2023, September

さて図書館だ。

ひょん | カルチャー デザイン・建築 旅 社会科
DATESep 9. 23

 コロナ禍も一段落したので、3年ぶりにフィンランドへ行ったのは2ヶ月前のことになる。今回はロヴァニエミという北の町へも行ってみた。おかげで、フィンランドが少し違って見えた。それにしても、何度も訪れたはずのこの国が、今回ことさら新鮮に感じられたのはなぜなのかを、日本へ戻ってからもずっと考えている。多分この国がいわゆるヨーロッパであり、ヨーロッパとは違う「ユニークな国」なのだということかもしれない。

 北極圏の入り口にあるロヴァニエミは、フィンランド北部の広大なラップランド地方の州都。といっても人口は6万人ほど。オーロラとサンタクロースや、地球で一番北にあったマクドナルドなどということで有名らしいが、それはそれ。アメリカの田舎町のように空が広いのだ。昼間は大通りでも人影はまばらで、夜ともなれば車さえ通らず、おまけに夏至の季節で夜中過ぎまで陽が沈まないからいたって静かなものだ。ちなみにフィンランドの国土は日本とほぼ同じくらいだが人口は560万人、大阪府より少ないと聞けば、この田舎感は納得せざるを得ない。そんな町へ何を好き好んでやってきたかといえば、アルヴァー・アアルトが手がけたという都市計画、中でも図書館を体感したかったからだ。
 この街は、第二次世界大戦のさなかにナチス・ドイツによる空爆で壊滅的なダメージを受けている。戦後の復興にあたって市街地のマスタープランを任されたのがアルヴァー・アアルトだ。その中で、彼は市庁舎と美術館、図書館、コンサートホールの建設に力を注いだ。いずれも市民生活に欠かせないものなのだが特に「庶民文化」の持つ力を発揮させたいと願ったに違いない。
 フィンランドは1917年にロシア革命に乗じて誕生した新しい国民国家だ。だから一瞬だけど共産主義政権だった。だが、すぐに自由主義派が政権を樹立してその後は資本主義体制を維持しながら、東と西とのバランスをとりつつ世界でも稀な経済発展と高福祉を成し遂げている。ただしGDPの規模が日本の北海道くらいなのだから驚く。少人口、少生産なのに一人当たりの所得はトップクラス。教育に関しては大学まで無償。「経済成長」をGDPや株価で推し量る日本とは土台が違うのだからしょうがない。税金は高いが、使い道を国民がちゃんと監視しているところも「政府任せ」ではない。自前の国家を得た国民には、それなりの自覚と選択肢が必要だったわけだ。

 さて図書館だ。そういえば、随分前にトルコのエフェソスという古代都市をウロウロして驚いたのはなにより図書館の遺跡がひときわ立派に残っていたことだ。エーゲ海文明の中心都市ならではの文化と知識の象徴としての建物だったのだろうが、面白いことに隣接したところに私娼窟や浴場があった。「頭を使った後はリラックスをド〜ゾ」といったところだったのだろう。
 話が脱線したが、要は図書館は誰でもが平等に利用できるだけではなく、頭に良い刺激を受け取れる場所であって欲しいという意味で、ロヴァニエミの図書館はその際たるものだったということ。アアルトならではの自然光の取り入れ方や、アアルトがデザインした椅子やテーブル、吹き抜けの空間から半地下へ降りると小さめの空間がアート関係のスペースだったり、まるで本を探すという冒険心をくすぐる仕掛けがあちこちに散りばめられているので飽きることがない。まるで資料室のように退屈な図書館とは別世界のワンダーランドなのだ。
 それに加えて、フィンランドが他のヨーロッパ諸国と違うユニークなところは、城と教会が少ないことだとぼくは思い始めている。城は少しあるけど、それは14世紀から400年以上にもわたり統治したスウェーデンか、その後スウェーデンと領地をめぐって戦争を繰り返したロシアが造ったものなので、自前の城というのはほぼないはずだ。それも戦争のための砦のような小規模なもので、他のヨーロッパのように豪壮な王さまの居城があちこちにあるとは思えない。
 教会については、あるにはあるが、これもヨーロッパ的な天を指すようなゴシック的なものは少ない。スウェーデンの支配下では確かにローマ・カソリックだったが、宗教改革後はプロテスタントが優勢となっている。だから、あったとしてもシンプルな教会だったり、一部に丸いドーム型のロシア正教会が見られるだけだ。そんなわけで、フィンランドは城やカソリック教会のような権力を象徴する観光名所が少なく、図書館や博物館、コンサートホールなどがその代わりに建築家の腕の見せ所となっているのだろう。
詰まるところ、歴史的に見ると、フィンランドのデザイン・カルチャーが「王室御用達」などとは無縁に、民衆の側からのニーズから生まれたことが想像できるというわけだ。確かに、アルヴァー・アアルトやカイ・フランクの頭のなかを覗いてみても、「ラグジュアリー」は見つかりそうにない。「民藝」にも通じる「フォークアート」が日本人の感覚に訴えている。
 つい最近知ったのだが、フィンランドでは自生している野生のベリー類やキノコ類などを採取して食することが、誰の土地であれ許されているらしい。そういえば、随分前に、アアルトの夏の実験住宅”コエタロ”を訪れ、その敷地内の森でブルーベリーを発見したうちの奥さんは「うわ、野生のブルーベリーだ!」と上機嫌に食べていたっけ。果たして彼女はそんなフィンランドの事情を知っていたのかは疑問なのだが。森はみんなの図書館だし。