


 ミル(うちの犬)を朝の散歩に連れてゆくようになったのは、朋子が足を骨折してからだ。それまでは、いつも彼女の役割であり、というより、おおいなる楽しみでもあっただろうに、皮肉にも散歩の最中にリードを自分の足に絡ませ、突然疾走したミルのせいで転倒し足首を折ってしまったのだ。即手術となり、入院は2週間に及んだ。その間、散歩の役目は誰あろう、僕しかいなかったのだ。
 父が犬好きだったから、一時はコリー2匹、ポメラニアン1匹を飼っていた。散歩はほぼ僕の役目だった。だから犬は身近な存在だったし、猫より犬派だったのだが、それはそれ。大人になってからは、自分で「犬持ち」になる気はなかった。まあ、朋子さんの、犬に限らず動物大好きな気持ちを汲んでという感じで、ミルで3代目となる「犬ぐるみ生活」を続けてきたわけだ。そんなわけで、僕は久々の散歩デビューを果たさざるを得なくなった。
 ミルはいちおう訓練を受けていたし、朋子の優しく、それなりに厳しい日頃の散歩とはちがう、僕の手抜き散歩もまあ順調に始まった。そうしたら、あっという間にミルと僕はなかなかの仲になった。それまでの、一家のヌシに対するなんとなくな従順ぶりとは違い、気持ちが入った目でジーッと僕の目を見て離さない。これにはまいった。段々と散歩の距離も長くなり、ボール投げにも熱が入ってくる。もちろん日によってはおっくうで仕方なかったりするのだが、一旦外へ出て、ぴったり左に付く彼と長い坂道を登っていると思いのほか気持ちがいいし、運動にもなるので、朋子が退院してからも朝の散歩はつづいている。
 そんなある日というか、今朝のこと。いつもの交差点で信号待ちをしていたら、遠くからサイレンの音が聞こえる。パトカーだ。犬が一番キライなやつだ。やばいなーと思うまもなく、サイレンの音が大きくなるにつれて、案の定ヒーヒー言い出す。パトカーが目の前を通る段になると、ついにウォーウォーのオオカミの遠吠えというか、雄叫びに変わってしまった。一体全体、彼ら一般に通じるこの同調的自己表現は何なんだろうと思わざるを得なかった。
 コロナ禍になってこのかた、以前に比べてパトカーや救急車のサイレンが多くなったのは気のせいなのだろうか。住んでいるところがけっこう町中のせいなのか。田舎ではそれほどではないのか。わからない。ただ、犬でなくとも、この種のエマージェンシー音は、いやなものだ。直感的に不穏なものを感じてしまう。コロナ下での同調圧力に同じように不穏なものを感じるというのは大げさな言い方なのだろうか。なにか自分がビクビクしている気がしてしまう。政治家が「コロナとの戦い」などと言っている。そういえば、これも都会の端に住んでいるせいなのか、日頃からヘリコプターが飛んでいることがある。戦時を思わせるヘリコプターのプロペラ音は独特で、遠くからだんだんこっちへ向かってくるとゾワゾワする。空中からだから、逃げ場もないし遠吠えしても届きそうにない。ヘリコプターとドローンは嫌いだ。