ノマドキャンプのオーナーのムギーさんはこんなことを言った。
「昔からモンゴル人は歩きません。馬に乗っていました。それが今は車に変わっただけです」と。
これって冗談なのか?
そういえば、ウランバートルへ戻る途中に遭遇した車の渋滞はひどかった。市内に入る少し手前から車がほとんど動かなくなったのだ。これならみんな歩いたほうが早いはずだが、歩くのが嫌いなら仕方がない(ちなみに多かったのはトヨタのプリウスの中古です。白タクに何度か乗ったけど、カーナビは日本語なので、みんな自前のケータイを使っていた)。
モンゴルの面積は確か日本の4倍だったか。その広い領土を超えて13世紀に彼らは東ヨーロッパまで迫ったことがある。歩いていては出来ない相談だ。
遊牧民は大昔から、馬に乗り、羊や牛を連れ、季節ごとに牧草を求めて草原を移動していたわけで、定住という感覚は少ない。家は簡単に組み立てられるゲル。持ち物を最小限にとどめるため、モノへの執着も少ない。「どこまでも自由に行ってみる」ことに関心があったのか。
以前、ポーランド南部のクラクフという古都に行ったことがある。郊外にあるアウシュヴィッツ収容所をこの目で確かめるためにこの街に泊まった際、街の中央広場の地下には発掘された13世紀の遺構が公開されていてびっくりした。そこはモンゴル軍がクラクフを攻め落とした街の遺跡で、モンゴル軍の残酷さが嫌でも目についた。前に、柄谷行人の『帝国の構造』を読んでいたので、そんな侵略行為だけであれだけ広範囲な地域を長きにわたって「帝国」としてコントロールできたのか、いぶかしくも思った。
例えば16世紀の大航海時代になると、ポルトガルやスペインは南米を侵略し,その後19世紀の「国民国家」の時代になると、事態は急変する。言葉と宗教、つまり自国のアイデンティティを無理強いして、イギリスはインドを、後に日本は台湾や朝鮮を同じようにして支配しようとした。でも、それは今も起こっている戦争とほぼ同じ「帝国主義」のやり口だ。”主義”というワードは一見立派に聞こえるが個人の自由な選択視を制限しかねない「国民国家」からの発令のようなもので、「帝国」はもっと違うイデオロギーだったのではないか。ところが、今新たな「帝国主義」が中国、ロシア、またインドなどが、凋落気味のアメリカに代わり、新たな覇権を狙っている。まったく、世界はグローバルとは名ばかりで、人々が普通に生きる権利を奪おうとしているようだと、話はついソッチ系になりがちだが、もう少し続けたい。
モンゴルという「連合体」には、「帝国主義」というアイデンティティの押し付けはなかったと思う。かつてない広大な地域の「部族」や「国家」を攻略したが、言葉や宗教、各民族の文化にはほとんど干渉しなかった。チンギス・ハーンは「帝国」の伸長には武力を使ったが、戦わずして相手を凋落させることにこそ長けていたらしいからエライ。まあ、それだけモンゴル軍の騎馬戦術と武威が恐れられたのだろうが。なによりも、広大な荒野に通商の道を整備し、アジアと中東からヨーロッパまでの交易、また学術や技術の東西交流を促進させたので、どちらかというと、人々は受け入れた。それは陸だけではなく、ヨーロッパへの海の道を開き、それをイスラム商人に任せたという。それは「帝国主義」とは違った融和的アイデアであって、カントの”世界共和国”のような、もしくは”機能できる国連”のようなイデオロギーに近いものだっただろう。
アリテイに言ってしまえば、チンギス・ハーンは、”実現できそうにないこと”に挑戦した稀代のドン・キホーテなのか。ぼくは随分前にラジオで山本耀司にインタヴューしたときの言葉を思い出した。パリコレで世界中の話題をさらった80年代、彼の服は東洋なりアジアなりを表現したといわれたけど、彼自身はそんなつもりはなかったと述べ、こう言った。
「アイデンティティなんかいらない」。
カッコいいのだ。