イベント「小柳帝の音楽夜話 #3」
5月からペトロール・ブルーでスタートした音楽イベント「小柳帝の音楽夜話」の第3回が9/8(木)の夜に開催されます!
詳しくはROVAページ >> にてご覧下さい。
5月からペトロール・ブルーでスタートした音楽イベント「小柳帝の音楽夜話」の第3回が9/8(木)の夜に開催されます!
詳しくはROVAページ >> にてご覧下さい。
5月からペトロール・ブルーさんでスタートした「小柳帝の音楽夜話」ですが、第3回を、まだ夏の熱気も冷めやらぬ9/8(木)の夜に開催することになりました。
2011.9.8.thu. 21:00-midnight @petrol blue
charge 500yen
今回のテーマは、ずばりイギリスです!1回、2回と、どちらかといえば、アメリカの音楽を中心にかけてきたつもりでしたが、ところどころ混ぜたイギリスものに、自分自身が妙に反応するところもあって、だったら、今度は英国オンリーで行こうかなと思った次第です。かといって、私のことゆえ、「ロンドン・ナイト」のような選曲になることはありません(笑)。今回もクラブDJではなくラジオのDJ(ディスクジョッキー)スタイルで、たっぷりとみなさんにお届けしたいと思います。もちろん、今回もシングル盤オンリーです。少しイメージが掴みやすいように、ざっとトピックを並べておきたいと思います。
●イギリスのバーズ(カワイコちゃん歌手)たち。
●BB5へのイギリスからの回答。
●マーク・ワーツのキラキラ・サウンド。
●英ソフロの実力のほどは?
●ロジャニコをイギリス人がやったらこうなる!?
●ハーモニーに取り憑かれた男たち。
●スキャットの女王対決、バーバラ vs ノーマ。
●カンタベリーの森から。
●レイ・デイヴィスのお昼寝ソングの世界。
etc
ラジオ番組的なパートは2時間くらいを予定していますが、その前後、各1時間くらいは、そこで紹介する楽曲も含めた、いわゆるDJスタイルのプレイもいたしておりますので(こちらは、イギリス・オンリーにはこだわりません)、何時においで頂いてもそれなりにお楽しみ頂けると思います。
もちろん、「音楽夜話」アンセムとなったあの曲、この曲もかけますよ。
では、9/8の夜、みなさんのお越しを楽しみにお待ちしております。小柳帝
1974年当時、ぼくらは確か毎月20万円の給料をプロダクションからもらっていたはずだ。5人で割れば一人4万円。今から38年前とはいえ、東京暮らしはギリギリだった。レコードは新着を渋谷のYAMAHAでチェックして、新宿西口にあった中古屋を物色、欲しい服はBIGIで眺めて、TAKAQのワゴンで似たヤツを買ってすぐ後悔。マネージャーからは「演歌歌手ひとりでも、バンド5人でも払う側にとっては同じなんだから」といわれ、まったく売れないぼくらには返す言葉がなかった。渋谷の「じゃんじゃん」や荻窪の「ロフト」など、当時でき始めていたライブハウスに出ても、ギャラは雀の涙。それはぼくらに限ったことではなく、一部のフォーク系のシンガーを除けば「日本語のロック」を目指す同輩達も同じようなものだった。そんなわけで、バッキングやスタジオの仕事をすることになった。とはいっても、自慢じゃないがコチトラ譜面が読めない。限られた時間内でレコーディングするスタジオワークは、渡された譜面を見ながらの、ほぼ一発勝負と聞いて無理だと思った。バッキングなら歌い手さんと一緒にリハーサルしながらヘッド・アレンジでなんとかなりそうだと、不承不承ながら引き受けることになった。今となっては、どなたが最初だったか忘れてしまったが、プロダクションがテレビ局に強かったせいで、連ドラ系の歌うスター中村雅俊さんのツアーでは日本国中を回った。田中健さんや小野寺昭さんとか、なぜか愛川欽也さん、それに女性アイドル歌手もやった。そういえば、同輩の「はちみつぱい」はアグネス・チャンのステージだけでなく、レコーディングもやっていたっけ。それに彼らはスタジオ・ミュージシャンもこなしていたはず、大所帯だしね。同じヘッド・アレンジ派としては謎だったのだが、後年になって鈴木慶一にそのことを尋ねてみると答えがふるっていた。「ある時ピアノで呼ばれたんだけど、1,2回リハやって即本番。ままよ!っとばかりに弾いてるフリだけしたんだ。ところがプレイバックの段になってアレンジャーがピアノが聞こえないって騒ぐんだね。当然すっとぼけたけど」。ぼくらも少しはスタジオをやった。やっぱりテレビがらみ、それも子ども向け番組が多かったが、あの緊張感はやはり馴染めなかった。ただ、アニメだったか、効果音は面白かった、譜面ないしね。「恐怖っぽい音、お願いします」といわれて、シンバルをこすったりとか。まあ、『サイコ』のバーナード・ハーマンとはいかなかったけど。忘れられないのは西田佐知子さんを1曲だけやったこと。16ビートのちょっと洒落たアレンジをした。仮唄はたった1回でOK。ハスキーな声となげやりな情感は、大好きだった『アカシアの雨がやむとき』の頃と変わっていなかった。そんなある日、マネージャーから意外なオファーが来た。小坂忠のバックをやらないか、という話だった。
小学校の林間学校で飲んだ飴湯の味が忘れられない。夏とはいえ山間の川の水はとても冷たく、10分もすると唇が紫色に変わるほどだ。そんな時に用意されたピリッと甘く暖かい飴湯の一杯は、それまで苦手だったはずの生姜のイメージを変えてくれた。生姜が飲み物として日本以外でも愛用されていることを知ったのは、バリ島に行ったとき。ワルンで一休みした際にオーダーしたジンジャー・ティーには、かなり大ぶりの叩き生姜がドカンと沈んでいたからビックリした。日本のものより味も香りも強く、暑い国の人もやっぱり体の中を温めるんだナー、などと感心してしまった。その後、アジアの映画や音楽に興味を持つにつれて、生姜はアジア全体で愛用されるハーブなんだと知った。『ジンジャーとフレッド』というフェリーニの映画を観て、いつか自分の店を持ったら”Ginger”という名前がいいとも思った。それは今のところ実現していないが、このところのジンジャー人気は世界的である。東京で友人がやっているFructusという自然派系ジュース屋が作ったジンジャー・コーディアルも好評らしい。炭酸で割ってジンジャーエールにしたり、ビールやスピリッツに入れたりと、左党としてはいろいろ楽しめそうである。近々organでも販売する予定なのだが、目下の所は鳥取は宝月堂の「生姜せんべい」だ。鳥取のおばちゃん達が畑仕事の合間に飲むという香ばしい健康茶「浜茶」と一緒に食すれば気分はスッカリ日本海なのである。ラベルに「気高町瑞穂生姜使用」と産地表記があるところもいい。「ローカル・スタンダード」なのである。9/4まで「浜茶」共々絶賛限定販売中、試食あり。
実は、初めて買ったドーナツ盤は洋楽ではない。1959年、当時民謡歌手の枠を越えてブレイク中だった三橋三智也の『古城』というレッキとした邦楽である。佐賀の駅前にあったレコード屋で母をくどいて買ってもらったから覚えている。ラジオで聴いた哀愁のハイトーン・ボイスにノックアウトされてしまったのだが、文語調の歌詞はチンプンカンプン。「栄華の夢を 胸に追い」くらいは「映画の夢を 胸匂い」と勝手に解釈できたが、「わくらば」となるとまるで判じ物みたいで完全にお手上げだった。三橋三智也ではもう一つ『怪傑ハリマオの唄』も忘れられない。白黒テレビがようやく一般家庭に普及し始めたころのテレビ主題歌なのだが、番組の内容はかなり荒唐無稽。義賊とおぼしき主人公が東南アジアを舞台に、ピストル片手に馬にまたがり、悪漢共を懲らしめるという内容で、今思えば太平洋戦争における日本の立場を正当化しかねない危うさを含んでいるのだが、そんなことは当時思ってもいない。ただターバンを巻き、サングラスをかけたヒーローが、月光仮面よりもクールでエキゾチックに見えたのだ。ソフトボールなどに時間を忘れ、フト気がつくとあたりはすっかり夕まぐれ。暗くなった田舎道をトボトボ友達とふたり家路を急ぐとき、勇気を出すために「真紅な太陽燃えているー」と大声で歌いながら歩いたものだった。「わくらば」は漢字では「病葉」と書くが、「朽ち葉」ほどの意味だろう。やはり当時ヒットしていた沖縄出身の仲宗根美樹の『川は流れる』という曲は、この言葉から始まる。ラ行の発音が巻き舌の、ハスキーな声で世の無常を唄われるとゾクゾクした。いま聴いたらどうだろうかとYouTubeにアクセスしてみたら、まごうかたなき名曲だった。しかも、アレンジはクロンチョン風ではないか。このインドネシアのトラッドなリズムは、戦争中『ブンガワン・ソロ』という曲としても有名だった元祖エキゾチック歌謡なのだ。洋楽、邦楽の区別にさほど意味などはない。それよりも、「良い唄は悲しい唄である」という時のマレーの感受性が好きだ。
リサ・ラーソンと交流の深いdieciさんが、毎年干支にちなんで製作を依頼している動物オーナメント、2011年の新作「ウサギ」が入荷しました。
再入荷した「カンタレッリ」、今回は少しお買い得になっています。
いずれもこちらのページでご覧下さい
初めてドーナツ盤を買ったのは平尾昌明の「ランニング・ベア(悲しきインディアン)」だったか。ラジオから流れる悲恋のロッカバラードに、奥手だった小学生が我知らず動揺したことを覚えている。ちょっと”しゃくる”様な歌声にすっかり夢中になり、途中のサビの部分で突然英語になるところにもシビレた。オリジナルをジョニー・プレストンという人が唄っていることなど知るよしもなかったし、もちろんカヴァーなんて言葉も存在しなかった。1960年代初頭の日本はアメリカのヒット曲の焼き直し全盛の頃だった。そんなレコードをなんとなく「洋楽」と呼んでいたのかもしれない。「ポップス」という語感を知ったのは、その後中学生になった頃のやはりラジオ番組を通してだったと思う。それは高崎一郎、糸居五郎など、英語混じりでオリジナルを紹介したDJ達のおかげでもあるが、ひょっとすると前田武彦が女の子とのおしゃべりを交えて音楽を紹介する『東芝ヒットパレード』だったような気がする。
前田武彦は放送作家であり、ポップスに強いわけでもない。だから、音楽情報みたいなことは通り一遍だったけど、そのかわりに当意即妙な話術があった。それは、時に時事風刺だったりもするのだが、決して強弁ではなく、押しつけがましさはなかった。それは、同じ放送作家でジャズのラジオ番組をやっていた大橋巨泉とは対照的でもある。後にふたりは『ゲバゲバ90分』でタッグを組むのだけれど、巨泉の押しの強さの前でマエタケは割を食っていたように思う。彼は、どちらかというと言葉少ない饒舌家で、テレビよりラジオが似合う人だったのだろう。
8月20日(土)〜9月4日(日)
日本で最も人口が少ないといわれている 鳥取県。したがって緑が深く、水が豊かで、魚が美味しい。このご時世、なんだかとても羨ましい。でも、もうひとつ鳥取が特別である大切な理由があります。 手を使って見事な仕事をする人がいるということです。朝鮮や中国、そしてヨーロッパなどの、いわば無名の人々によって生み出された陶器や紙、染め物のような生活に寄り添う道具に美を見いだし、その精神を受け継いだ表現は「民藝」と呼ばれています。今回、鳥取探訪で出会った、そんな民藝に繋がる品々をご覧に入れます。ローカルなのにグローバル、不思議にモダンな世界に出会えますよ。
※初日はオープニングトークショー 『砂丘だけが鳥取じゃない』も開催。
詳細は イベント告知 >> でご覧下さい
ウェブサイト上で、一部商品のサマーセールを開催します!
スイス「ネフ」社のヴィンテージ知育玩具とアントニオ・ヴィタリのオブジェが対象品です。木の肌触りや質感、コンセプト、あらゆる視点でプロダクトと呼ぶにはもったいないアイテムたち、気になっている方はこの機会に是非!
sale ページはこちらから >>