ひょん

ウズウズ。

January 9th, 2011

 
Img 2696 正月が待ち遠しかったのは、いったいいつ頃までだったのだろう。ひょっとすると、お年玉をもらえなくなってから退屈し始めたのかも(つまりずいぶん昔)。紅白歌合戦は観ないし初詣も行かない、お雑煮は好きだけれど一二回食べると飽きてしまい、すぐにカレーが食べたくなってしまう。DVDを数本借りだめしても、油断するとあっという間に期限が来てしまい、観てないのに延滞金を払う羽目になる。唯一の救いは、友人の来訪か。形ばかりのお屠蘇とおせちで「ことしもよろしく」と挨拶を終えると、ひたすら酒を酌み交わし、酔っぱらったらアッという間に三が日が終わっている。なんとか大病もせず、今年もまた一年が過ぎてしまうことだけをボンヤリと希望はしているのだけれど、要は、とにかく早くどっかへ出かけたくてウズウズしているのだ。天神でも外国でもいいのだけれど。それっ!

Happy Xmas The War Is Over (If You Want It)

December 24th, 2010

 
Img 2658 現在開催中のトランクショウには、それぞれいわくありげなモノが並んでいる。どれも、バイヤーである鄕古さんの目を通して選ばれた逸品だ。なかには、屋号である”swimsuit department”通り、古い写真でしか見かけないアメリカの水着なども出品されている。まるで女性が着るようなワンピース型で、素材はウールである。したがって、着るとチクチクするし、水分を含むとずいぶん重いに違いない。こんな水着を着て男が泳いでいた時代があったなんて、昔は案外ユニセックスだったのか。 他にも「ナニコレ?」みたいなモノが集まって興味が尽きないのだが、驚いたのはアメリカ軍、それも1940年代海軍のヴィンテージ・デニムのジャケット。コンディションも良く、なによりインディゴの風合いの、リメイクものには真似できない独特の質感が素晴らしい。
 そんな、軍の放出品であるサープラスなのだが、いったいいつ頃から僕らのワードローブの一部になったのだろう。 多分、1960年代後半にアメリカで起こったヒッピー・ムーヴメントあたりからだと思うのだけれど、僕が覚えているのはジョン・レノンだ。1969年、プラスティック・オノ・バンドとして平和活動を始めたころ、彼はカーキ色をしたフィールド・ジャケットを着てステージに立っていた。でも、戦争のためのギアを、戦争を否定するために着用し、挑発的なロックンロールを唄う彼のアイディアがすんなりと理解されることはなかった。当時のメディアの大半は「平和を利用した売名行為」とまで酷評したし、僕を含めたビートルズ・ファンも大方否定的で「ジョン、前みたいにちゃんと音楽やってくれよ」などと、不平を言ったものだった
 毎年この季節になると、僕の店の前にある私鉄駅地下のスーパーでは連日”Happy Xmas”が流れている。耳タコになっているのだけれど、良く聞き取れないフレーズがあるのでグーグルで歌詞を検索してみた。ところが、その部分にはふた通りの歌詞が存在していた。2番の中程なのだが、ひとつは”The world is so wrong”とあり、もうひとつには”The road is so long”とある。で、何回か聴き直してみたのだけれど、未熟な僕には、聴く度にどちらかに聞こえてしまう。多分、オノ・ヨーコさんなら正解をご存じなんだろうけど、どちらにしても「こんなにひどい世界」が変わるためには「とても長い道のり」が必要なことだけは確かだろう。そう、今日はクリスマス・イヴだ。 

“MOBI BOOM”

November 19th, 2010

 
Img 2566 パリでは、たまたま開催されていたFIACというアートフェアに行くことが出来た。マイアミやバーゼルと並ぶイヴェントで、世界中からギャラリーが出展している。そこでは著名なアーティストの作品が展示、即売されていた。僕の興味の範疇では、ハンス・アルプのコラージュや彫刻、コルビュジェのタブロー、チリーダのスケッチなんかが気になったところ。そうそうドナルド・ジャッドの作品も複数のブースで見かけた。値段は表記してないので、そのつど聞かなければならない。チリーダは小品だったので「もしや?」と思って聞いてみたが、やはり桁が違っていた。場所はグラン・パレ。1900年万博のメイン会場として建築されたもので、ガラスと鉄骨でアールデコ様式の壮麗なメインホールが会場となっている。各々のブースには商談用の椅子とテーブルが準備されているのだが、自分のギャラリーのセンス自慢とでもいうのか、まるで名作椅子のオンパレードだった。やはり、というかプルーヴェ率が一番高く、続いてイームズ、サーリネン、ヤコブセン、アールト、タピオヴァラ、そして柳宗理のエレファント・スツールも。フランスのものは、ピエール・ジャンヌレとピエール・ガーリッシュくらいだったか。近くでは、オークションもやっていて、ジャン・プルーヴェの「アンソニー」が目立つ場所に展示されていた。それに、ブランクーシもあった、やっぱり。
 装飾美術館では “MOBI BOOM” と題して、1945-1975年フランスの、いわゆるミッド・センチュリー・モダン展をやっていた。なにしろ、その時代のフレンチ・デザインは一般的にほとんど認知されていないのだから、これは嬉しかった。思えば80年代だったか、ジャック・タチの『ぼくの伯父さん』を観て、フランスの家具ってなんてヘンテコでカッコイイんだろー、と思ったのが最初。その後、パリへ行く度に、『2001年宇宙の旅』のオリヴィエ・ムルグによる近未来な椅子や、ピエール・ポーランの洒落たデスクなど、レアールの近く、ティケトンヌ通りにあった「シェ・ママン」という店で、随分夢中になって探したものだ。で、こうやって一同に集められた家具を見ると、やはり独特だ。ガーリッシュのプラスティック椅子にしても、イームズの完成されたプロダクト感とは違って、フォルムがずっと自由なのだ。アノニマスな美しさではなく、作家のデッサンをそのまま形にしてしまったような楽しさやユーモアが感じられる。だからなのか、フランスの家具は世界商品としては流通しなかった。というか、もともとそんな気もなかったのかもしれない、などと思ってしまうほど。それを物語るのが展覧会図録の表紙。アラン・リシャール、ロジェ・タロンをはじめ、コンテンツは素晴らしいのだが、これではやはり誤解されてしまいそうだな。

アヌシーの教訓

November 18th, 2010

 
Img 2366 リヨンからバスで2時間、黄色く色付いた谷間をぬってアヌシーへ向かった。スイス国境にほど近く、湖のほとりに別荘やオーベルジュが点在した風光明媚なところらしい。車中、「湯布院みたいなところだったりして」などといいながら、くねくね道に弱いウチの奥さんはいつものように寝る体制に入った。
 「フランスのヴェニス」などと呼ばれる旧市街を水路沿いに歩くと、目の前に、雄大なアルプスを背景にした湖の息をのむような景色が現れる。泳ぐ水鳥の脚先に、ゴミひとつない水底までがくっきりと透けて見えるほどの透明な水。「夏なら、すぐにでも飛び込むのに」とは、目を覚ました人らしい言葉。
 小型の遊覧船に乗って、1時間の湖水巡りをする気になったのには小さな目的があった。ずいぶん前に観たエリック・ロメールの映画『クレールの膝』の舞台となった湖面を、一度でいいからボートで走ってみたかったのだ。対岸に目をこらし、映画に出てきた石灰岩の山を眺めながら夢中になってi phoneで動画を撮った。名手ネストール・アルメンドロスが撮影した湖面には、いまも変わらぬ光がキラキラと輝いている。映画の中で、突然の雨を避けるためにボートを船着き場に止め、主人公がクレールの膝に不器用に手を置くシーンを思い出すと、今でもハラハラしてしまう。長年、付かず離れずだった恋人との結婚をいったんは決意しながら、10代のクレールに、それも”薄い皮膜にかろうじて包まれ、肉体の温もりが消えかけた「膝」”に恋した中年男。そんな、まことに「やるせない」映画が、いったい自分にとって”教訓話”として成り立っていたのか、はなはだ疑問だ。欲望から解き放たれることは、とてもむずかしいことだろう。

リヨンでブション

November 12th, 2010

 
Img 2530 買付の旅では、食事は適当に済ますことがほとんどなのだが、今回は、リヨン=美食の街と聞いて、多少の下調べをした。すると、<ブション>と呼ばれる伝統的なリヨン料理を提供する店が良い、とあった。といっても大衆的な店のようで、いわゆるレストランってやつが苦手な僕でもOKそうである。
 到着した昼に、さっそくホテルの近くのブラッスリー“Le Sud”にランチを食べに行ってみた。ポール・ボキューズというヌーヴェル・キュイジーヌで有名な料理人が経営する店で、ブションではない。名前通り、南系の料理なので、クスクスとスズキのグリルを食べてみた。どちらも美味しかったが、味付けが甘めだった。しかし、スタートとしては申し分あるわけがない。その夜は疲れもあってメシ抜きでバタン。
 次の日は早朝からアンティック・フェアに出向き、フラフラの体で市内へ戻り、ランチを食べに、ガイドブックにあった近場のブション街へ。とりあえず一番それらしい構えの店に入り、虎の巻を出して品書きに見入る。壁中やたらに牛の剥製やらが飾ってあり、ここは元来肉屋だった様子。だから、多分肉を食べたのだろうが、記憶がない。つまり、そんな風。でも、バターと塩分が強かったことだけは覚えている。その後、やっぱりバタンで夜抜き(ま、ワインは飲んでたけど)。
 翌日は、蚤の市へ出向いたのでそこにあるカフェで昼の定食、シュークルート。ソーセージも名物らしいのだが、やはり塩分がきつい。酢キャベツが体に沁みたね。バイク好きが溜まる店みたいで、昼からみんな良い調子。僕も負けずにワインをピシェにていただく。夜は、調べておいた“Chez Paul”を尋ねて市庁舎付近をウロウロ。ようやくたどり着いたものの、予約で満員だった。もう一軒近くにリアル・ブションがあったはずと、疲れた足を引きずりつつ行ってみると、そこも満員御礼。予約という手間を省いた僕らが甘かった。美味しいブションの人気は予想以上のようである。そういえば、観光通りのブションにはなかった公認マークがあるじゃないの。コレ探してたんだよなー。
 続く日曜と祭日だった月曜は、どこも軒並みお休み。あきらめ切れず、最終日13時30分のTGVに乗る前、ランチに再トライ。12時開店と同時に席に着き、「タブリエ・ド・サプール(牛の内臓にパン粉を付け、衣を付けて焼き、クリームソースで食す。癖がなく旨し)」と、「クネル(魚のすり身をはんぺん状にしたものをバターソースで。これ又旨し。)」を急ぎ平らげる。もう時間切れなので、勘定をお願いすると「なんでデザートを食べないんだ!」と、丸々太ったオヤジに一喝されて、これまた手作りのプリンにリンゴソースとプラムジャムを、なんなく胃袋に治め、タクシーに飛び乗った。

リヨンの親切

November 8th, 2010

 
Img 2253 パリからTGVで約2時間、その昔ローマ帝国がガリア地方を治めるために築いた街リヨンは、今ではフランス第2の都市。いつもパリばかりで、たまには違うフランスも探訪したかったのと、なにより大きな蚤の市が開かれていると聞き、訪れることにした。それに、YODEL次号がフランス特集ということも理由のひとつだった。そうそう、食べ物も美味しいってところも気になるところ。
予約しておいたホテルはローヌ川とソーヌ川に挟まれた中心街にあるベルクール広場の側で、すぐ裏通りは骨董屋街。昼前に到着後、さっそく探索。でもアンティック系が多く、フレンチモダンを扱う店は一軒だけ。ちょうどセルジュ・ムイユの展示会をしていて、本でしか見たことがない珍しいタイプのランプなどもあり、びっくり。聞くとヴィンテージではないらしく、正式なリプロダクトらしい。値段はIDEEのものよりかなり高め。もちろん、ヴィンテージほどではないけど…。美人のスタッフと少し話しをするうちに、お互い明日郊外で開かれるアンティック・フェアに行くことが分かり、ファイトが湧く。
 翌日、朝まだきの寒さの中、メトロとトラムを乗り継ぎ、最後は徒歩で空港裏手のエキスポ会場へたどり着くと、おじさん達が商品を並べ終わった頃だった。ウーンやっぱり骨董系が多い。そりゃそうだ、ヨーロッパだもの。でも、モダン一辺倒ではなく、古いものにももちろん面白いものがある。額縁や塑像、子供用の古いソリにスキー道具、ランプなどなど、どれも時間を経ているけど、まだまだ現役の顔をしている。そこかしこが欠けていたり、不完全だったりするところも、なんだか人間的で悪くない。結局、出口近くでシャーロット・ペリアンのダイニング椅子4脚を発見。けっこう遠くからやって来たらしいブロカンテなのだが、シッピングもやってくれるそうで、めでたく交渉成立。ほかにも欲しいものはあったのだけれど、なにしろ大きなものは買いにくい、ということでそうそうに断念。帰りの足がないのでバス停を尋ねているうち、太った赤ら顔のおじさんが「近くのトラムの駅までなら送ってやるよ」との申し出に、ありがたく便乗。こんな親切には、パリではお目に掛かったことがなく、いたく感激。ただし、車中、フランス語不案内な僕らにはおかまいなしに、ひたすらしゃべり続けるのには少し閉口したのだが。

RONSONの使い捨てライター

November 4th, 2010

 
Img 2546 旅がいいののは、一日があっという間に終わることだ。朝早く起きて、仕事らしきことをイソイソとこなしてしまうと、もう夕ご飯の時間になっている。だから、日本にいる時よりタバコの本数は少なくなる。でも、吸わないわけではない。ホテルの部屋は禁煙なので、窓を開けて吸う。急いで吸うので余り美味しくはない。しかし吸う。そんな時、日本から持ってきたはずのライターが見つからないことがある。多分、毎回ある。したがって、ライターを買う。スーパーか、タバコ屋で。たいしたものはないが、ヨーロッパだと少し期待もする。最近日本では少なくなったビックはもちろん、クリケットなんていう愛らしいデザインのものがあったりするからだ。今回は、ちょっと珍しいライターに出会った。RONSONという名で、僕もタバコを吸い始めのころ”COMET”というモデルを使っていた覚えがあって、なんだか懐かしく、うれしくなった。三本パックで、色の組み合わせが5種類ほどあった。紫を除いて、グレイとネイビーが混ざっているヤツを2パック買った。外に出て、さっそく取り出して付けてみようとすると、点火スイッチの縁に赤いポッチがあった。ストッパーらしく、いったん内側に押し込んでからでないと点火しない仕組みになっている。使い捨てライターにしては、たいしたものだが、必然性はあるのだろうか。そういえば、リヨンの旧市街をウロウロしていた時、若い女性が火を貸してくれというから差し出しすと、案の定、点火できずに困ってしまった。恋人らしき男のアドバイスで無事着火できたので、僕が口を出す手間は省けたのだけれど。見ると、その男も指にタバコをはさんでいる。返してもらったライターを再度差し出すと、いらないと手振りして、彼女のタバコから直接火をもらうではないか。たくもう、いい光景だった。

dansko

October 1st, 2010

 
Img 1990 モノ選びは、なにかと大変(だから面白い)。 なかでも靴選び。なにしろ「足元をみられる」という言葉があるように、仕上げは靴次第。どんなに服に気を遣ったつもりでも、足先に油断があっては台無しだ。なにも、高級な靴でなくてもかまわないが、出来れば出自が感じられるというか、まあトラディショナルなラインのほうが「地に足が着いた」感じだろう。だから、男の場合は、どうしてもイギリス製のベンチメイドと呼ばれる革靴などが気になってしまう。ところが、履き心地はなかなか窮屈である。ワイズが合わないと、外反母趾にもなりかねない。むかしの店員はジャストサイズを薦めたものだから、たまったものではない。その反動なのか、ここ何年僕はスニーカー党になっている。それも、あえてワンサイズ、デザインによってはツーサイズ大きめを選ぶことが多くなった。ところが、このダンスコのサイジングは不思議だ。つま先の余裕ありはもちろん、かかとも指一本の余地ありが良しとされている。じゃあ、どこで合わせるのか?あえていえば、甲らしい。つまり、サンダルみたいなものと思えばいいのだろうか?アメリカなどでは医療機関や調理人など、長時間立ち仕事に従事する人達に愛用されているらしく、ストレスも少ないとのこと。それに、形は伝統的な木靴っぽく、ヒールが高いので背が4cmは伸びた気分で視界が違って見えてしまうところも面白い。なにより、ワーキングらしい質実さが、今の気分にピッタリだ。

“FISKAS”の魚スープが恋しい

August 20th, 2010

 
Images 暑気払いにサスペンス映画でも、と思ったのか奥さんが『マジック』という若きアンソニー・ホプキンス主演のDVDを借りてきた。1978年制作で、共演がアン・マーグレットとあり、興味が湧いた。なにしろ彼女はぼくにとって初のピンナップ・ガールだったわけであり、映画のストーリーそっちのけで、そんなに多くない出演シーンに見入ってしまった。1963年の映画『バイバイ・バーディー』で、歌って踊れるセクシー・アイドルとしてデビューした彼女は、(青臭い中学生にとっても)「小悪魔」だったのだ。でも、同じ頃見た『ラスベガス万歳』が、相手役(というか主役)のエルビス・プレスリーが苦手なぼくとしては、まるで楽しむことが出来なかったこともあって、なんだか急に熱が冷めてしまった。なにしろ、シルヴィー・バルタンやカトリーヌ・ドヌーヴなんていうヨーロッパ映画の、もっと手強い小悪魔が出現してしまったのだから仕方がない。で、その後忘れていた彼女に思いがけず再会したのはマイク・ニコルズ監督『愛の狩人』。ジャック・ニコルソンとアート・ガーファンクルが大学生に扮した、アイヴィー・ルック満載のなかなかやるせない映画で1971年制作、ただし、観たのは1980年代、ビデオだった。アル中のもとセクシー女優という「汚れ役に、体当たりしている姿(クリシェで恐縮)」は、ちょっとした感動もので、案外いい年の取り方してるんだ、などと思った。そういえば、この映画に出ていたもうひとりのヒロインがキャンディス・バーゲン。『パリのめぐり逢い』や『魚が出てきた日』(ともに1967年)なんていうヨーロッパ映画で、知的できかん気なアメリカ女を演じた大人な女優さんで、「ヴォーグ」や「ライフ」誌で活躍した写真家としても知られている。ところで、ウィキペしてみたら、ふたりともにスウェーデン人だという。ちなみに、グレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマンという往年のスターや、近年ではユマ・サーマンなどもスウェーデン人である。だからどうだというわけでもないけど、ストックホルム、しばらく行ってないなー。”FISKAS”の魚スープが恋しい。  

アントニオ・ヴィターリ 展

August 11th, 2010

 
Img 1800 目黒区民センターといえば、たしかぼくがいたバンドがそこのホールでコンサートを開いたはず。大学2年の時くらいか。なんとか録り終えた初アルバムを発売した直後の、いわばデビューコンサートみたいな感じだった。連日のように、大橋にあったポリドールのスタジオでリハーサルを重ねて当日にそなえたはずだが、肝心のコンサートのことはよく覚えていない。でも、大阪出身のカメラマンだったマネージャーのNARUちゃんと一緒に写真をコラージュして作ったフライヤーだけは記憶している。そういうものだ。
 そんな場所を40年振りに訪れたのは、アントニオ・ヴィターリの展覧会のため。organで知育玩具を取り扱い始めた頃、小柳帝さんからの耳打ちで、このスイス出身の素晴らしい彫刻家の木製玩具に出会った。といっても作品集だったのだが、それでも彼の作品の魅力に触れるには充分なほど濃い内容だった。キツネや山羊、象などの動物、赤ん坊を胸に抱いた母とそのファミリーなどが、柔らかなカーブで表現されている。是が非でも実物を触ってみたいと願った。でも、子供の玩具というものは、成長する課程で破棄されてしまうものがほとんどなので、簡単に見つかるものでもない。で、今回ようやく、その全貌に触れることが出来た次第。まさに「子供が初めて手に触れる玩具はこうであって欲しい」と思ってしまう。モチロン汚れちまった大人達も。ちなみに、ヴィターリの作品はすべて廃盤だったのですが、最近ドイツで動物パズル3種類が再発されました。
「クルト・ネフ + アントニオ・ヴィターリ 展」  2010年09月12日まで
目黒区美術館 :目黒区上目黒二丁目19番15号 電話 03-5722-9300