パリの居心地。
November 13th, 2011
アントワープの居心地。
November 9th, 2011
鳥取探訪
July 3rd, 2011
今回の鳥取探訪は、ある日organを訪れてくださった大江さんという鳥取県の観光局の方との出会いから始まりました。デンマークで買い付けてきたばかりのHjorth窯の器を気に入っていただき、それがきっかけで話をするうちに、民藝をはじめとした様々な工芸に対する彼の思いの強さを感じたのです。そして、ぜひ鳥取へいらして下さいというお誘いを頂き、これは行くしかない、ということでENOUGHの仲間と一緒にはせ参じたという次第なのです。
2泊3日の旅は、大江さんの綿密なスケジュールのおかげで、とても充実したものとなりました。訪れた窯元は6軒。そのうちの「山根窯」、「岩井窯」、「中井窯」は、3年ほど前に一度伺ったことがあるのですが、ひとくちに鳥取の民藝窯といってもいろいろです。今回あらためて各々の窯が持つ個性をなんとなくですが確認することが出来ました。初めてだった「法勝寺松花窯」では若く可憐な2代目の作品に触れ、「牧谷窯」ではサーフィンと作陶を愛する若者に出会いました。田んぼの中にたたずむ「延興寺窯」では、まるで 夏休みにおじゃまする親戚の叔父さんの家のようにくつろぎました。もちろん、目を皿のようにして品定め、しっかり買付をしてきました。
そのほかにも、弓ヶ浜に古くから伝わる手紬、藍染め、手織りによる絣を伝承している「工房ゆみはま」、和傘の技術を継承している「淀江傘伝承の会」、手漉き和紙で知られる「大因州製紙」などへおじゃまして、伝統の技におもわずため息。大山の裾野にある「植田正治写真美術館」では、アマチュアリズムを貫いたモダンな写真家の存在に驚いたりしながら、山陰路を西に東に駆けめぐりました。折しも季節は梅雨まっただ中。山々の間をぬうように流れる渓流では鮎を釣る人がいたり、水田には田植えを終えた苗が青々として風にたなびいていたものです。そうそう、夜はモチロン、大江さんお薦めの居酒屋で海の幸に舌鼓。めずらしい食材や菓子にも遭遇。8月末に予定している「鳥取の取っておき」展でご披露できるのを楽しみにしています。
パリ、マラケシュ、ジュネーブ
October 31st, 2009
今回のツアーはパリ、マラケシュ、ジュネーブの3個所。パリではシャルロット・ペリアンや、マシュー・マテゴ、ピエール・ガーリッシュなどフレンチ・モダンの家具や、60年代のアトリエコートなどフランスらしいエスプリに溢れたアイテムを買い付け、また、マラケシュでは絨毯やアフリカのファブリックなどクラフト感溢れる商品を見つけることができました。そして、スイスでは念願だったコルビュジェの「小さな家」を見学。おまけにモンブランを間近に体感することもできました。
パリではちょうど”Les Puces du Design”と呼ばれるイヴェントが開催中でした。フランス中から集まったユーズド・モダン家具屋さんがテント小屋で自慢の逸品を展示販売。顔見知りのディーラーさんもいて、近況を報告。家族連れでにぎわう光景に、ヨーロッパの人々の古い家具やデザインへの日常的な関心の高さを、あらためて認識しました。そうそう、クリニャンクールにあるマルシェ・ポールベールではフレンチ50’デザイナー、アラン・リシャールのエキシビジョンに遭遇。来年には、装飾美術館でフレンチ・モダンの回顧展も開かれる模様。北欧に続いて、知られざるフレンチ・デザインの扉が開かれそうです。
コルビュジェが住んでいたアパルトマンを初めて訪れることができました。写真ではおなじみだったけど、実際に見ると、自分らしく住むために様々な工夫をこらして徹底的に「住みこなす」姿勢に感激。巨匠というより、色んなジャンルを横断する多彩なアーティストだったことを知ることができ、なんだか身近に感じてしまいました。そして、スイスにある「小さな家」を見ることで、さらにその感を強くしました。故加藤和彦さんではありませんが「家をつくるなら、草の萌えるにおいのするカアペットをひきたいと思うのであります」、などと思ってしまいました。
モロッコは、ポール・ボウルズの「シェルタリング・スカイ」で、その不条理な世界に一方的な興味を抱いていただけなのですが、やはり赤土と真っ青な空のコントラストが強烈な異境でした。スークに迷い、グナワのリズムに陶酔する間もない3日間でしたが、貴重な体験だったと思います。
そんな欲張りな旅のアレコレはブログ”murmur”にアップしていますので、ご覧になって下さい。また、買い付けてきた商品は店頭に並んでおります。ホームページにも順次掲載いたしますのでお楽しみに。
「地上33階、生活芸術部屋」
July 23rd, 2009
コペンハーゲン、フィレンツェ、パリへ行ってきました。
March 29th, 2009
Hilltribesの町、チェンマイ。
March 6th, 2009
タイ北部の町チェンマイは14世紀頃に栄えたランナー王国の古都。そして、西のミャンマー、東のラオスなどヒルトライブ(山岳民族)の文化が色鮮やかに反映した町でもあります。今回は、そんなクロスカルチャーを背景にした多様なクラフト作品をタップリ堪能しました。まずは銀製品、それも前回すっかり魅了されたアカ族やヤフ族のバングルに夢中でした。ガッツリとしたファルムと様々な意匠はどれも魅力的。特にぶっといシルバーを力ずくでネジったかのような形は、古い本などでも目にする伝統的なもの。なんだか、ジョージア・オキーフが付けるとよく似合いそうな、シンプルな力強さに満ちています。また、モン族独特の意匠である「鍵型」のペンダントは、とてもユニークな形をしています。伝統的なセレモニーの際、人の魂が体から抜け出ない為に身につけたものだと言われています。それにしても、ネジネジやグルグル巻きなど、プリミティブなデザインの美しさはいつの時代にも通用するモダンな感覚だと再確認。特に古いものが持つパティーナには、抗しがたい「たたずまい」が感じられました。「布」も多様です。市場で売っているチープで鮮やかなチェックを選ぶ楽しさは、時を忘れてしまいそう(この布、後日訪れたエレファント・キャンプで、マフートと呼ばれるカレン族の象使い達が腰巻きに使っていました、場合によってはタオルにも。まさにそれらは北タイのワーク・ウェアだったのです)。それと対極的に凝った刺繍を施した布は、まさに万華鏡の世界です。糸と針を使い、ひとつひとつ丹念にこしらえられたパシン(筒型サロン)やブランケットにはたくさんの思いと時間が詰まっているかのようです。また、モン族のマーケットに行くと、目が回るほど多彩な文様のスカートやバッグが山積みされています。モウモウと揚がる埃と格闘しながら選ぶ気分はサイケデリック。そのモチーフの無限ともいえる組み合わせには、まったくもって「おそれ入谷の鬼子母神」です。モチロン、dosa大好きなウチの奥さん、テンションは、上がりっぱなしでした。
もうひとつ、忘れてならないのが「食」。タイ料理と聞いて一般的に思い浮かべられる激辛酸っぱい「トムヤムクン」的な食べものは、実はタイ南部のもの。チェンマイを含めた北部はカオニャオ(モチ米)が特に美味しく、様々な香草を使った多様な食文化はヘルシーで我々日本人にも食べやすいものが多いのです。特に、スパイス使いが巧みで、「あんまり食欲がないなー」などと思っていても、ナンプリックと呼ばれる辛いペーストを付けると肉もご飯もつい完食してしまいます。一回に食べる量が少ないためか、一日に4回とか5回たべる人も珍しくないらしいのですが、その割には肥満体の人はほとんど見かけません。カオ・ソーイ(カレー麺)、ガイヤーン(鳥の丸焼き)、サイウア(ソーセージ)、ソムタム・タイ(青パパイアサラダ)、ジョーグ(すりつぶしたお粥)などなど、数え上げたらきりがない数々の食堂の味。すぐにでも飛行機に飛び乗りたくなる誘惑に駆られそうで恐いくらいなのです。
サンタフェへ行ってきました
November 5th, 2008
先月末、アメリカはサンタフェへ行ってきました。1980年代末、「サンタフェ・スタイル」という本に出会って以来、いつかは行ってみたい場所だったからです。当時はインテリアが一般的に意識され始めた時期で、ご多分に漏れず僕も「フレンチ・スタイル」、「ロフト・スタイル」、「ハイテク・スタイル」などといった洋書を見てはため息をついていたもの。そんな中でも「サンタフェ・スタイル」は、都会を離れても洗練ということがあり得ることを教えてくれた初めての提案だったように思います。その後、画家ジョージア・オキーフに興味を持ち、彼女がその後半生を過ごしたサンタフェ郊外のアビキューにある家が見学可能だと聞くと、「もう行くしかない」状態になったのです。それにしても、遠かった。昼頃福岡を出て成田へ、そしてL.A.で乗り換え、17時間の時差を越えてアルバカーキに着いたのは同日の夜。レンタカーを借り、その夜はモーテルで1泊。次の日サンタフェへ向かいました。時差ぼけでフラフラしつつも、まずはアレキサンダー・ジラルドの「フォーク・アート・ミュージアム」へ。「カチナ」と呼ばれるネイティブ・アメリカンのものを始め、世界中の人形がコレクションされています。ジラルドといえば、イームズにメキシカン・アートの面白さを伝授した人。ここニューメキシコ州は、その名の通りメキシコ領だったところ。アメリカといっても文化的にはネイティブ・アメリカン、ラテン、そして白人と、3つの文化が複雑に混在した場所なのです。
そうそう、ここサンタフェにはジラルドが手がけたレストランもあります。といわけで、そのレストラン「コンパウンド」へ昼食を食べに行きました。店内は白い漆喰壁で、あちらこちらにジラルドの作品が配されていてとてもシック。もちろん、味も文句なしでした。食べ物と言えば、Whole Foodsというオーガニックなスーパーマーケットもサイコーでした。おかげで美味しいデリをテイクアウトして、モーテルで持ち込み夕食が楽しめました。明けて3日目はオキーフ・ミュージアムへ。初期のドローイングや水彩画も素晴らしかったけど、彼女の生き方自体に惹かれる身としては、動くオキーフの姿が初めてビデオで見れたのが嬉しかった。声は低めで早口なその語り口は、ストイックな彼女のイメージ通り。そして翌日は念願の自宅見学。その息をのむほどの静謐な世界にすっかり圧倒されてしまいました。写真撮影は禁止のため、一切は脳裏に焼き付けるしかなかったわけで、それがかえって良かったのかも。アドビの土壁にサーリネンやイームズの椅子が置かれた様は、まるで民芸+モダニズムにも通じる理想の空間でした。
サンタフェ周辺には見所がたくさんあり、残り2日間はかけ足でそのいくつかを駆けめぐりました。まずは、ゴーストランチという場所にあるオキーフのアトリエ跡。風化した荒々しい山や崖の風景はまるで西部劇そのまま。馬に乗ったジョン・ウェインが今にも現れそうで、おもわずテンガロン・ハットを買ってしまいました。タオスという町にあるネイティブ・アメリカンの古い住居跡にはつい長居をしました。いくつかのショップを覗いては美しいターコイスや銀のアクセサリーを購入したからです。小さな店の中はシダー(ヒノキ科)の束を燃やした香りがまるで線香のように漂い、なんだかスピリチュアル。親戚の叔父さんみたいな顔をした店主の笑顔が今でも忘れられません。最後は大好きなチマヨ・ベストを求めて山間の小さな村へ。あいにくレンタカーのGPSがうまく作動せず、小道で迷っている時、ポツンとたたずむ農家がありました。ふと見ると、入り口にはバラク・オバマを支持するサインがかかっていました。そう、アメリカは大統領選まっただ中だったのです。変革を求める声はこんなところにも在るのだ、となんだか頼もしくなりました。肝心の織物店「オルテガ」、「センティネラ」はそのすぐ近くでした。大きな織機でガタン、ゴトンと仕事をしていたアーヴィングさんは日本の絣(かすり)が大好きとのこと。一度、ぜひ日本へ行きたいと仰っていました。
昔、”あきれたぼういず”という漫談トリオが、「地球の上に朝がくりゃ、その裏側は夜だろうー・・・」と唄っていました。アメリカをはるか上空から見ていると、なぜかこの唄を思い出します。まるで人跡未踏のように見える荒涼とした大地は、地球が惑星であることを思い出させてくれるようです。でも、いったん地上に舞い降りると、そこには様々な人々が違った文化を抱えて今日も生きています。これからも、様々な問題を抱えながら歩み続けるこの国への興味は尽きそうにありません。
organには、ナバホのターコイスや銀のアクセサリー、チマヨの織物など、トライブ感あふれる商品が入荷しています。ご来店をお待ちしています。
鹿児島へ行ってきました
July 6th, 2008
梅雨の合間をぬって、鹿児島へ行ってきました。プレイマウンテンの中原さんがプロデュースした店”DWELL”を見てみたいと思っていた矢先に、大阪dieciの田丸さんご夫妻から「行きましょう」、とお誘いがあったから実現したようなものです。ENOUGHの野見山さん、田中さんも日帰りながらも強行参加です。日頃、仕事の面でもお世話になっている方々の新しい店を、仲の良い人々と一緒に訪れるのはとても嬉しいことです。良い刺激になるし、勉強にもなります。そして、今回はプレイマウンテンの郷古さんにナヴィをしてもらえるということで、いやが上にも期待が高まります。
鹿児島空港で全員落ち合い、まずは”Factory 1202″へ。ここは、プレイマウンテンの家具などを製作しているところ。オーナーの川畑さんのオープンマインドな気持ちが伝わってくるような、ゆったりとした自宅兼工房です。プルーヴェやペリアンをリスペクトした作品を見て、なんだか嬉しくなりました。そんな中でも、子供とお母さんが対面で座れるというアイデアの新作デスクが素晴らしく、とても気になりました。。バターナイフをつくるワークショップも面白そうです。今度、機会があればぜひorganでもやってみたいものです。それにしても、こんな環境の中で物作りが出来るとは、うらやましい限りです。
そんな川畑さんが案内してくれたのが障害者支援センター「しょうぶ学園」。僕も、友人の紹介で福岡の施設の人たちの作品に触れたり、少しだけorganで取り扱わせてもらっていることもあり、ぜひ訪れてみたい場所だったのです。でも、ここは期待を遙かに上回るところでした。まず、広い中庭を中心とした敷地内に点在する各施設が、まるでプラーべートなホテルのようです。各工房では、木工、陶芸、染め織り、刺繍、和紙、パン作り、音楽などの創作が行われています。障害者の芸術活動は、近年、日本でも注目されている表現分野です。健常者にありがちなバランスを持つ表現ではなく、あくまで自己流で伝えられる表現は、とても刺激的でサイケデリックでさえあります。コム・デ・ギャルソン顔負けの刺繍や、めくるめく土塊なんて見ていると、思わずドキドキしてしまいます。多分、指導されている方々のディレクションも功を奏しているのだと思います。数点ですが、買い物をしました。その中でも、木の切り株を削り、白く塗ったスツールはゲルチョップなんか目じゃないくらいにイカしてると思います。なんたって、生ですもの。
お目当ての”DWELL”は、鹿児島港近くで、すぐ前がドーンと桜島という絶好のロケーション。石造りの倉庫を上手に利用した店内に、家具やクラフトがしっくりと馴染んでいます。相方は早速、竹かごを購入してました。さすがに南方の竹は粘りがあってしなやか。僕は、カフェのよく冷えたビールで一休み。ついつい長居したくなるスペースです。ここから発信される様々な事柄が、きっと鹿児島のシーンを変えてゆきそうな気がします。個性的なアクセサリーを作る宮本さんの”samulo”や、美しい木のボウルが素晴らしい盛永さんの”Crate”など、目が離せない作家さんの宝庫なのです。
翌日は、「沈寿官」という古くからの薩摩焼の窯元を訪ねました。以前、司馬遼太郎の「故郷、忘じがたく候」を読み、いつか訪れてみたかったところです。慶長の役が終わった1598年に日本に連れてこられた陶工の子孫は、現在で15代目。薩摩藩の御用窯として素晴らしい白薩摩、黒薩摩が残されています。幸運なことに、薩摩の伝統的武家屋敷様式であるベンガラ壁の座敷を拝見させて頂き、その後資料館では精緻な工芸作品の数々に圧倒されました。考えてみると、九州にはこうした帰化朝鮮陶工たちの足跡が点在しています。それらは、民芸として生活の為の雑器として、あるいは官窯の高級品として、そして芸術表現として独自の発展を遂げてきました。そんな様々な焼き物を発見することが出来るのはうれしい限り。九州に住んでてラッキーです。
そういえば 「まぐろラーメン」に出会えたのもラッキーでした。場所はまぐろで有名な串木野。どんな味かは、あえて言いません。豚骨が少々胃にこたえる年になった僕にはまるで救世主。わさびが薬味ってとこもお茶漬けみたいで新鮮。これだったら、スープも残さず完食できそうです。そして、最後を締めたのは「薩摩揚げ」。まるで、キッシュのように甘くてホッコリした味が格別でした。
「次回はぜひ、沖縄へ行きましょう」と、みんなで約束。 その後、田丸夫妻と一緒に車で福岡へ。途中、人吉の名民芸店「魚座」や、熊本の小代焼きなどに立ち寄り、焼き物三昧を楽しみました。
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Factory 1202
鹿児島市本名町1202
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DWELL playmountain
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samulo
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