Archive for July, 2011

CHAIRS

July 31st, 2011

Dcc.001イームズのファイバーグラスシェルたち、エンツォ・マリの椅子をウェブサイトにアップしました。
ご覧下さい >>

おとといポップス#4 ”唄うニューヨーカー”

July 23rd, 2011

 
Img 3092 『恐怖のこまわり君』がヒットしたこともあり、2枚目のアルバムを作ることになった。もはや今までのように「売れなくてもいい、自分たちの好きな音楽をやりたい」などとナイーヴな宣言をして、マネージャーを泣かせるわけにはゆかない。ギミックと取られても仕方がないようなシングルを出した後なので、バンド名を変える案が出た。”Cinema”とか”Hotel”なんてね。そこにはYさんというディレクターのアイデアも反映されていた。彼は、アメリカのA&Mスタジオでのアシスタント経験を経て帰国したばかり。趣味性を発揮しながらビジネス的にも成立させる本場の音楽産業を学び、それを日本で実践しようとしていた。余談だけれど、1975年発売になった「Made in USA catalog」という雑誌の巻末に、LAで現地コーディネーターとして彼の姿が写っている。そういえば、彼の兄は著名な和製ポップス作曲家であり、加藤和彦氏や今野雄二氏とも親交が深かった。そんなわけだから、新しいムーヴメントへのアンテナも鋭かった。それは、前述のロキシー・ミュージックなどに限らず、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、ダニー・ハザウェイなどの”ニュー・ソウル”や、マイケル・フランクス、ジョージ・ベンソン、クルセダースなどの”シティ・ポップス”や”フュージョン・ミュージック”にも及んでいた。ポップスが単なる流行歌から、モダンで都会性をともなったスタイルへと移行していた時代だった。その中で、僕らは、よく言えば個性的、下手をすれば独善的とも写る「作家性」の強いポップスへと傾斜していったのだと思う。たとえば、ルパート・ホームズ。1974年にEPICレコードから出た”Widescreen”というアルバムは、まさに「唄うニューヨーカー」といった風情で、夢中で歌詞を追った。たとえば、こんな風だ。

僕は映画と一緒に生活している
でも、マチネーは5時で終わる
まだ太陽がまぶしい外へ瀕死の状態で出なければならない
ああ、映画館の中へ戻りたい
そこはいつも夜なんだから
ワイドスクリーン、目が回るよ
たくさんの噓でボクを満たして欲しい
 <”Widescreen”>
 
これではまるで、映画『ボギー!俺も男だ』とダブってしまう。同じ時期、ボクはウディ・アレンを知ってしまっていた。自分の様々なコンプレックスをカリカチュアライズし、ギャグに変えてしまう奇妙な才人は、まるでハンフリー・ボガートをレディメイドなものとしてリ・メイクしてしまうマジシャンみたいだった。それはさておき、ルパート・ホームズである。ニューヨークのティンパンアレイに連なる流麗なオーケストレーションと、ジャズやポップスのクリシェを用いて、アメリカの様々な表層文化をコラージュしたような彼の音楽もボクにとってはマジックみたいだった。それは、その後オーケストラ・ルナという、オフ・オフ・ブロードウェイの実験的ミュージカル仕立てめいたアルバムを彼がプロデュースしたことで一層明らかなものになった。正直に言って、今ひとつ乗り気になれなかったこの2枚目のアルバム製作で、彼へのオマージュを混入させることだけがボクの密かな願いになっていった。

おとといポップス#3  ”死刑!”

July 21st, 2011

 
Img 3082 1974年は例えばこんな年だった。<ウォーターゲート事件でニクソン米大統領辞任>< 金脈問題で田中角栄首相辞任><オイルショックによりNHKが短縮放送><『かもめのジョナサン』、『ノストラダムスの大予言』出版>などなど。つまり「アメリカ型発展幻想」は終わりを告げようとしていた。世界は今に繋がる「後戻りできない総資本主義体制」の時代に突入し、「終わりの始まり」ともいえる「出口なし」的実存を生きることになる。
 そんなタイミングで聴いたのが10ccだった。「ロックマニエリズム」の仲間なのだけれど、とてもキャッチーでとっつきやすかった。まるでビートルズのリミックスをやっちゃう職人みたいなユニットで、英国人特有の辛辣な歌詞で文化や政治をおちょくった。「フェリーニの新しい映画、もう観た?」なんて歌詞を見つけて、すぐに『アマルコルド』を観ようとしたけど、僕が観たのはメル・ブルックスの『ヤング・フランケンシュタイン』だった。社会にコミットするよりもモラトリアムを決めこむことにしたわけだ。もちろんバンド暮らしはままならず、さまざまな欲望はすべて宙ぶらりんなまま。でも、そんな執行猶予の時間は山上たつひこ氏によって打ち破られようとしていた。
 鳴かず飛ばずの我がバンドに事務所が突きつけた最後通告は「この企画を受けなければ、お前らお払い箱だよ」だった。練馬の駅近くの喫茶店で打ち合わせのために初めて会った山上氏は、『がきデカ』を描いた人とは思えないほどシャイで社会派の人だった。だから、と言うわけでもないが、やってみることにした。東京暮らしをこのまま続けても、失うものは多くはないのだから
 歌詞を書くために、初めて彼の漫画を読み、キーワードをピックアップした。やはりポイントは「死刑!」だろう。問題はサウンドである。明快なノリがあり、かつ斬新なアレンジということで10ccをヒントにする案が浮上した。雑誌とのコラボでもあり、時間はあまりなかった。僕らは、「死刑!」のフレーズがそのまま生かせそうな「Silly Love」という曲を”参考”にすることにした…。
 発売されたシングル盤『恐怖のこまわり君』は、あっという間に、確かオリコンの4位か5位まで駆け登ってしまった。もちろん、爆発的に売れた漫画のおかげなのだが、悪い気はしなかった。ある日、加藤和彦氏の深夜ラジオ、オールナイト・ニッポンで「10ccの曲をこんな風にやっちゃった器用なバンドがいます」と、なんと2曲続けて紹介されたことを聞き、それさえも嬉しく思った。ところが後日、10ccの楽曲を管理している音楽出版社からクレームが入り、それ以降プレスされたシングル盤のクレジットの作曲者名は10ccとの併記になってしまったのである。しかし、そのことさえも喜んでしまったほど、僕らはヘンテコなバンドだった。
P.S. その後の調査によると、『恐怖のこまわり君』は「要注意歌謡曲」には指定されていなくても、それに類するものとして「禁じられた歌」(ルック社)に掲載されているらしい。

北欧のアイテム更新

July 21st, 2011

1.001-2 タピオ・ヴィルカラが代表作「カンタレッリ」シリーズとともに1951年のミラノ・トリエンナーレに出品したとされるグラス・オブジェ”Model#3282″、エリック・ホグランの燭台、スティグ・リンドベリのカラーラ白釉薬が美しい「プンゴ」「ヴェックラ」シリーズ、他にもカイ・フランクのジャグ等アイテム更新しました。
新入荷アイテム、こちらからご覧下さい

column 更新しました。

July 18th, 2011

Img 3037 「バリ島をあさる。」column >>

バリ島をあさる。

July 18th, 2011

 アピチャッポン監督の映画『ブンミおじさん』を観たおかげでジャングルへ行きたくなったのだけれど、舞台となったタイの東北部はまったく不案内なので、多少の土地勘があるバリ島のウブドゥに決めた。一応、短いヴァカンスのつもりだが、鳥取の余韻もあって、インドネシアの民芸などをあらためて見てみたいとも思ったのだ。

 初のシンガポール航空は、噂通りスチュワーデス(って言わないのか今は)のピタッと決まったバティック姿に見とれていたら、あっという間にチャンギ空港着。乗り換えてデンパサールに着いたのは夜の8時くらいだったか。一泊目はスミニャックにあるマデズ・ワルン経営のロスメンを選んだのだが、思った通り、町中にしては静かで部屋も清潔、小さなプールもあって一部屋60ドルとは嬉しい。明日のことを考えて早めに寝床に着いたのだが、ひさびさのバリに興奮したのかなかなか寝付けなかった。
111.001-5
 翌朝は近くのワルンで朝食後近所をジャラン・ジャラン、早速ロスメンの真ん前にあるファブリック屋でサロン用の古いバティック数枚をゲット。その隣のカゴ屋でもバリの農夫がよく使っているようなフツーの籐のカゴを発見。さい先よろしい。午後イチでチャーターした白タクでウブドゥへ向かう。途中腹が減ったので運転手に旨いワルンを教えてもらい昼食。30分超過したからと、事前に交渉した分にプラスした金額を要求された。
222 S.001
 ウブドゥで3泊したホテルは、中心部からシャトル・サービスで20分、アユン河の渓谷沿で、申し分ないホスピタリティだった。午前中はもっぱらプールサイドでゴロゴロ、午後は田んぼの畦道をあっちこっち歩いたり、町へ出てあさったり、という毎日。この「あさる」という言葉、実は先日の鳥取ツアーで知った吉田璋也という民芸のプロデューサーの本で出会ったのだ。 河井寛次郎などと一緒に「街に美をあさる会」というのを京都でやっていたらしく、目下気になっている人物。
 「民芸」といえば「無事の美」、つまり「何事も付け加えない職人の仕事」なのだけれど、これがイザ見つけようとすると結構むずかしい。あまたある店先に並ぶ品々は、ほとんどが様々に余計な意匠をほどこしたものばかり。昼間の暑い時間、呼び込みの声を聞き流しつつ「あさる」のはなかなか骨も折れるが楽しくもある。それにしても、民芸をプロデュースするってのは、簡単なことではない。木材が豊富な島だけに、ナイフやスプーンなどカトラリーにはシンプルなものも見つかったが、やはり古いバティックやイカットなどのファブリック類が面白かった。どちらも各地方や種族の伝統的な模様が配されていて、夢中になって探し回った。バティックは、彼らがカリマンタンと呼ぶボルネオのものが素晴らしく、まるでそのままイームズハウスにあってもサマになる。イカットはやはりジャワ島のものが絵柄が独特で、使い込まれた綿の風合いがDOSAの服のような優しさをたたえている。気がつけば、そろそろ夕闇。ケチャを楽しんだ後はカフェ・ワヤンで蜂蜜入りの地酒「アラック・マドゥー」をやりながら、ハーブたっぷりの魚をバナナの葉で包み蒸し焼きにした「イカン・ペペス」で一日が終わった。
333.001
 とまあ、そんな風な感じで半分ヴァカンスな旅があっという間に終わってしまったのだ。そういえば、バリでは目下オーガニックがブーム。ハーブオイルなどのコスメ系はモチロン、レストランやカフェも。ライステラスに囲まれたサリ・オーガニックの自家菜園サラダとライスワインはオススメ。そうそう、肝心のジャングルはといえば、ホテルの部屋から見える景色がそのままジャングルだった。一日中鳥や虫達の鳴き声がこだましていたし、サルやイタチみたいな小動物が木々をすばやく移動する姿も当たり前に目撃できた。あたり一面に魑魅魍魎の気配。月と満天の星々。 そう、そこらじゅう神様だらけだった。

column更新しました。

July 6th, 2011

1111.001-1「鳥取探訪」ご覧下さい。column >>

盛永省治の「木の器」

July 4th, 2011

111.001-4先日organでも無事展示会を終えた、盛永省治さんの作品たち。その一部を当ウェブサイトでも紹介しました!バラエティに富んだ「木の器」たちをぜひご覧下さい。Wood object >>

鳥取探訪

July 3rd, 2011

 今回の鳥取探訪は、ある日organを訪れてくださった大江さんという鳥取県の観光局の方との出会いから始まりました。デンマークで買い付けてきたばかりのHjorth窯の器を気に入っていただき、それがきっかけで話をするうちに、民藝をはじめとした様々な工芸に対する彼の思いの強さを感じたのです。そして、ぜひ鳥取へいらして下さいというお誘いを頂き、これは行くしかない、ということでENOUGHの仲間と一緒にはせ参じたという次第なのです。
Tottori.001
 2泊3日の旅は、大江さんの綿密なスケジュールのおかげで、とても充実したものとなりました。訪れた窯元は6軒。そのうちの「山根窯」、「岩井窯」、「中井窯」は、3年ほど前に一度伺ったことがあるのですが、ひとくちに鳥取の民藝窯といってもいろいろです。今回あらためて各々の窯が持つ個性をなんとなくですが確認することが出来ました。初めてだった「法勝寺松花窯」では若く可憐な2代目の作品に触れ、「牧谷窯」ではサーフィンと作陶を愛する若者に出会いました。田んぼの中にたたずむ「延興寺窯」では、まるで 夏休みにおじゃまする親戚の叔父さんの家のようにくつろぎました。もちろん、目を皿のようにして品定め、しっかり買付をしてきました。
Tottori2.001

 そのほかにも、弓ヶ浜に古くから伝わる手紬、藍染め、手織りによる絣を伝承している「工房ゆみはま」、和傘の技術を継承している「淀江傘伝承の会」、手漉き和紙で知られる「大因州製紙」などへおじゃまして、伝統の技におもわずため息。大山の裾野にある「植田正治写真美術館」では、アマチュアリズムを貫いたモダンな写真家の存在に驚いたりしながら、山陰路を西に東に駆けめぐりました。折しも季節は梅雨まっただ中。山々の間をぬうように流れる渓流では鮎を釣る人がいたり、水田には田植えを終えた苗が青々として風にたなびいていたものです。そうそう、夜はモチロン、大江さんお薦めの居酒屋で海の幸に舌鼓。めずらしい食材や菓子にも遭遇。8月末に予定している「鳥取の取っておき」展でご披露できるのを楽しみにしています。