Pierrot Le Fou

ひょん | 映画・音楽
DATESep 13. 21


 ジャン=ポール・ベルモンドの死亡記事を西日本新聞で見つけて「えっ、まだ生きていたんだ」と思った。つまり僕にとっての彼はフェルディナンであり、頭に巻きつけたダイナマイトにマッチで火をつけた瞬間、「ああ、またバカなのことを」との言葉を残して、とっくに地中海で永遠となったはずだった。
 『気狂いピエロ』という映画を大学の授業をサボって観たのは新宿にあったショボい三番館。洋画といえばすぐに無茶な邦題を付ける配給会社にしては、ジャン・リュック・ゴダール監督に恐れをなしたのか、原題”Pierrot Le Fou”のほぼ直訳だった。ところがその後、FM番組でこの映画を紹介しようとした僕は、「キチガイではなくキグルイでお願いします」と局の人に頼まれて、唖然としたことがあったがソレハソレ。
 この映画は、妻子持ちのプチブルで本好きな虚無男フェルディナンが、ある日、元カノだったマリアンヌと再会し出奔&逃亡しつつ事件に巻き込まれたうえに裏切ったマリアンヌを殺し、自らも命を絶つというありがちなストーリー。にもかかわらず、ゴダールの即興的演出や様々な引用&警句と室内のやっつけ装飾のモダンさ、何よりも鮮烈な映像美とテンポが素晴らしく、まったく退屈なシーンがない。それどころか、二人が松林で突如繰り広げるコミカルなミュージカルや、ベトナム戦争へのサタイアを込めた寸劇などがカットインされるからたまらない。それは、凡庸な映画的リアリティーを軽蔑する映画だった。
 「ジャン=ポール・ベルモンドはリアリズムに欠けているが、なぜかリアルな俳優だった」と、あるフランス人が言っていた。
 役者が作りこんだリアリズムは、時として観る者をシラケさせる。ところが、ベルモンドときたら”虚無だ虚無だと言いながら飯をかき込むような男”を難なく地で演じていた。観終わった後、焦った。愛された一流のピエロだった。