「先行したもの」を発見する、その 2 。

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DATEMay 28. 21

 ワクチンの先行予約は済ませたものの、接種がいつになるのか未だに先が見えない。『博多祝い唄』じゃないが、”しょんがねえ”気分が毎日続くのはまったくやりきれない。マスクを付けて外へ出るのも億劫だし、こうなりゃ、読んだ本をまた読むのにいいタイミングかも知れない。巣ごもりなんだもの。
 読み直すのは以前気に入った本なのだが、どうな風に気に入っていたかが判然としない。大筋は気に入っていたのだが、なにか大事なことを忘れていて、その何かが今の自分には欠けている気がするのだ。その場合、パラパラとページをめくり、自分が引いた線が目安になる。それも適度に多い方が引きが強い。ほー、そんなに引いてたのか、なになに…、ってな感じ。
 今回は田中優子の『近世アジア漂流』。以前読んだのは5、6年前だから、”おさらい”するインターバルも悪くない。ずっと古い本より、近過去の方が自分には効き目があるからだ。
 最初に読んだ時には「近世」というのがいつの時代を指すのかがよくわからないまま読んでみたのだが、今回はそこから掘ってみた。「古代・中世・近代」で良さそうなものなのになぜなのか、WIKIに尋ねてみた。すると、どうやらルネッサンス以降に考え出された時代区分らしく、西洋では15~16世紀、日本では17世紀あたりに始まり、どちらも19世紀には近代へ移行したとされているようだ。中世とは封建的な時代であり、「民主的な近代が訪れる前段階」といった過渡期的な時代設定なのだろう。
 そんな近世における日本は鎖国状態だったはず。しかし実は中国・朝鮮・タイ・ヴェトナム・インドネシアなど、ほぼアジア各地域との繋がりが盛んだったというのがこの本のキモ。それも、色んなカルチャーの視点からだから面白い。しかも、そこにヨーロッパ人も加わって、アジア人と入り乱れた仲介貿易が行われていたわけだから、さらに面白い。たとえば海賊と思われている「倭寇」も、日本人は2割程度で、中国人、ポルトガル人や東南アジア人との混成貿易商人だったと知り、「へーえ」となる。当時の日本は約90もの国々からなる島国であり、後の近代国民国家ではない。例えば、ボクの国は「筑前」でしかなかった。つまり、海には国境や排他的経済水域などなしの貿易だ、スリルとサスペンス満載だったはず。そんな荒くれどもに審美眼があったかどうか知らないが、おかげで様々なお宝が遠くジャポネに流れ込んだというわけだ。
 18世紀後半の江戸は,どうやら最新の消費生活を求める世界有数のメガシティだったようだ。「洒落本」や「黄表紙」と呼ばれる出版物は早くもメディアの役割を果たし、人々は「ブランド物」に血道を上げていたという。中国や南蛮渡来の輸入品と、国内生産の高価でレアものが、読み物や浮世絵などのビジュアル紙を通して、数寄者たちの欲望を喚起した時代だったのだ。そんな中、TSUTAYAの創始蔦屋重三郎などが、海外の図版にある蚤の絵を”疫病の親玉”としておどろおどろしく誇張してしまった黄表紙などは、当時の幕府の無策ぶりへの不満のはけ口としてのメディアの役割も担っていたわけだ。
 お洒落物としては、たとえば写真にあるたばこ入れのキセルを包んだ革。イギリス東インド会社が長崎商人を通して日本へ売り込み、馬具や屏風、そしてこのような小物に応用してプレミアムな舶来品として商品化したもの。また、江戸の粋の象徴である縦縞のタバコ入れはインドやインドネシアからやってきた更紗の影響だし、下は日光東照宮に取り付けられた当時オランダで流行していたイルカの飾り。近世の日本は、僕らの想像を超えた世界市場と直結した国内市場の時代だったとは驚き桃の木、エルメスの木なのだ。
 となると、「日本=島国」というクリシェがネガティヴにしか使われなかったのには、大いなる疑問を持たざるを得ない。 島国であることは、ヨーロッパ大陸のような否応無しの地続、地縁の絶え間ない戦いとは無縁であり得た幸運でもある。何より、海という交易空間を使って、先祖たちはアジア地域を縦横無尽に交通していたことを忘れるわけにはいかない。江戸時代とは、近代の訪れを待たずに、独自のポストモダニズムを、それも無意識のうちになし得た世界的にも摩訶不思議な時代だったのかもしれない。
(写真は田中優子著『近世アジア漂流』朝日出版社1990年より)