あなたは「地球の日本人」ですか、それとも「日本の地球人」ですか?

ひょん | カルチャー 社会科
DATEApr 2. 22


 それは2014年のことでした。1月の鹿児島に始まり、2月ローマ〜ナポリ〜シシリア、3月はヴァンクーバー、6月北海道、7月ヘルシンキ〜ユヴァスキュラ、そして11月には台東〜花蓮、年越しには亡き犬ユキと一緒に四国へドライブと、あのころはよく動いたものです。北海道はアイヌ、台東は原住民、松山は漱石への興味からだったのですが、基本は買付けのため。おまけに4月からはラジオの生番組を始めたので、アタフタした1年だったようです。
 なぜ2014年を思い出したのかというと、ロシアのクリミアへの侵攻があった年だったからです。ニュースを知ったのはシシリアにいた時だったか。とっさに頭に浮かんだのは1853年のクリミア戦争でした。そして、戦場で献身的な働きをしたナイチンゲールとその後発足した国際赤十字社のことを思いました。ヨーロッパ全体を巻き込んだ悲惨な戦争で、国境を超えた看護の必要性が初めて世界で意識された場所だったからです。ところが、そんな場所でまた紛争が起きてしまったことを外国にいて知らされたわけで、なんだかリアルに感じたのかもしれません。
 19世紀に起きたクリミア戦争は、その後20世紀の第一次大戦へとつながったわけで、世界史の中の出来事が、現在にも引き継がれているという日常をつきつけられた気がしました。それから8年、突然そのクリミア半島のあるウクライナ自体で新たな戦争が起きてしまいました。
 人々はこの出来事に驚き、ロシアに対する経済制裁が各国から発出され、国連でも非難決議がなされました。しかしウラジーミル・プーチンの発言は、核兵器の使用をほのめかすまでにエスカレートしています。第三次世界大戦への危惧さえ感じてしまうのはキューバ危機以来のこと。そんな時、日本の前前首相などは、アメリカの核の使用を日本においても共有しようとする意見を表明した。いわゆる「核の抑止力論」ですが、時代錯誤の愚考だとしか言いようがありません。北朝鮮が持つ抑止力としての核軍備を非難しながらも、自分達も核で対抗しようとするヤクザな戦法でしかない。「抑止としての核兵器」とは相手への脅しの道具であり、その方法が世界に広がれば、使ってみたくなる為政者があらわれます。それは他国だけではなく自国の滅亡へと到る麻薬でしかないと思います。
 とまあ、古道具屋なりのボヤキはさておいても、案外古いものには馬鹿にできない発想があります。それは、二つの大戦を経て、設立された「世界共和国」への希求を込めた「国連」のことです。
 さまざまな機関を持つ国連ですが、重要であるはずの安保理が機能していません。それは、だれもが感じているはずです。決定権を持つ5大国の拒否権がその原因であることは確かなのですが、それに対する妙案はないと諦めているかのようです。しかし「常設の国連軍」を持つという案があります。でも、あまり知られていない。国連のガリ前事務総長などから提案されていたのですが、メディアがほとんど取り上げていない。そのためか僕らの関心を集めていません。それに対して、随分前に柄谷行人氏が以下のような考えを示しています。
 「日本の憲法9条は、守るという掛け声だけではだめだろう。このままでは、”抑止力”という名のもとに改憲されてしまう。それに対して日本ができる最良のことは、自衛隊を国連に差し出すことかもしれない。唯一の被爆国として我々にはそうする理由があり、そのことで世界は初めて日本を認めざるをえないからだ」。
 しかし、この提案を現実的にうけいれる日本人がいるのでしょうか。それはジョン・レノンの”Imagine”と同じように、夢想家の戯言として一蹴されるのでしょうか。
 ぼくは「国連」って「モダニズム」の政治版だと思っているのかもしれません。どちらも第二次大戦前後の出来事であり、どちらも「人類の自由と尊厳」みたいなものを望みながら、いまだ充分に成就していません。訳知り顔の政治家はいつも「それはユートピアンなイデアでしかない」としたり顔でのたまう。彼らは「結果」こそが「歴史」と思っています。しかし、「”未来”について考えることは、”まだ意識されないもの”を指しています。それは未来からやってくるもの、実現されることはないが、われわれがそれに近づこうと努めるような指標としてあり続けると」と柄谷氏は語ります。
 この戦争が一体どのような結末を迎えるのか。実のところ、この戦争は「国家」=「民族」という”幻想”のせめぎあいというやっかいな構造です。だから簡単には先は見えません。そんな中、ひとつだけかすかなヒントが示されました。それは、アメリカの宇宙飛行士が、ロシアの宇宙船で地球に無事帰還したことです。
 当初、日本を含む西欧の対ロシア経済制裁などに対して、ロシアは、米ロの3宇宙飛行士を乗せた国際宇宙ステーションから、アメリカの飛行士だけを残して帰還するという子どもじみた脅しをツイッターで表明したのですが、後に撤回せざるを得ませんでした。
 しばらく前に、アメリカ政府はUFOの調査の重要性を示唆する報告を発表し、だれもが「やっぱりそうだよなあ」と思ったのではないでしょうか。無限と思われる宇宙に地球外生物がいないとは思えないからです。そして彼らが地球にやってきた時、ぼくらはどんな反応をするのでしょうか。あなたは「地球の日本人」ですか、それとも「日本の地球人」ですか?