サンタフェへ行ってきました

先月末、アメリカはサンタフェへ行ってきました。1980年代末、「サンタフェ・スタイル」という本に出会って以来、いつかは行ってみたい場所だったからです。当時はインテリアが一般的に意識され始めた時期で、ご多分に漏れず僕も「フレンチ・スタイル」、「ロフト・スタイル」、「ハイテク・スタイル」などといった洋書を見てはため息をついていたもの。そんな中でも「サンタフェ・スタイル」は、都会を離れても洗練ということがあり得ることを教えてくれた初めての提案だったように思います。その後、画家ジョージア・オキーフに興味を持ち、彼女がその後半生を過ごしたサンタフェ郊外のアビキューにある家が見学可能だと聞くと、「もう行くしかない」状態になったのです。それにしても、遠かった。昼頃福岡を出て成田へ、そしてL.A.で乗り換え、17時間の時差を越えてアルバカーキに着いたのは同日の夜。レンタカーを借り、その夜はモーテルで1泊。次の日サンタフェへ向かいました。時差ぼけでフラフラしつつも、まずはアレキサンダー・ジラルドの「フォーク・アート・ミュージアム」へ。「カチナ」と呼ばれるネイティブ・アメリカンのものを始め、世界中の人形がコレクションされています。ジラルドといえば、イームズにメキシカン・アートの面白さを伝授した人。ここニューメキシコ州は、その名の通りメキシコ領だったところ。アメリカといっても文化的にはネイティブ・アメリカン、ラテン、そして白人と、3つの文化が複雑に混在した場所なのです。

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 そうそう、ここサンタフェにはジラルドが手がけたレストランもあります。といわけで、そのレストラン「コンパウンド」へ昼食を食べに行きました。店内は白い漆喰壁で、あちらこちらにジラルドの作品が配されていてとてもシック。もちろん、味も文句なしでした。食べ物と言えば、Whole Foodsというオーガニックなスーパーマーケットもサイコーでした。おかげで美味しいデリをテイクアウトして、モーテルで持ち込み夕食が楽しめました。明けて3日目はオキーフ・ミュージアムへ。初期のドローイングや水彩画も素晴らしかったけど、彼女の生き方自体に惹かれる身としては、動くオキーフの姿が初めてビデオで見れたのが嬉しかった。声は低めで早口なその語り口は、ストイックな彼女のイメージ通り。そして翌日は念願の自宅見学。その息をのむほどの静謐な世界にすっかり圧倒されてしまいました。写真撮影は禁止のため、一切は脳裏に焼き付けるしかなかったわけで、それがかえって良かったのかも。アドビの土壁にサーリネンやイームズの椅子が置かれた様は、まるで民芸+モダニズムにも通じる理想の空間でした。

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 サンタフェ周辺には見所がたくさんあり、残り2日間はかけ足でそのいくつかを駆けめぐりました。まずは、ゴーストランチという場所にあるオキーフのアトリエ跡。風化した荒々しい山や崖の風景はまるで西部劇そのまま。馬に乗ったジョン・ウェインが今にも現れそうで、おもわずテンガロン・ハットを買ってしまいました。タオスという町にあるネイティブ・アメリカンの古い住居跡にはつい長居をしました。いくつかのショップを覗いては美しいターコイスや銀のアクセサリーを購入したからです。小さな店の中はシダー(ヒノキ科)の束を燃やした香りがまるで線香のように漂い、なんだかスピリチュアル。親戚の叔父さんみたいな顔をした店主の笑顔が今でも忘れられません。最後は大好きなチマヨ・ベストを求めて山間の小さな村へ。あいにくレンタカーのGPSがうまく作動せず、小道で迷っている時、ポツンとたたずむ農家がありました。ふと見ると、入り口にはバラク・オバマを支持するサインがかかっていました。そう、アメリカは大統領選まっただ中だったのです。変革を求める声はこんなところにも在るのだ、となんだか頼もしくなりました。肝心の織物店「オルテガ」、「センティネラ」はそのすぐ近くでした。大きな織機でガタン、ゴトンと仕事をしていたアーヴィングさんは日本の絣(かすり)が大好きとのこと。一度、ぜひ日本へ行きたいと仰っていました。
 昔、”あきれたぼういず”という漫談トリオが、「地球の上に朝がくりゃ、その裏側は夜だろうー・・・」と唄っていました。アメリカをはるか上空から見ていると、なぜかこの唄を思い出します。まるで人跡未踏のように見える荒涼とした大地は、地球が惑星であることを思い出させてくれるようです。でも、いったん地上に舞い降りると、そこには様々な人々が違った文化を抱えて今日も生きています。これからも、様々な問題を抱えながら歩み続けるこの国への興味は尽きそうにありません。

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 organには、ナバホのターコイスや銀のアクセサリー、チマヨの織物など、トライブ感あふれる商品が入荷しています。ご来店をお待ちしています。