murmur

The Otherside

April 21st, 2011

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One of the best relaxed coffeeshops in Amsterdam.
Reguliersdwarsstraat 6, 1017 BM Amsterdam

カウンターを繰り出すのが上手い。

April 17th, 2011

 

Img 2466 司馬遼太郎の『街道をゆく・オランダ紀行』だったと思うけど、レンブラントの絵について興味深い記述があった。有名な「夜警」にしてもそうだけれど、なぜ集団画なのか?、という疑問に対する答えだった。それは当時オランダで勃興した商人たちの肖像画だったのだけれど、ひとりづつでは費用がかさむため、集団という構図でもっていわば「団体割引」にしたという。だから、各人にはちゃんと出自があり、見る人が見れば「どこの誰それさん」と分かるのだそうである。さすが元祖”Go Dutch(割り勘)”のお国柄らしい精神だと感心した。そんな質素な生活振りは、たとえばフリーマーケットにもあらわれていて、様々な生活用具は見つかるのだが、場所的には近い割に北欧ブランドなどは皆無といっていいほど少ない。ちなみに、ワークシェアリングという発想もオランダが発祥とか。海をせき止め、低地を干拓した人々の創意工夫が脈々と受け継がれているのだろうか。
 オランダはデザインの分野でも独特だ。90年代にドローグが登場し世界をアッと言わせ、マルセル・ワンダース、ヘラ・ヨンゲリウスを輩出したし、その後のマーティン・バースなど、ウィットと批評性に満ちた立ち位置がとても刺激的だ。僕には、その根っこにトーマス・リートフェルトの存在が感じられる。木片を積み木のようにくっつけて作った椅子や家具には、手練れの職人技の痕跡はない。有名な「ジグザグ・チェア」なんて、どうみても座り心地が良さそうには見えない。しかし、いったい「究極の座り心地を約束する椅子」とは何だろう、と思ってしまう。座った瞬間はどんなにラクチンでも、そのままの姿勢を保ちつつづけることは考えにくい。ヒトは動く存在なのだから。「椅子とはすべからく仕事椅子である」と言ったのは、それこそリートフェルト本人だったような記憶がある。そして追い打ちを掛けるように「もし休息がお望みならベッドがある」とも言っていたような…。そういえば、オランダでは安楽死も認められているのだ。
 ポップスで思い出すのはフェイ・ロブスキーという女性シンガーソング&ライター。フォーキー&ジャジーなスウィンギン・スタイルがキュートで、90年代モンド・ミュージックなひと。80年代にはグルッポ・スポルティーヴォというアーティーでパンキッシュなバンドもいたっけ。オランダって、カウンターを繰り出すのが上手い。結論として、久々のアムステルダムはすこぶる楽しかった。出来ることなら、来週にでもまた行きたいほどだ。

タンゴの調べ。

April 13th, 2011

 
Img 2563そうそうLLOYD HOTEL最後の夜、ちょっと寒いテラスでディナーを食べた後、部屋に戻る途中に見かけた光景。一階奥の部屋からタンゴの調べが聞こえた。何だろうと思って覗いてみると年配の方々がダンスをしていた。南米へ移民した人々の子孫なのか、などとつい妄想した。

LLOYD HOTEL

April 13th, 2011

 
Img 2373 買付の旅は一回ほぼ3個所くらいを巡ることが多い。つまり最低でも3個所のホテルを予約しなければならない。数年前まではガイドブックに頼り、電話かファックスで空き部屋を確認して申し込むスタイルだったけど、最近はネットでチェックして簡単に予約できるようになった。といっても、ロケーションや設備、そして値段など、あれこれ悩むものである。今回、アムステルダムの3泊に”LLOYD HOTEL”を選んでみた。自慢じゃないが、初の「デザイン・ホテル」である。もっとも、一部屋平均一万円以内という不文律をギリギリ守ったツイン一泊80ユーロなり。トイレ、シャワー共同の一番安いランク。案の定、部屋は狭かったがオリーブ色で高窓があり、まるで下級将校の部屋のようだ。それもそのはず、1920 年建造当時は東欧からカナダや南米へ向かう移民の待機所として使用されたという。どうりで建物は質実剛健、まるで学校か病院のよう。1960年代からは校正施設になり、その後はアーティストの住居兼アトリエとして利用されてきたらしい。世界ではじめて市民社会を実現したと言われるオランダはなによりも個人の自由を大切にする。この施設は、様々な理由で国を捨てなければならなかった他国の人々に対する配慮だったように思えた。その後の更正施設というのも、マリファナなどではなくもっとヘヴィーなヘロインなどの麻薬中毒の人達の為だったのでは?そんな色んな想像をしながらホテル内を歩くと、デザインに関する様々な情報が用意されていたり、アーティストのインスタレーションもあり、と退屈しない。スタッフはデザインにも明るく、リートフェルトやフリーマーケットのことにも即対応してくれた。つまり、ここは新奇さを狙った「デザインホテル」とは違っていたわけで、ひと安心。ただ、朝ご飯(とても美味しかったのだ)が、チェックアウト時に一回一人17ユーロと聞き、顔色が変わった。

ボーンホルム島

April 11th, 2011

 
Img 0903 ヨーロッパ大陸とスカンジナビア半島にぐるりと囲まれたバルト海は、いわば北欧の地中海ってところか。でも、スウェーデン南端の港からフェリーに乗って2時間くらいで着いてみると、冬ざれた島は人気もなく霧に包まれていた。シーズンになれば、きっとたくさんの観光客でにぎわうはずのレストランやアンティック・ショップもクローズしてるのが多い。お目当の窯元も、照明は点いてはいたもののドアが閉まっている。どうやら、開店まで1時間以上あるようだ。あきらめかけた頃、中からドアが開き、事情を説明して入れてもらうことが出来た。以前フリーマーケットで見つけた陶器のいかにもダニッシュな質感と表情が気に入り、後になってそれがボーンホルム島に古くからある窯であることを知った。そうなると、ぜひ訪れてみたくなるのが人情ってもの。店内に入ると一瞬「ここは隆太窯なのか」、と錯覚しそうなほどキリッとした空気。モノクロームな中にやわらかいグリーンや藍色の差し色の器たちが静かに並んでいた。展示室を見せてもらうと、ギリシャ、ローマなど地中海(やはり)の影響が顕著な初期の作品から、中国や朝鮮、日本への接近を経ることで今のスタイルへ帰納した様子がかいま見える。やはり、陶器を巡る冒険は世界を巡るのだろう。そうそう、でたらめに読んでいた”HJORTH”という屋号、スタッフに何度も発音してもらい、どうやら「ヨート」と聞こえた。

物好きのほど。

April 10th, 2011

 
Img 2183 知人の紹介でおじゃました家具&アートコレクター氏のお宅は、ヤコブセンの建築群で知られるクランペンボーにほど近い住宅街にあり、ウェグナー、モーエンセン、ケアホルム、その他の貴重なヴィンテージ・コレクションが古い屋敷の各部屋に所狭しと並んでいました。写真は台所。マン・レイのハンガー・モビールは、なんと自作とか。おん歳89才にしてこの熱情。デザインやアートの話をはじめたら、止まらないんです。4つあるトイレもアートだらけ。ジャズ愛好家でもあり、古いRevoxのテープデッキで聴く音が一番だとか。物好きのほどを、ヒョイと越えた御仁でした。

再発ブーム

April 9th, 2011

 
Img 2170 久しぶりのコペンハーゲンは、あいにく冷たい雨だった。でも大丈夫、いつもお世話になっているお宅に到着すると、家具デザイナーであるTさんと奥様が笑顔で出迎えてくれる。長旅の疲れがスーと消える瞬間だ。荷ほどきをする間もなくウエルカム・ワインで乾杯。近況を語り合うのももどかしく「最近の再発ブーム」についてTさんが話の口火を切る。まだボンヤリしている頭にハッパを掛けながら聞いてみると、思い当たることも多い。様々な名作といわれる椅子や照明、デザイン・アイコンな作品の再発がこの数年堰を切ったように続いている。もちろん、きちんとしたものもあるが、残念なことに形だけを、それも乱暴になぞっただけのようなものも少なくない。一般的に著作権は50年とされているが、量産可能な家具などが著作物と認められるケースは非常に少なく、たとえ意匠権を取得していてもなかなか機能しないのが現状らしい。でも、Tさんが言いたいことはどうやらそんなことではないようだ。それは、北欧家具を生み出したデンマークが、旧作の復刻に熱心なあまり、本家としての求心力を失うのではないかという危機感のように聞こえる。たしかに、新製品の開発には多大なコストとリスクがともなう。ついつい過去のヒット作を、今的なカラーやサイズに見直してリメイクするほうが手っ取り早いにちがいない。でもそれは、デザイナーと職人が協力してつちかってきたデンマーク・クラフトの力を削ぐことになりはしないか、という危惧なのだろう。目指すべきことは、安易な反復ではなく、本来持っていた価値への気づきであり、回復への思いを込めた工夫ということなのか。40年前、ひとりでこの地へやって来て以来、デザイナーであり、なにより職人という矜持を持ちながら仕事をする人らしい話だ。そういえば、Tさんがデザインした木馬には、あのカイ・ボイセンの名作へのオマージュを越えた、彼の真骨頂が感じられるのである。

ローズ・キャバット。

February 18th, 2011

Cabat.001 ツーソンにあるローズ・キャバットのスタジオは、アリゾナ大学に近い静かな住宅街のなかにポツンとたたずんでいる。おかげで、遠くから訪ねてきた気負いみたいなものがスッカリ消えてしまった。そのうえ、事前の連絡通り、彼女は自宅からこのスタジオまで出向いてくれていて、僕らを笑顔で出迎えてくれたのだ。
 96才である。さすがに足腰が少し不自由な為に車いすを使ってはいるものの、「手先の衰えはなく、作品も作ってるのよ」と娘さんが笑う。確かに、長いあいだ手を使ってきた人らしく頭はシャープ。それから小一時間あまりの間、様々なトピックをジョーク混じりにおしゃべりしてくれた。そのほとんどは画家で商業デザイナーだった亡き夫との思い出なのだが、ふたりは幼なじみで生涯にわたって良きコラボレーターであり、かけがえのないライバルだったようである。
 ある日、たまたま陶土を手ひねりでポットに仕立て上げたのを見た夫が驚き、彼の薦めもあって職業訓練校に通い始め、そこで初めて蹴ロクロに触れたらしい。
 「最初の頃は夫が絵付けをしていたの。でも、それじゃ私の作品じゃないと思って、自分なりにやることにしたの」
 その後、様々なフォルムや釉薬の実験をかさね、いわば「トライアル&エラー」の結果として1960年代に誕生したのが、代表作である一連の”Feelies”と彼女が呼んでいる作品である。果物や野菜など、オーガニックな気配を感じさせる独特のフォルムと釉薬は、とてもエモーショナルで自由さに満ちている。そして、実際に手に触れることで、その独特のすべすべした「フィーリング」に驚くことになる。
 ぼくは、思わず聞かずにはいられなかった。
「キャバットさんは北欧の陶器に興味はおありですか?」
「カトラリーとかデザインは好きだけれど、陶器はどうしても冷たい感じがしてしまうの」との答えだった。なるほど。

 正直にいうと、ぼくはそれほどキャバットに熱心ではなかったかもしれない。しかし、信頼しているdieciの田丸さんから話を聞くにつれ、とにかく実物を見てみたくなり、やって来たのである。そしてキャバットの世界をとても楽しんでしまった。ツーソンの、まるで西部劇の舞台のような青い空の下で作陶をする彼女は、その名の通り、砂漠に咲いた一輪のバラだった。

”GRAVEL & GOLD”

February 17th, 2011

 Img 0240 結果として、もっとも望ましいのは写真のように前置きなしのシンプルな店名。前述したグラハム・ナッシュの娘さんが友人3人で運営している店なのだけれど、直訳すれば「砂利と黄金」ってところだろうか。多分、「ジャンクかお宝か、自分の目で確かめてください」ということなのだろう。ゴールドラッシュでにぎわったサンフランシスコらしいネーミングでもある。売っているモノは様々な生活雑貨や本、古着や新品の衣料で、その中にはセント・ジェイムスやカンケン・バッグなどヨーロッパものも。すごく斬新ってわけではないけれど、とても好ましい雰囲気が流れている。忘れられないのは、スタッフの自然な笑顔と何気ない声かけ。気になったバッファロー・プレインのジャケットを試着した際、ローカルなフリーマーケットの情報を教えていただきました。ウチも見習わなければ。

キュリオシティ・ショップ

February 16th, 2011

 Img 0241 もひとつ、ショップのカテゴライズで気になったのが”Curiosity Shop”というもの。だいたい僕らの商売を何と自称するかについては、案外頭を悩ませるわけです。「アンティック・ショップ」というほど古いものを扱っているわけではないし、「セレクト・ショップ」じゃ物足りないしね。サンフランシスコのミッション地区を歩いていてこの言葉に出会ったときは、「これイタダキ」と思った次第。そういえば、北欧にもこの言葉を冠している店が案外多い。「あなたの好奇心をくすぐる店」ってな感じなんだろうか。古いものやモダンなものを取り混ぜ、そこに店主の独断を混入する手口です。でも、好奇心も千差万別、店に入った途端「こりゃダメだ」ってのもあります。この店は、古い(といっても50年代くらいか)バスケのボールを何気に転がしてて確かにくすぐられたんですが…。