「馬には乗ってみろ、馬には蹴られてみろ」その四

ひょん | デザイン・建築 旅
DATEJun 21. 24

ウランバートルにはモンゴルの人口320万人の約半数が集まっていている。高層ビルやタワーマンションがニョキニョキだ。だけど、建築途中でストップしたまま雨ざらしで、どう見てもほったらかしのビルが目につく。都会ぶりっこのくせに、ビルの谷間には旧ソビエト時代のいかにもロシアっぽいワーニャ叔父さんが住んでいそうな古めかしい館が廃墟にならずにポツポツ残っていて、取り残された建物とニョキニョキが共存している。旧社会主義国が資本主義の洗礼を受けて、今となっては力ずくの変容を遂げている格好なのか。日本からの投資も多く、2021年に開港したチンギスハーン国際空港は日本のマネジメント会社が51%出資、運営しているらしい。でも、考えてみると、モンゴルと日本の関係は今に始まった事ではない。

第二次大戦後、旧日本軍の捕虜たちが建設したというピンク色のモンゴル国立オペラ・バレエ劇場が街の中心部に今も健在だ。この国は、日本が1932年に植民地化した旧満州に隣接した場所で、日本語を学び、日本へ親近感を抱いた人もいたし、反感を持った人々もいた。私ごとだが、父は旧満州の大連で兵役を務めていた。それは僕が生まれる17年前で、案外それほど遠い昔の出来事ではなく、つまり僕にもモンゴルにかすかだが因縁がないわけでもない。ついでだが、父は下級将校だったので馬を支給されていて、馬が好きだったのか、乗り過ぎて痔になったと言っていたが、実戦には参加せずに復員している。だからなのか、彼の地での人々のことを悪く言ったことがない。それどころか、後年になっても何度か中国へ行き、親しかった友人に会っている。つまり、父の満州なりモンゴルへの印象は悪くなかったのだろう。

日本へ帰る前日、テレルジ国立公園に行くことにしたのは、そこに”アーリアバル”と呼ばれるチベット仏教の小さな僧院があると知ったからだった。たくさんのゲル・キャンプがあるリゾート地として知られる場所の向こうの悪路の先には、岩山の急な階段が待ち受けていた。途中で3回ほど休んで横になって空を見上げると、冷たい風が顔をなぶり、雲が近くで流れていた。たどり着いた寺からの見晴らしが効きすぎて、遠近感が狂ってしまう。おまけに寺の内部は思いっきりサイケデリックだ。つまり修行をするよりも、解放感に浸ることが似合う場所だった。

モンゴルへ来る前にかじったところによると、チベット仏教の悟りは「欲望を保持したまま悟りをひらくことができる」ということだった。欲望を捨てなくても済むなら、僕にも可能かも。でも”解脱”なんて土台無理だ。モノにしろ、セイシンにしろ、それから「解脱」できる人などこの世にいるのだろうか。死ねば肉体から解放され、それが解脱かもしれないが、急いで浄土にゆきたいという気はまだまだおこらない。

モンゴル帝国は世界で初めて紙幣を発行した。それは他者同士の欲望への信頼の証だったかもしれないから「商業」は無闇に発展したが、格差は広がった。でも今では、だれしも、空虚一歩手前の気持ちに襲われている。
モンゴルに来て草原で味わった「遠近感がなくなる」ような感覚とは、一体なんだったのだろう。遠くまでを俯瞰できることで、地球の大きさとかを感じたのだろうか。逆に、地球とは実は大きくはない、小さな惑星に見えたのだろうか。それどころか、時間の遠近法でいえば、地球は若輩の星なのかもしれない。たかだかの歴史に「進化」なんてあるのかな。この星はこの先、どんな「変化」をするのだろうか。