社会科

犬とサイレン

ひょん | 社会科
DATEJun 5. 20


 ミル(うちの犬)を朝の散歩に連れてゆくようになったのは、朋子が足を骨折してからだ。それまでは、いつも彼女の役割であり、というより、おおいなる楽しみでもあっただろうに、皮肉にも散歩の最中にリードを自分の足に絡ませ、突然疾走したミルのせいで転倒し足首を折ってしまったのだ。即手術となり、入院は2週間に及んだ。その間、散歩の役目は誰あろう、僕しかいなかったのだ。
 父が犬好きだったから、一時はコリー2匹、ポメラニアン1匹を飼っていた。散歩はほぼ僕の役目だった。だから犬は身近な存在だったし、猫より犬派だったのだが、それはそれ。大人になってからは、自分で「犬持ち」になる気はなかった。まあ、朋子さんの、犬に限らず動物大好きな気持ちを汲んでという感じで、ミルで3代目となる「犬ぐるみ生活」を続けてきたわけだ。そんなわけで、僕は久々の散歩デビューを果たさざるを得なくなった。
 ミルはいちおう訓練を受けていたし、朋子の優しく、それなりに厳しい日頃の散歩とはちがう、僕の手抜き散歩もまあ順調に始まった。そうしたら、あっという間にミルと僕はなかなかの仲になった。それまでの、一家のヌシに対するなんとなくな従順ぶりとは違い、気持ちが入った目でジーッと僕の目を見て離さない。これにはまいった。段々と散歩の距離も長くなり、ボール投げにも熱が入ってくる。もちろん日によってはおっくうで仕方なかったりするのだが、一旦外へ出て、ぴったり左に付く彼と長い坂道を登っていると思いのほか気持ちがいいし、運動にもなるので、朋子が退院してからも朝の散歩はつづいている。
 そんなある日というか、今朝のこと。いつもの交差点で信号待ちをしていたら、遠くからサイレンの音が聞こえる。パトカーだ。犬が一番キライなやつだ。やばいなーと思うまもなく、サイレンの音が大きくなるにつれて、案の定ヒーヒー言い出す。パトカーが目の前を通る段になると、ついにウォーウォーのオオカミの遠吠えというか、雄叫びに変わってしまった。一体全体、彼ら一般に通じるこの同調的自己表現は何なんだろうと思わざるを得なかった。
 コロナ禍になってこのかた、以前に比べてパトカーや救急車のサイレンが多くなったのは気のせいなのだろうか。住んでいるところがけっこう町中のせいなのか。田舎ではそれほどではないのか。わからない。ただ、犬でなくとも、この種のエマージェンシー音は、いやなものだ。直感的に不穏なものを感じてしまう。コロナ下での同調圧力に同じように不穏なものを感じるというのは大げさな言い方なのだろうか。なにか自分がビクビクしている気がしてしまう。政治家が「コロナとの戦い」などと言っている。そういえば、これも都会の端に住んでいるせいなのか、日頃からヘリコプターが飛んでいることがある。戦時を思わせるヘリコプターのプロペラ音は独特で、遠くからだんだんこっちへ向かってくるとゾワゾワする。空中からだから、逃げ場もないし遠吠えしても届きそうにない。ヘリコプターとドローンは嫌いだ。

コルビュジェの風穴

info | デザイン・建築 旅 社会科
DATEApr 1. 20

 
 
 <ラ・トゥーレット>は、パリからTGVで2時間、リヨンでレンタカーを借り、西へ1時間ほど走った田園地帯の小高い丘の斜面にあった。ル・コルビュジェが晩年に設計したカソリックの修道院だ。ぼくらは”cell(細胞)”と呼ばれる小さなワンルームで、夫婦別々に2日間滞在した。コルビュジェ建築を体験するために。
 建築家になる前のコルビュジェが画家になることを目指していたことはよく知られているが、同時に詩や文章にもその才能を発揮していた。ということは、ダダイストだったハンス・アルプが詩から造形へ移行したように、コルビュジェも詩がスタートラインだったのではないだろうか。「建築は住むための機械である」という、彼を一躍有名にした言葉は詩人のものであるし、ダダイスト達が放った挑発的なマニフェストに似ている。だからこそ、時代の変革に敏感な一部の人々からは歓迎されたのだが、もちろん旧弊な保守層からは激しい批判を浴びることになる。「画一的で合理的すぎる」として。だが、本当にそうなのだろうか。
 シャルル=エドゥアール・ジャヌレ=グリは1887年スイスに生まれ、ほぼ独学で建築へ接近し、ペンネームであるル・コルビュジェとして、それまでのアカデミックな建築界になかった挑戦的な提案で旋風を起こした。が、その足跡をたどってみると、モダニズム建築の巨匠というよりも、多彩な才能を持ったアーティストの顔が見えてくるようだ。
 1988年に出版された「ユリイカ」のコルビュジェ特集号を引っ張りだしてみると、<直角の詩>という詩があった。読んでみると、なんだか肉声のコルビュジェに出会えた気がする。

<性格”caractères “>
僕は家や宮殿を
建てるひとだ
人間たちのあいだの
こんがらがった
糸桛(*いとかせ)の真っ只中に生きている
建築をつくる それは 生き物を一人つくることだ。
何かでいっぱいであって いっぱいになり いっぱいとなって
破裂して 複雑な事情のさなか 氷さながら冷たく はしゃいで喜ぶ 満足した若い犬になる。
秩序になる。
近代の大聖堂は 魚や馬やアマゾーヌたちのこうして 居並ぶ上に建てられることだろう
恒久性 廉直性 忍耐 
期待 欲望
と用心。
いずれ目にあらわれることだろう 
ぼくにはそう感じられる裸のコンクリートが壮観であること
それに 線と線の結婚を考えることや
形態を検討することが
どんなに偉大なことであったかが。
検討することが・・・・
 ”Poeme De L’Angle Drout 1955年” 與謝野文子・訳
 *つむいだ糸を一定の形に巻き整える道具。


 コルビュジェは、建築とは「生き物」を一人作ることで、それは機械のようなものだ、と言っている。でも「機械」といっても、決して完成型とは限らない。「恒久性 廉直性 忍耐 期待 欲望と用心」を必要とした、常に「検討」を要する新手の「テキスト」であることも承知している。たとえば、モダニズム建築の理論を具現化した傑作として語り継がれる<サヴォア邸>だが、多大な時間と費用を掛け竣工したものの、いざ住んでみると雨漏りが酷くて困ったらしいことをぼくは訪れた際に知ることになった。建物の「恒久性」に欠けたわけだが、失敗をものともしないガッツに触れた気がして、ようやく興味とシンパシーを持ってコルビュジェに向き合うことができるようになった。彼はシャルロット・ペリアンやピエール・ジャンヌレ、そして坂倉準三などにいつもこう言っていた。
 「良くなるならなんでも好きなことをやりなさい。説明しなくていい、ただやりなさい、前進しなさい」。

 

 ラ・トゥーレットはテキストの満載だった。ウナギの寝床のような部屋、クセナキスの不規則な窓、時として狭すぎる回廊の廊下、小さな祈り部屋にはペリアンのアンフォルムなテーブル。しかし、それにも増して圧巻だったのは礼拝堂だ。建物の最下層に位置する荒々しいむき出しのコンクリートの空間は、カソリックの礼拝堂とは思えない超現実的な世界。神聖で美しい。見上げるまでもなく目に飛び込んでくるのは、天井に並ぶ3つの巨大な円形の窓。待てよ、よく見ると、それぞれが違う角度で空へ開いた円筒形の穴だ。それらは、時間によって差し込む太陽の光の強弱によって、おのおのがレッド、ホワイト、ブルーに輝くという寸法なのだ。ところがこの穴、外から見てみると、3つがそれぞれ違う方向に向けた大砲のように見えなくもない。ひょっとすると、「詩」,「絵」,「造形」によって、コルビュジェの目指したユートピアへ向けた風穴だったとしたら…。
 はたして、コルビュジェは画家になれなかった建築家なのか、それとも建築家の振る舞いをした詩人だったのか。彼のテキストは、注意深く、読む者に委ねられている。そう、モダニズムの巨匠は、決してシンプルではない。