鳥取、島根へ行って来ました

 ちょっと強行軍でしたが、念願の鳥取、島根へ行って来ました。二泊三日で六つの窯元、それに植田正治写真美術館に出雲大社と欲張りな旅です。でも、民芸はもちろん、温泉もタップリ満喫することが出来ました。
 福岡を夜中の12時に出発、鳥取に着いたのは朝の7時すぎ。一休みして早速最初の目的地「中井窯」を訪問。早朝にもかかわらず、坂本章さんに素晴らしい登り窯や仕事場も拝見させて頂き、その整理整頓ぶりに感激。いい仕事には、気持ちのいい環境が大切ですね。おなじみ柳宗理の作品を始め、そのモダンで端正なたたずまいの作品を前に、ねぼけた頭もすっかり覚醒してしまいました。黒にも見える濃い茶色と、独特のグリーンというツートーン・カラーにすっかり魅了され、気が付けばアレもコレもと手を出していました。小品ですが、キリっとした形の「塩こしょう入れ」は食卓で重宝しそうです。

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 続いて「岩井窯」を訪問。山を背景にした広い敷地に工房やギャラリー、カフェなどを配した贅沢な空間。山本教行さんに、前から疑問だったスリップウェアのテクニックのことを尋ねると、「スポイトに含ませた陶土を垂らす技法」とのこと。なるほど、だからあんなに自由な線が描けるのだ、と納得。立派な展示室で、イギリスの古いスリップウェアや李朝の古陶などを拝見しました。
 途中、鳥取砂丘を経由しながら遠く点在する窯元を巡っている為、鳥取民芸館での見学を終えた頃にはすっかり夕暮れ、予約した温泉旅館の夕餉に遅れないようにと車を走らせました。

 翌日はまず、旅館からひと山越えた場所に位置する「山根窯」からスタート。それは素晴らしい山間の環境の中にありました。石原さんご夫婦の笑顔に迎えられ、自宅兼ギャラリーでお茶をいただきながら、作品を拝見。古いデルフト焼きのタイルや、世界中のアンティックに囲まれたキッチンが素敵でした。なかでも、古いスリップウェアの大皿は圧巻。オーブンで焼かれ、使い込まれた皿はところどころ欠けて、とてもイイ色と風合いが出ています。焼き物は、使われることが幸せな証拠です。ここでいただいた狸のお腹のようなコーヒー・ポットも、イイ味が出るまで使いこなしたいものです。
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 その後、ウチの奥さんの希望で植田正治写真美術館へ。まだ3合目まで雪が残っている大山をバックに、コンクリートの建物がスコーンと建っている。ちょっと、シェルターみたい。そして大山を正面にとらえた館内からの眺めが印象的、この建物自体がカメラのようでもある。
 砂漠を背景にした人物たちの写真は、初めて見るはずなのになぜか既視感が。そうだ、オーケストラ・ルナのジャケ写の世界に近いのかも。シュールで実験的なモノクロームの画面は、フェリーニの映画の一場面のようでもあり、戦前に、こんなモダニズム写真を撮っていた人がいるとはかなりのショック。彼自身は「田舎のアマチュアリズム」を標榜していたらしく、その独創的な立ち位置に感動しました。
 そのあとは松江に向かい、「船木窯」を尋ねました。バーナード・リーチがここを訪れ、セント・アイヴスの窯に似たロケーションに驚いたといいます。船木伸児さんの話では、昔は輸出向けのエキゾティックな絵付け陶磁器をすぐ前の浜から出荷をしていたということです。それにしても、濱田庄司も泊まったという日本家屋から眺める宍道湖のすばらしさといったらどうでしょう。隣の洋室にはケアホルムのソファ・セット、そして「仕方が無いから自慢する」というリーチ直筆の警句のような書。いつまでもおじゃましていたい衝動を抑え、伸児さんのみずみずしい作品を数点譲ってもらいその場を辞しました。
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 全国的にも知られる「出西窯」の素晴らしさはもう皆さんご存じなので、ここでは触れません。買い物の後でいただいたセルフ・サーヴィスのコーヒーがお好みのカップで飲めて嬉しかったです。
 そして、旅の最後は「湯町窯」。玉造温泉の駅の近くにあるお店におじゃましました。黄色い独特の釉薬で焼かれたたくさんのスリップウェアにめまいがしそう。2階に上がると、ここにも柳宗悦やリーチ、棟方志功などの作品がいっぱい。あらためて、彼らの足跡の大きさを思い知らされました。
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 最終日は出雲大社と出雲蕎麦で仕上げ。というわけで、かけ足の旅でしたが春の山陰を満喫できました。それにしても、「民芸」とは不思議なものです。本国イギリスではすたれてしまったスリップウェアという手法が濱田庄司などによって伝えられ、バーナード・リーチの指導で日本の陶工に引き継がれる。それはまるで、人から人への密かでグローバルな連なりのように思えます。確かに伝統の継承という側面があるのですが、時代や所が変わり、作り手も変わればニュアンスやフォルムも変化してゆきます。その意味で「民芸」は「モダニズム」にも通じるような気がします。一見相反するように見えるふたつですが、この先もずっと引き継がれてゆく批評精神に裏打ちされた永遠のデザイン運動なのではないでしょうか。