モンゴルで出会ったNomad Horse Campのオーナー、ムギーさんの話を続けたい。
日本に留学したムギーさんは、その後モンゴルへ戻って商社に務めたのだが、ある日久しぶりに馬に乗ったところ、忘れかけていたモンゴルの馬の魅力に気がついたという。そこで思い立ったのが正規の乗馬サーヴィスを提供するゲル・キャンプという施設だった。今では日本から馬好きの常連客も訪れるらしいのだが、それとは知らずやってきたぼくに対して「この前も馬に乗るよりもただボンヤリするためにやって来た日本の男性がいました」と言葉をかけてくれる人である。
だからでもないが、日本語が達者なムギーさんに、いろんなことを質問してみたくなったのだろう。
例えば、「今朝、あそこに見える丘の上に登ってみたら、頂上の石積みに動物の頭蓋骨が二つ飾ってあったけど、あれは狼にやられた羊と馬ですか」と訊ねたら、「そうですが、狼は人間を襲うことはありません。彼らは弱ってしまった病気の家畜などを食べます。それは草原を掃除してくれていることになります」との答えが返ってきた。
そうか、ひょっとすると、チベット的鳥葬なのかなんて一瞬思ったけど、草原の狼のなすべき仕事だったんだ。
もう一つは、モンゴルへ来る前に読んだ司馬遼太郎の本にあった”あらかじめ干し草を貯蔵しておいて家畜の餌とするのか、それをせずに、冬でも餌となる草がある場所へ移動するか”という、つまり遊牧民にもふたつの選択肢があるという、ちょっと細かすぎる質問だった。
この質問は、司馬さんの本にあった、遊牧民であるモンゴル人と、定住農耕民である漢民族の紀元前からの関係性にも繋がる、面倒な質問でもある。
例えば、漢民族は昔から匈奴などの遊牧民を神出鬼没で害を及ぼす、粗野で文化を持たない”蛮族”と見ていたし、一方の遊牧民は漢民族を土をやたらに掘り返しては農地にして、そこから得た作物を貯蔵し、その土地に縛られて生きる”カッコ悪い”民族と見ていたようだ(一度耕作地にされた土は、再び牧草地には戻らないとも聞いた)。その後、色々な遊牧騎馬民族が漢民族の土地を侵略し、それなりに中国に同化しいくつかの王朝を打ち立てた。それがモンゴル族による「元王朝」であり、最後が「清朝」だったわけだ。その際には、定住農耕と遊牧を合わせた統治もおこなわざるを得なくなっただろう。
ムギーさんは「干し草貯蔵」の問いに対して、ちょっと考えてから答えた。
「遊牧民にとって家畜は草原を動きまわるお金です。私たちは家畜を自然という銀行に預け、利子をもらっています。」
この竹を割ったようにユーモラスな発言に、「遊牧民=自由人」みたいなぼくの勝手な思い込みは揺らいだ。
そういえば、チンギスハーンは世界で初めて紙幣を印刷して流通させたわけで、その血を引いたムギーさんは大学では経済学を学んだといいます。
彼は、モダニストなのです。