水差し
October 31st, 2007
久しぶりに小鹿田まで足を伸ばした。秋の日を浴びた山里はとてもすがすがしく、唐臼のギッコン・バッタンという音が、変わらず谷間中のどかに響いていた。今回は遠来の友人夫妻も一緒。僕らもなんだかいつも以上に新鮮な気分で10軒ほどの窯元をゆっくり堪能した。
いつもは、皿や小鉢などを買うことが多いのだが、その日はなんとなく「水差し」に目がいってしまった。ひょっとすると、東京でやっているバーナード・リーチ展へ行きたいという気持ちが反映したのかもしれない。ご存じのようにリーチは昔、小鹿田を訪れた際に水差しの取っ手部分の付け方を指導したといわれている。多分、取って付きの水差しは日本では珍しかったのだろう。以前訪れた時、ある窯元のおばあさんにリーチ来訪当時のことを伺ったら、村中で”炊きだし”をして歓待したことをなつかしそうに話してくれた。日本滞在中は民芸運動に参加し、東洋、とりわけ朝鮮の焼き物に傾倒したといわれている。また、1920年には濱田庄司を伴ってイギリスに戻り、セント・アイブスに日本風の登り窯を築いて、その地で作陶にいそしむことになる。以前、彼の作品をいくつか大原美術館で見たことがあるが、人目をひくものというより、もの寂びた風情にあふれた温雅な作風が印象に残っている。それは、よく言われることだが、東洋と西洋の伝統美を陶芸という形に融合しようとした結果なのだろう。しかし、「言うは易く、行うは難し」。当時、イギリスにおいて、彼の作品が正当に評価されたとは言いがたい。異質な文化がお互いに補い合うことの必要性は、むしろこれからますます高まるに違いない。その意味において、リーチは先覚者だったといっていい。
今回買い付けてきた小鹿田のおおらかな日用雑器は、そんな文化の相互作用と同時に、生活に生きる手仕事の一端を物語っているように思える。

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イッタラ社の美しいヴィンテージ・アイテムが入荷
October 27th, 2007

当時のイッタラ社でハンド・メイドされたガラスの繊細な美しさは、他にたとえようがありません。タピオ・ウィルカラがデザインした照明や、ティモ・サルパネヴァのテーブルウェア等、新入荷しました。
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「素敵な歌と舟はゆく」
October 27th, 2007
僕にとって映画とは、見ている間、自分がいかに反応出来るかという、いわばリトマス試験紙のようなもの。だめだと思ったら、すぐに席を立ちたくなってしまう。もちろん、お金はもったいないけど、反応できずにストーリーだけ追うほど苦痛なことはない。なにより最近はDVDの自宅鑑賞なので、つまらないと思ったら遠慮せずにベッドに直行できてしまう。
オタール・イオセリアーニ。この旧ソビエト連邦、グルジア出身の監督の映画は初体験だったけど、タイトルバックのピアノ音楽が流れた瞬間になんだか良い予感。本編が始まって5分もすると、それは確信に変わった。なんか人を食ったような登場人物と、少ないせりふ、コミカルな所作は、あのジャック・タチに通じる。ただし、タチのホノボノ感の代わりに漂うのは、かなりニヒルな視点。例えば、金持ちのボンボンがパリのカフェで皿洗いをして、隣のカフェのネエちゃんに恋するも、彼女はイカレたバイク野郎になびいてしまう。だいたい、なんでボンボンがわざわざ労働者ぶるのか、レイプされそうになったネエちゃんはどうしてバイク野郎と結婚するのか、その他いっさい説明めいたことがない。これに比べると、同じ群像劇を描いたロバート・アルトマンのブラック・ユーモアは道徳的とさえいえる。
この映画には、いい人、悪い人、幸せ、不幸せ、金持ち、貧乏などという類型的な構図はなく、すべての登場人物が、清濁合わせ持つアンビバレントな状態で、それなりに勝手に生きている。それがいい。それぞれがひたすらワインを飲み、セックスに励み、泥棒をして刑務所に入ったりしながら、人生という時間をせっせと費やしている。楽しいかどうかは、多分本人にさえわからない。時々そうだし、おおむねそうじゃない。かといって、失望しないし、希望なんて絵空事にも同意できない。いっそ幻想くらい持てればまだしも・・。
それにしても、映画の最後で南の島に出奔してしまう金持ちじいさんという「おいしい役」をけろっと演じてしまうイオセリアーニ。ソ連をおん出た監督ならではのアナーキーさなんだろう。近々新作が公開されるらしい。ただし、東京での話。福岡で見れるのはやはりDVD化されてからなのだろうか。たまには映画館で化学反応してみたいもの。
やめられないトートバッグ
October 20th, 2007
どこの国に行っても、かならずといっていいほど目で追っているショッピングバッグ。
アメリカは特に、ショッピングバッグが定着している国のひとつ。
いいシステムだと思っているし、個人的にも大好きですね。
今回も、ロサンゼルスとサンフランシスコより持ち帰りました。
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dosaでドネーション。
October 20th, 2007
買付の合間に、dosaのパーティーに誘われた。韓国生まれのクリスティーナ・キムがデザインした服には、自然素材を使った適度なエスノ感と巧みなソフィスティケーションがある。生地から作ったという軽やかなドレスは、一年中、春か夏みたいなL.A.にはピッタリ。パーティーといっても、どうやら購入も出来るらしい。これから冬に向かう日本には不向きなのでは、という僕の考えは我が奥さんには通じないらしく、レイヤーする服だから大丈夫という。。
ところが、入場するには「ドネーション」として100ドル必要らしい。聞き慣れない言葉だが、どうやら「寄付」の意味らしい。アメリカ人は太っ腹だな、と感心する。「赤い羽根」の呼びかけにも素通りしてしまう僕には、かなり縁遠い話だが、この際腹をくくるしかない。なにせ、そうそうある機会ではないのだから。
会場はダウンタウンにあるビルの中。まるで、田中小実昌が酔っぱらって今にも出てきそうなバーなどもある、ちょっとうらぶれた地区だ。冷やかしのつもりで入った洋品店でリーヴァイス501xxレプリカモデルが29.99ドルだったので買ってしまう。で、そのまま穿く。パリパリの生ジーンズがアメリカ気分!(ところが、後日帰国してよく見ると「メイド・イン・メキシコ」だった。)
エレベーターを降りると、そのままワンフロアーが会場だった。それにしても広い。「何坪あるんだろう」とか、考える気にもならない。本物のロフトである。このあたりは昔工場などが入ったビルが多かったらしいけど、今はさびれているためわりと安く借りられるのだろうか。壁のレンガがフェイクじゃなくていい感じだ。こんな広々とした会場に、服や雑貨がゆったりと並べられている景色は確かに初めてだ。
ところで、肝心のドネーションだが、どうやらこちらの勘違いだったようだ。実際は入場料ではなく、1000ドル以上の買い物をすればそのうち100ドルを寄付に当て、代わりに限定トートバッグがもらえる。もし、バッグだけが欲しければ100ドルで販売するというもの。なるほど。それにしても、一枚一枚シルク・プリントしたアートっぽいトートバッグには惹かれる。しかし、いくら奥さんがdosa好きだとしても、1000ドルの買い物は財布が許さない。「よし」とばかりにバッグを購入しようとしたのだが、なにせ手刷りで、各々色もパターンも全部違う。数枚から選ぶのならまだしも、かなりの枚数である。あれもこれもと目移りする内にだんだん面倒になり、結局断念。初のドネーションはかくして未遂のまま、サーヴィング・コーナーでおいしいワインとイチジクを頂きダウンタウンを後にした。
いろいろなことがアメリカナイズされるなか、ドネーションはまだまだ我が国ではなじみが薄い。ドナー(臓器提供)って言葉はニュースで聞くけど。
アメリカ西海岸 #03 “Niemeyer House”
October 19th, 2007
最近印象的だった本に”MODERNIST PARADISE”がある。L.A.にあるオスカー・ニーマイヤー建築のヴィラに住む稀代のモダン・デザイン・ディーラー、マイケル・ボイド氏のコレクションを一冊にまとめたものである。そのコレクションたるや、まさに驚愕もの。
バウハウスからミッド・センチュリー、そしてコンテンポラリーまで、完璧なプライベート・ミュージアム状態。今回、幸運にも前述のtortoisさんの紹介で、お宅へおじゃますることに。
サンタ・モニカのはずれの閑静な住宅地にある館は降り注ぐカリフォルニアの光を浴びている。早速ボイド氏の案内で室内を見せてもらうと、そこには本で見た光景が広がっている。リートフェルトからイームズ、プルーヴェ、ペリアン、シャロウそして数々のデザイン・イコンな椅子、家具。そしてジューヴの陶器やノルの木彫、ムイユの照明などがしかるべきアレンジで僕らを取り囲んでいる。でも、不思議に威圧感や緊張感がない。ある部屋のドアを開けると、そこには息子さんがネルソンのソファに座ってノートパソコンに向かっている。ハイエンドなデザインが、一定の統一感の中で生活に生かされているのだ。ボイド氏はそれを”Quiet Design”と呼ぶ。NYのギャラリー”MOSS”などのめまぐるしく変化するデザイン業界のやり方には当然、批判的だ。キュレーションも手がける彼は、現在リートフェルトvsドナルド・ジャッドなど、ツボを突いたプログラムの展覧会を企画中とか。
最後に「なにかトレードしませんか」との言葉に、「Yanagiのバタフライ・スツールの小さいヴァージョンは?」と返したら「エッ、そんなのあるの」と興味ありげ。でも、何と交換してもらえるか、それが問題だ。

なんとなくハッピー
October 18th, 2007
たまたま、東京から遅れて合流することになった人を迎えるために、サンフランシスコから車を飛ばし、早めにL.A.の空港に付いた僕らは到着ロビーで所在なげに待っていた。そこにはイームズの”タンデム・チェア(*1)”があるものの、わりと混んでいて座ることも出来ずにその側を通り過ぎようとした時、「Tさんですよね」と声を掛けられた。
振り返ると、タンデム・チェアの端っこに座っている二人(男はちょっとくたびれ感がある中年の白人、女性は若めの日本人)のうちの女性が僕に声を掛けたようである。
「やっぱりTさんだ」。
うれしそうな声と、特徴的なキョロッとした目を見て、突然20年前の記憶がよみがえってきた。当時、僕は輸入レコード屋に勤めていて、確か彼女はまだ中学生だったはず。笑うたびに、矯正ブラケットが光る口で「ロバート・ワイアットは、自動車事故で足を無くして唄に専念するようになったんですか?」などという質問を投げかける、若くマニアックなお客さんだったのだ。
「久しぶり。で、L.A.で何してるんです」、とりあえずの質問に、
「2年前からL.A.に住んでて、今日か明日、結婚するんです。で、家族が日本からやってくるのをここで待ってるんです」という言葉が返ってきた。
時の経つのは何とやら。進学で東京に行ったのが最後だったはずで、その後の消息は一切知らなかった。それにしても、「今日か明日」ってのはさすがL.A.,アバウトなのだ。
「へー、そうなんだ。ひょっとして隣の方が・・・」、と地味目なおじさんに目線を移すと、「ええ、スパークスのロン・メールです」と、もう矯正ブラケットは無い口から、実に驚天動地な答えが返ってきた。
SPARKS。このなんともシンプルな名を持つ兄弟ユニットの名前を何人の音楽ファンが記憶しているのか、僕には見当が付かない。アイドルっぽい風貌でヴォーカル担当の弟ラッセル・メールと、オールバックにチョビ髭、いつも白のランニング・シャツ姿でキーボードを弾く異形の兄ロン・メールは、当時、僕が参加していたバンドに少なからず影響を与えてくれた。1970年代、ロックの創生期は過ぎ、シーンが何となく煮詰まっていた時期だった。ザ・バンドに夢中だった僕らは台頭してきたイーグルスなどのウエスト・コースト・サウンドにはまったくなじめず、今野雄二さんが提唱する”ロック・マニエリズム(*2)”に傾倒していった。形骸化したロック産業をシニカルかつアーティスティックに批評するかのような、このキッチュで斬新な音楽の代表格はロキシー・ミュージックをはじめとするイギリス勢だった(SPARKSだけは、なぜかL.A.出身)。彼らは凝った演奏や衣装に加えて、ジャケット・ワークにも新しさを持ち込んだ。そんな中でも、スパークスは格別だった。デビュー作「キモノ・マイ・ハウス」が、ヨーロッパで受けたのはケバケバしく髪を振り乱した二人の日本人らしい着もの姿を使ったそのジャケットに一因があったことは確かだろう(ジャケに惹かれて買った人は、ファルセットっぽい素っ頓狂なヴォーカルを聞いてとまどったかもしれないが)。でも、僕らはそのキテレツなプレゼンスをとてもカッコイイと思った。現に、ヴォーカルのAちゃんなどはロン・メールまがいのチョビ髭をたくわえてステージに立ったりしたものだ。
ともあれ、その時、僕の目の前にはスパークスの中心人物がいたが、もはやチョビ髭ではなかった。彼は白くなったコールマン髭と、多分染めたのだろう真っ黒な髪で立ち上がり、近寄ってきて握手をしてくれた。もちろん僕は感激して、お定まりの言葉を口にした。
「僕は、ずっとあなたの熱烈なファンでした」と。
言った途端に、後悔した。なぜ、現在形じゃないんだ。あわてて、質問を浴びせかけてしまった。
「最近はアルバム出してないのですか?」。
彼は、真顔になって答えた。
「今年、出しました。聞いてくれましたか?」。
「・・・、実はまだ・・・」、
「後で送りますから、良かったら聞いてください」。
しかし、日本に帰ってひと月、今だにそのCDは届いていない。
といって、自分で買いに行く気配もない。
ただ、なんとなくハッピーな気分が残っているのは確かなんだけど。
*1 イームズがシカゴのオヘア空港の為にデザインし1962年にハーマン・ミラーより発売された。その後世界中の空港で使用されている。座り心地の良さは格別で、旅の気分も盛り上がる。福岡の老舗デパート「岩田屋」にも残っている。
*2 ビッグ・スターを輩出し商業化してしまったロック界を、一度壊してあらたな地平を築こうと模索した動き。美術用語を今野氏が独自に転用したものだと思う。後のパンクやニューウェーヴなどが生まれるまでの橋渡しをした功績は無視できない。セイラー、スプリット・エンズ、10cc、ルイス・フューレー、デフ・スクール、コックニー・レヴェル、アレックス・ハーヴェイ・バンドなどがいた。
イベントのお知らせ Talk Live vol.2 「ぼくの一冊」
October 11th, 2007
薬院にある「ダーラヘスト・カフェ」でトーク・イヴェントがあります。
「ぼくの一冊」と題して、4人のおじさんが、好きな本について話をするというもので、僕も参加します。毎晩かかさず寝がけに読む癖はあるのですが、あらたまって好きな本といわれると、考えてしまいます。寝酒代わりといってはなんですが、何冊かをその日の気分で読み散らしているわけで、さてチャールズ・ブコウスキーか、いや田中小実昌でいこうかとか悩んでいます。そういえば、2人ともロサンジェルスにゆかりがあります。ブコウスキーの小説には、ハリウッドあたりがよく登場しますし、コミさんはダウンタウンあたり。ま、2人ともバーで酔っぱらってウンヌン話だったりしますが、実際にコミさんはLAで客死してしまうんです。でも、昔やってたテレビ「イレブンPM」での彼の”ポロポロ姿”を知ってる人って、今、果たして何人くらいいるんだろうか。日本では希有な存在だったのに。
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October 11th, 2007
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フランス語教室ROVA福岡校 説明会
October 6th, 2007

おかげさまでご好評をいただきながら、早くも今年9年目を迎えることになりました小柳帝が主宰するフランス語教室ROVA福岡校が、この度新しく受講生を募集いたします。
つきましては、2007年11月17日(土)に、organにて説明会を開催しますので、フランス語がはじめての方も、多少心得のある方も、ROVAにご興味のある方はぜひご参加ください。
当日は、イヴェント形式で説明会を行いますので、参加費として500円お預かりしますことをあらかじめご了承の上おいでください。
受講生の定員には限りがありますので、説明会に参加していただいた方を優先してご入会いただきますが(多少、遅刻していらしても大丈夫です)どうしても当日いらっしゃることができない方は、ROVAまでメールにてお問い合わせ下さい。
なお、ROVAに関するすべてのお問い合わせも、下記のメールアドレス(携帯からも送信可能です)までお願いいたします。
ROVA e-mail : ECOLE_ROVA@hotmail.com