ミル(うちの犬)を朝の散歩に連れてゆくようになったのは、朋子が足を骨折してからだ。それまでは、いつも彼女の役割であり、というより、おおいなる楽しみでもあっただろうに、皮肉にも散歩の最中にリードを自分の足に絡ませ、突然疾走したミルのせいで転倒し足首を折ってしまったのだ。即手術となり、入院は2週間に及んだ。その間、散歩の役目は誰あろう、僕しかいなかったのだ。
父が犬好きだったから、一時はコリー2匹、ポメラニアン1匹を飼っていた。散歩はほぼ僕の役目だった。だから犬は身近な存在だったし、猫より犬派だったのだが、それはそれ。大人になってからは、自分で「犬持ち」になる気はなかった。まあ、朋子さんの、犬に限らず動物大好きな気持ちを汲んでという感じで、ミルで3代目となる「犬ぐるみ生活」を続けてきたわけだ。そんなわけで、僕は久々の散歩デビューを果たさざるを得なくなった。
ミルはいちおう訓練を受けていたし、朋子の優しく、それなりに厳しい日頃の散歩とはちがう、僕の手抜き散歩もまあ順調に始まった。そうしたら、あっという間にミルと僕はなかなかの仲になった。それまでの、一家のヌシに対するなんとなくな従順ぶりとは違い、気持ちが入った目でジーッと僕の目を見て離さない。これにはまいった。段々と散歩の距離も長くなり、ボール投げにも熱が入ってくる。もちろん日によってはおっくうで仕方なかったりするのだが、一旦外へ出て、ぴったり左に付く彼と長い坂道を登っていると思いのほか気持ちがいいし、運動にもなるので、朋子が退院してからも朝の散歩はつづいている。
そんなある日というか、今朝のこと。いつもの交差点で信号待ちをしていたら、遠くからサイレンの音が聞こえる。パトカーだ。犬が一番キライなやつだ。やばいなーと思うまもなく、サイレンの音が大きくなるにつれて、案の定ヒーヒー言い出す。パトカーが目の前を通る段になると、ついにウォーウォーのオオカミの遠吠えというか、雄叫びに変わってしまった。一体全体、彼ら一般に通じるこの同調的自己表現は何なんだろうと思わざるを得なかった。
コロナ禍になってこのかた、以前に比べてパトカーや救急車のサイレンが多くなったのは気のせいなのだろうか。住んでいるところがけっこう町中のせいなのか。田舎ではそれほどではないのか。わからない。ただ、犬でなくとも、この種のエマージェンシー音は、いやなものだ。直感的に不穏なものを感じてしまう。コロナ下での同調圧力に同じように不穏なものを感じるというのは大げさな言い方なのだろうか。なにか自分がビクビクしている気がしてしまう。政治家が「コロナとの戦い」などと言っている。そういえば、これも都会の端に住んでいるせいなのか、日頃からヘリコプターが飛んでいることがある。戦時を思わせるヘリコプターのプロペラ音は独特で、遠くからだんだんこっちへ向かってくるとゾワゾワする。空中からだから、逃げ場もないし遠吠えしても届きそうにない。ヘリコプターとドローンは嫌いだ。
犬とサイレン
ひょん |
社会科