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	<title>organ &#187; murmur</title>
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		<title>「魯迅は日本で言えば夏目漱石です」</title>
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		<pubDate>Wed, 01 Feb 2012 15:30:10 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[　 　タクシーを利用して15分で福岡国際空港、そこから上海までのフライトは1時間40分。たった2時間足らずで行ける外国なのに、中国へ行くことを先延ばししてきたのは、行きたい国としてのプライオリティが低かったからだ。なにし [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　<br />
<a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2012/02/IMG_0266.jpg" class="lightwindow" rel=""><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2012/02/IMG_0266-tm.jpg" alt="Img 0266" title="" class="rightbox" /></a>　タクシーを利用して15分で福岡国際空港、そこから上海までのフライトは1時間40分。たった2時間足らずで行ける外国なのに、中国へ行くことを先延ばししてきたのは、行きたい国としてのプライオリティが低かったからだ。なにしろ「脱亜入欧」丸出しで、ヨーロッパやアメリカへ行くことばかりを考えていた。しかし、そろそろかな、という感じで行ったわけです。<br />
　買ったものは少ない。紹興酒と茶、それに蘇州で見つけた小さな陶器を二個だけ。欲望の対象となるモノがほとんど見あたらなかった。ゴダール映画の影響なのか、密かに「毛沢東語録」を狙っていたのだが、中国人ガイドのKさんから「そんなもの今ダレも読まないヨ。骨董屋にでも行けばあるかも」と言われた。時間があれば、案外面白いモノがあったかもしれない。そういえば2,3年前だったか、U君が杭州へ古い中国建築を調査研究のため訪れたことがあった。そこで、かの魯迅も被っていたという、その地方独特の帽子をおみやげにプレゼントしてくれたことがあった。もともと農民が”雨にも負けず、風にも負けない”為に使った、恐ろしく分厚いフェルトで出来た三角錐をした帽子は、見ようによっては高等ルンペンみたいで面白い（なので、U君が杭州を再訪する際に10個ほど買ってきてもらい、店で販売したことがあった）。そんなこともあって、魯迅博物館へ行った。<br />
　博物館の人から「魯迅は日本で言えば夏目漱石です」と教えられた。そーか、二人は文語体ではなく初めて口語体で小説を書き、二つの国の精神的近代化に寄与した作家なのだ！ そのうえ、ほぼ同時期に魯迅は日本へ、漱石はイギリスへと留学している。ただし、ひとあし先に近代化の歩みを始めた日本で知己を得た魯迅と逆に、漱石は西洋文化へ失望し、神経衰弱となり帰国、のちにアジア回帰ともとれる境地に至ることになる（というか、西洋と東洋、もしくは日本との価値観のハザマで自問自答を続けたのだと思う）。もともと中国思想に傾倒していた漱石の中国観は、老荘思想や禅、漢詩などから掴みとった彼独自の悩めるイデアだったんじゃないか。いわゆる「和魂洋才」とは違うような気がする。まあ『阿Ｑ正伝』すらちゃんと読んでない僕にはよくわからないのだが。<br />
　ところで　蘇州へ向かうバスの中で、前述した同行の老人が突然Kさんに言った。「中国にはカラスが見あたらないけど、全部食ってしまったんだろ」。これにはさすがのKさんも閉口して、一瞬車内に気まずい空気が流れると思いきや、案外ケロッとしていた。彼は生粋の上海人、都会ッ子である。様々な地方から来た人々で今や人口2400万人にふくれあがった経済都市に生きている。まるで戦前の日本人のような発言にいまさら驚くだろうか。中国は多様性と他者性にあふれた一大集合体なのだ。誰かさんのようにウェットではない。</p>
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		<title>「蘇州と上海の旅５日間」</title>
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		<pubDate>Tue, 24 Jan 2012 06:10:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>organ</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　 　浦東国際空港を出発したマイクロバスは、冷たい雨の中、上海郊外にある経済開発区のハイウェイを猛スピードで走っていた。窓の外を、イルミネーションに飾られた奇抜な高層マンション群が次々に流れてゆく。これがモーレツに発展す [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　<br />
<a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2012/01/IMG_0258.jpg" class="lightwindow" rel=""><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2012/01/IMG_0258-tm.jpg" alt="Img 0258" title="" class="rightbox" /></a>　浦東国際空港を出発したマイクロバスは、冷たい雨の中、上海郊外にある経済開発区のハイウェイを猛スピードで走っていた。窓の外を、イルミネーションに飾られた奇抜な高層マンション群が次々に流れてゆく。これがモーレツに発展する中国沿海部なのだ。流ちょうな日本語を喋る男性ガイドKさんは、こんなに少人数のツアーは久しぶりだと、愚痴ともラクチン表明ともつかない言葉を放った。たしかに、乗客は僕らふたりの他3名。70歳代の老人（実はカクシャクとした長躯）は常連らしく、早速「何々さんをアンタ知っとるね？」とKさんに言いながら携帯で電話している。前回知り合ったという女性ガイドさんを、最終日に一緒に食事しようと誘っているようだ。老いて盛んなのである。あとのふたりは60歳代と30歳代のふたり組。いかにも社長さんと腹心の部下という感じで、満州の工業都市である瀋陽で3万坪の土地に最新の外壁材の工場を新設する商談を終え、その後に蘇州観光するため参加したらしい。思わず、映画「社長シリーズ」の森繁久弥と小林桂樹とダブる。そんなカンジで「水の都、蘇州と上海の旅５日間」ツアーが始まったのだった。<br />
　一日目、170kmをひたすら走って着いたのは無錫という街。大昔は錫（スズ）の産出で栄えたらしいのだが、ある時パッタリ採れなくなった為にそう呼ばれているとのこと、寂れてしまったあとの名前というのがなんだか哀しい。 規模としては久留米よりちょっと大きいくらいかと思ったら、とんでもない。人口600万人と聞き唖然。夕食は江南料理。いかにも団体ツアー御用達といったガランとした酒店で円卓を囲む。内容は一応日本人好み的中華料理コースで味は濃いめ＆甘め。ぼくは早速紹興酒を頼む。老人はちゃっかり手持ちの麦焼酎を飲むばかりで一向料理に手を付けない。どの料理も油がテカテカしてダメだといいながら、やはり手持ちの”振りかけ”を配給してくれる。社長さんたちは青島ビールを飲みながら、色も味も薄いですなー、といいつつ努めて陽気に冗談を飛ばしている。食後、街中にある高層ホテルへ。買付の旅では泊まることのない立派なバスタブも完備した部屋は申し分あるわけがなく、早めの就寝。明けて二日目は朝から淡水真珠の店を見学。その後なんとかという新造の公園へ。江南と呼ばれるこの地方独特の湿地を利用した大型の大濠公園といった風情。続いて三国志で有名だという太湖で15分間（！）の遊覧船。その脇にある「三国城」は映画『レッドクリフ』の撮影に使われ、その後観光施設になったものらしいが映画も観ていないのでピンと来ない。唯一、諸葛孔明という賢人の名前だけはピンポーン。昼食は「ところ変われどナントカ」で、さむーい感じのレストランにて5,6品を取り分ける中華コース。多分鯉なのだろう、スライスした魚の煮付けが妙に油っぽい。午後は木涜（モクトク）という古い水郷の村へ行く。細い水路沿いを歩きながら、これぞイメージしていた江南の景色とばかりに気分を鼓舞するがしかし寒い。冷気が大地からしみ出るようにジワジワと足に来るが、せっかくの自由時間なので動画を撮りながら『世界ふれあい街歩き』ごっこをする。<br />
　とまあ、そんな具合に3日目以降も決められたスケジュールをこなしつつ、と言いたいところだが、さすがにワガママ心がむくむくと。蘇州最終日は、Kさんにどうしても行きたいところがあると単独行動を申し出ると、今回人数も少ないことだし、いいでしょう、ということになり友人から薦められた平江路という地区のカフェを探訪。そして最終日の上海では、夕食を僕ら2人で早めに済ませ（というかその時点で他の3人もどこかへエスケープ）、その昔に高杉晋作や大杉栄、金子光晴たちも闊歩したであろう南京東路をそぞろ歩いて和平飯店へ。目指すは、イギリスとアメリカが租借した共同租界と呼ばれる地域最古のホテル。1908年に完成した当時には、そのモダンさで人々の度肝を抜いたであろうそのホテル１階にあるバーで、老年ジャズバンドの演奏を聴きながら、「魔都」と呼ばれたこの街の事を思ってみた。</p>
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		<title>60〜70年代フランス映画で活躍した作曲家の話と聞いて嬉しくなった。</title>
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		<pubDate>Mon, 09 Jan 2012 15:31:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>organ</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　 　小柳帝さんによる今年最初のROVA公開講座は来週だ。今回はミシェル・ルグラン、フランシス・レイ、ジョルジュ・ドルリュー、フランソワ・ド・ルーベという60〜70年代フランス映画で活躍した作曲家の話と聞いて嬉しくなった [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　<br />
<a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2012/01/IMG_0152.jpg" class="lightwindow"><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2012/01/IMG_0152-tm.jpg" alt="Img 0152" title="" class="rightbox" /></a>　小柳帝さんによる今年最初のROVA公開講座は来週だ。今回はミシェル・ルグラン、フランシス・レイ、ジョルジュ・ドルリュー、フランソワ・ド・ルーベという60〜70年代フランス映画で活躍した作曲家の話と聞いて嬉しくなった。4人とも大好きだし、ぼくの青春時代のささやかな映画＆音楽史をくっきりと飾ってくれた、なくてはならない存在だったのだから。<br />
　最初に知ったのはフランシス・レイ。もちろん映画『男と女』のダバダバ・スキャットだ。1966年ということは高校生だったはず。大ヒットした映画だが、封切りではなく、「センターシネマ」という今のソラリアの場所にあった二番館で親友のN君と一緒に学割80円くらいで観たのだと思う。スタイリッシュな映像に見入り、いかにも大人なアヌーク・エーメのベッド・シーンにドギマギするしかないハナタレ小僧だったのだけれど、おかげでピエール・バルーという不出世のヴァガボンドを知ることになる。<br />
　次に出会ったのはフランソワ・ド・ルーベ。といっても、それとは知らず親しんでいたのが1967年の『冒険者たち』で流れる哀愁の口笛メロディー。日本でも人気スターだったアラン・ドロンがリノ・ヴァンチュラと共演、ジョアンナ・シムカス演じるレティシアという儚げな女性をめぐる男の友情を描いた映画の中で印象的に使われていた。その曲が、同じくリノ・ヴァンチュラとブリジット・バルドーが共演した『ラムの大通り』のサントラと同じ作者によるものだと知ったのはずっと後のこと。そして、若くしてスキューバ・ダイビング中に事故死したド・ルーベと、『冒険者たち』で水中に没してゆくレティシアのシーンを勝手にオーヴァーラップさせ、グッと来ていたものだ。どこか懐かしいメロディーと、いきなり急展開する独特のスコアを残し海に消えた彼は、その後の『グランブルー』を持ち出すまでもなく、とてもフランス的なイコンだったのだろう。<br />
　　ミシェル・ルグランとジョルジュ・ドルリューは大学生時代、新宿の名画座あたりでヌーヴェル・ヴァーグへの関心もあって、それぞれアニエス・ヴァルダの『5時から7時までのクレオ』と、フランソワ・トリュフォーの一連の映画で知ることになる。もちろん、ルグランに関してはそれ以前に『シェルブールの雨傘』の素晴らしいサントラにノックアウトされていたのだが、映画の中でピアノを弾く彼は才気走った音楽家の役を軽々と演じていて驚いた。実際に彼はアメリカに渡りマイルス・デイヴィスをはじめ、いろんな実力派のジャズメンと交流をするなど、フランスのミュージシャンとしては異例ともいっていい活躍をした国際派。ドルリューに関しては重厚でセンチメンタルな楽曲という印象で、トリュフォーの映画に欠かせない人なのだが、ゴダールの『軽蔑』にもマーラーを思わせる素晴らしいスコアを提供したことを忘れることが出来ない。そんなことを思い出すと、帝さんの話がますます楽しみになった。　</p>
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		<title>セミプロ</title>
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		<pubDate>Fri, 09 Dec 2011 14:24:10 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[　今回の買付では、いまさらながら蚤の市をめぐりまくった。ガイド本にも載っているところは出店している人も大体顔ぶれが決まっていて、こう言っちゃ何だが「擦れっからし」タイプの人もいる。それに比べると、街中でフツーに行われてい [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/12/IMG_2658-1.jpg" class="lightwindow" rel=""><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/12/IMG_2658-1-tm.jpg" alt="Img 2658-1" title="" class="rightbox" /></a>　今回の買付では、いまさらながら蚤の市をめぐりまくった。ガイド本にも載っているところは出店している人も大体顔ぶれが決まっていて、こう言っちゃ何だが「擦れっからし」タイプの人もいる。それに比べると、街中でフツーに行われているブロカントは楽しい。なにしろ地元の人が多いのだから、フツーに値切っても結構まけてくれる。極めつけはアントワープの小さな広場のオークション。といっても、日用品やガラクタが多くめっけもんは少ないのだが、オッちゃん達が世間話をしながら電気製品などを競り合っている。不要品のリサイクルとでも言えばいいのだろうか、いわば素人さんのお楽しみってところ。やっぱり蚤の市というものは素人臭いのが魅力で、もともとはセミプロの祭典なのだろう。もちろん店を持ち、週末は蚤の市に出店するという人もいるのだが、それ一本で生計を立てている人は案外少ないのではないか。古いモノが好きで、そのうちに好きが高じて気がついたら&#8230;みたいな人も多いはずだ。そういえば、プロとアマの境界だってぼやけてきたような気がする。仕事にしても、本職一本じゃ色んな意味で不確実さがつきまとう時代だし、いくつか掛け持ちするのも悪くない。そう思ったら、自分もセミプロみたいなもんだと気がついた。</p>
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		<title>よしんば。</title>
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		<pubDate>Wed, 23 Nov 2011 11:12:02 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[　「その国の本当のところは、税金を払わなければわからない」と誰かが何かの本に書いていて、成る程と思った。たしかに行きずりの観光や、仕事とはいえ短期間滞在するだけでは、その国のことがわかるはずもない。でも訪れたからにはその [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/11/IMG_3316.jpg" class="lightwindow"><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/11/IMG_3316-tm.jpg" alt="Img 3316" title="" class="rightbox" /></a>　「その国の本当のところは、税金を払わなければわからない」と誰かが何かの本に書いていて、成る程と思った。たしかに行きずりの観光や、仕事とはいえ短期間滞在するだけでは、その国のことがわかるはずもない。でも訪れたからにはその国の印象の一つや二つ言いたくなってしまう。「何処何処は最高だったけど、カフェのギャルソンの態度はイマイチだったナー」etc.。もちろん僕も外国で税金を払っている。蚤の市を除けば、何かを買い求める度に物品税、何かを食する度にサービス税、たばこ税は言わずもがな。でも、ここで言われている税金は所得税や住民税だったり、そこに住んでいる人々が払う税金のことだろう。それに年金や健康保険などという、言ってみれば先々の保証を国家に付託した前払いの税金みたいなものだってある。確かに、行きずりの旅人はあずかり知らぬことなのだ。それらはすべて、その国に永住する意志を持ち、その国で保護される恩恵を期待することが前提になっているのだから。しかしである、よしんば、その国が気に入って永住権なり市民権を取りたいと思っても。それは至難の技でしょう。というか、そこまでしたくはアリマセヌ。行きずりの旅人で結構。いや、そうでありたいのです。</p>
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		<title>Fructusからグラノラとコーディアルが届いた。</title>
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		<pubDate>Thu, 06 Oct 2011 07:30:33 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[　 　Fructusからグラノーラとコーディアルが届いた。ヴィンテージ家具屋をいとなんでいた成田さんが心機一転、自然派ジュースの店を千駄ヶ谷にオープンしたのはたしか去年だっただろうか。ちょっと大げさかもしれないが「1脚5 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　<br />
<a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/10/IMG_3303.jpg" class="lightwindow"><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/10/IMG_3303-tm.jpg" alt="Img 3303" title="" class="rightbox" /></a>　Fructusからグラノーラとコーディアルが届いた。ヴィンテージ家具屋をいとなんでいた成田さんが心機一転、自然派ジュースの店を千駄ヶ谷にオープンしたのはたしか去年だっただろうか。ちょっと大げさかもしれないが「1脚50万円から1杯500円の世界」への転身なのである。それからしばらくして、コダワリ屋の彼はジュースだけでは飽きたらず新たな一歩を踏み出した。もともと自然食に関心が深かった奥さんと一緒に、試行錯誤をかさねながら完成を目指したのは美味しくて体にもいい食品である。以前、試作段階のグラノーラを食べた我が妻（ちなみに彼女は毎朝欠かさずシリアル）は、そのしっかり味にノックアウトされていたっけ。そして待望の第一便が今日届き、僕もさっそく「ナッツ・グラノーラ」と「ジンジャー・コーディアル」を試すことに。ワオ、香ばしくて、さまざまなナッツの美味しさが際だっている。牛乳やヨーグルトをかけるのもいいが、僕にはこのままで充分旨い。コーディアルのほうは、まずはホットが試したくて熱いお湯を注いでみる。おう、生姜湯。なんだか体がポーッとして元気がでてくるぞ！そういえば、コーディアルって古くは強壮作用がある医薬品だったんだな。続いて冷たいサンペレグリノで割ってみる。これまたイケル。PC作業に疲れた目と頭に「喝」を入れてくれそうじゃないか！今夜はぜひ、冷えたスピリッツとコイツをカクテルしてみるのだ。</p>
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		<title>おとといポップス#7　&#8221;練習板をカタカタ&#8221;</title>
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		<pubDate>Sun, 02 Oct 2011 04:46:36 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[　 　忠さんとリハーサルを重ねるうちにツアーの話が持ち上がった。たしか1973年だったか、北海道の計5カ所を回るというものだった。当時はまだコンサート・ツアーを企画するイヴェンターのシステムは確立していない。学園祭などか [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　<br />
<a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/10/IMG_3293.jpg" class="lightwindow"><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/10/IMG_3293-tm.jpg" alt="Img 3293" title="" class="rightbox" /></a>　忠さんとリハーサルを重ねるうちにツアーの話が持ち上がった。たしか1973年だったか、北海道の計5カ所を回るというものだった。当時はまだコンサート・ツアーを企画するイヴェンターのシステムは確立していない。学園祭などから派生した学生や、一握りの熱心なファンによる自主的な働きかけに呼応して、いわば手作りで運営するしかなかった時代の話である。もう名前は覚えていないけれど、日雇い労働やアルバイトをこなしながら資金を捻出し、このツアーを実現させようとする人たちが北海道にいた。その意気に感じて敢行することになったのだと思う。<br />
　その年の12月、楽器を積んだ車とぼくらを乗せたワゴン車は、凍った道路をスリップに注意しながらノロノロと道内をひた走った。函館を皮切りに、室蘭、札幌、旭川と回り、最後は歌登というオホーツク海に近い人口2500人の山村まで、初めての北海道は一面雪に覆われた別世界だった。会場となった各地の市民会館では、かじかむ手に息を吹きかけながら手弁当のスタッフ達と楽器をセッティングした。心配した動員はどこもほぼ8割の席が埋まり、なにより小坂忠のライブに初めて接する熱気みたいなものに包まれた暖かい雰囲気だった。終了後の打ち上げは、居酒屋で北海道ならではの珍味を頂いたり、関係者が経営するカフェなどで和気あいあいと行われた。そんな時の忠さんはレコードやステージでの神妙なイメージとは違ってかなりのお茶目ぶりを発揮する。まずテレパシーを使った透視術で一座の人々をアッと言わせてしまう。もちろん、タネがある一種の座興なのだが、中には「やっぱり感覚が研ぎ澄まされてる人なんだ」と信じてしまう人もいる。そこらへんで止めておけばいいものを、ライターのガスを口に充満させて火を噴くなんてことまでやってしまうのである。その後お開き、就寝となるわけだが、ほとんどの宿は主催者の方の自宅や、その関連施設みたいな部屋を利用する。ある時は倉庫みたいなところに布団を持ち込んだのだけれど、暖房はなく、おまけに窓ガラスの一部が割れていて、そこから吹き込む小雪に見舞われてほぼ一睡も出来なかったりしたこともあった。もちろん、良い思い出である。<br />
　ツアーが終わり、東京に戻ると年が明けた。それから一年ばかり、都内のホールやライブハウスでぼくら単独だったり、忠さんのサポートをしながらの活動が続いたが、相変わらずドラムの腕はあまり上がらなかった。唄の方が”味があって”いいからと、新たにドラムを加入してヴォーカルに徹してみてはという話もあった。もともと高校の時にリンゴ・スターのシンプルなドラミングに憧れたわけで、8ビートはこなせても、当時勃興し始めていた16ビートには手こずっていた。危機感を抱き、下宿の風呂場にこもり、練習板をカタカタと叩きながら、指にまめを作ることにした。</p>
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		<title>多分もうセーフな年齢になってしまったが油断はできない。</title>
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		<pubDate>Mon, 12 Sep 2011 00:27:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>organ</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　 　20％OffセールをやっていたBOOK OFFでスタンリー・キューブリックのDVD『フルメタル・ジャケット』を購入、720円也。劇場公開を含め2,3回は観たはずだが、ここまで破格値になると救出せざるを得ない。記憶し [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　<br />
<a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/09/IMG_3270.jpg" class="lightwindow"><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/09/IMG_3270-tm.jpg" alt="Img 3270" title="" class="rightbox" /></a>　20％OffセールをやっていたBOOK OFFでスタンリー・キューブリックのDVD『フルメタル・ジャケット』を購入、720円也。劇場公開を含め2,3回は観たはずだが、ここまで破格値になると救出せざるを得ない。記憶していた通り、アメリカの海兵隊新兵基地の過酷な訓練を描いた前半が圧巻だった。オチこぼれのダメな兵隊がさんざん虐められた挙げ句、皮肉にも射撃の腕前を認められるものの時すでに遅く、彼の精神はズタズタになっており、教官である軍曹を射殺して自身も自殺するというもの。スゴイのはその軍曹のまくし立てる激烈な叱咤＆恫喝の口上。「四文字言葉」が炸裂、ある意味でカッコイイところが凡百の反戦映画と違うキューブリック仕様なのだ。若者を殺人兵器に仕立て上げるためとはいえ、初めて観たときには、これほど人権無視で卑猥な言葉が果たしてアメリカ軍内に存在したのだろうかと怪しんだが、あったのだ。そういえば、同じ軍隊の陰湿な体質を描いた日本映画に『兵隊やくざ』という人気シリーズがあり、高校生だったころ何本か観たことがあった。たしか1作目は増村保造が監督しており、勝新太郎の八方破れさも痛快だったが、ひ弱なインテリである田村高廣に惹かれた。多分アメリカだったら良心的徴兵忌避者にでもなったのだろうが、日本ではそうは問屋が卸さない。多分ぼくはその頃から早く年をとりたいと思い始めた。運動神経が悪く、減らず口だけが達者とあっては、とてもじゃないが軍隊は勤まるまい。徴兵年齢を過ぎるまで有事が起こらないことを願うしかなかった。で、多分もうセーフな年齢になってしまったが油断はできない。徴兵を回避する方法としては精神異常という診断が有効で、これなら案外可能性があるかもしれない（ちなみに、アインシュタインは「偏平足」の診断を受けて、スイスの兵役を免除されたらしい）。昨日は9.11テロから10年にあたり、グランド・ゼロでは盛大な追悼式典がおこなわれた。犠牲になった人の中には、知人のNさんがいる。銀行員で、今度ニューヨークへ赴任することになったからと、ウチでサヴィニャックのポスターを買ってくれたっけ。丸顔で眼鏡をかけ、人なつっこい笑顔の人であった。</p>
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		<title>おとといポップス#6　”やわらかな紫煙に包まれながら”</title>
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		<pubDate>Sun, 04 Sep 2011 02:01:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>organ</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　小坂忠のライブは、それ以前に一度だけ、たしか法政大学の学園祭で見たことがあった。タイトな演奏をバックにして『機関車』を唄う姿に、アメリカの内省的なSS&#38;Wの姿がダブって見えた。駒沢結城のペダル・スティールが効果 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/09/32607.jpg" class="lightwindow" rel=""><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/09/32607-tm.jpg" alt="32607" title="" class="rightbox" /></a>　小坂忠のライブは、それ以前に一度だけ、たしか法政大学の学園祭で見たことがあった。タイトな演奏をバックにして『機関車』を唄う姿に、アメリカの内省的なSS&#38;Wの姿がダブって見えた。駒沢結城のペダル・スティールが効果的で、いわゆる「日本のフォーク」とは違うスタイルにショックを受けた。サポートは他にドラムスの林立夫、ベース後藤次利、キーボードは松任谷正隆という4人のユニット、「フォージョーハーフ」。タンガリーのシャツにカウボーイ・ブーツを履いた小坂忠がジェイムズ・テイラーだとすると、彼らはさしずめザ・セクションといったところか。「四畳半」を意味するバンド・ネームには、当時の日本のニューミュージック・ブームに対する皮肉も感じられた。どこか「はっぴいえんど」に連なる東京、山の手の音だと思った。だから、バックをやらないかという話にも困ってしまった。　アメリカ西海岸を思わせる都会的な音に対して、ぼくらは南部の田舎っぽい音を指向していたし、やってはみたいけれど明らかに荷が重いな、と感じていた。そんな時、一度会って話をしたいので来て欲しいということになり、狭山に住む彼の家におじゃました。1974年当時、福生や狭山にはまだ在日米軍のハウスが点在していてミュージシャンやアーテイストが住んでいるちょっとしたコミューンだった。「ムーヴィン」の和田博巳さんもその一人で、以前一度遊びに伺い、すぐ近所にある細野さんの自宅で「HOSONO HOUSE」のレコーディング風景を覗かせてもらったことがあり、なにか独特の地場を感じさせる場所だった。ドアを開けると、そこは照明を落としたフローリングのリビングで、古い革の椅子に座った忠さんがぼくらを出迎えてくれた。そして、コーヒーを飲みながら少し話をした。たしか彼は「これからはちょっと重い音をやりたい」みたいなことを言った記憶がある。そしてレイ・チャールズやブルース系のレコードを色々かけてくれた。そのなかでジョシュ・ホワイトというブルーズマンが気に入った。泥臭すぎず、洒落た感覚で、どちらかというとブルースが苦手だったぼくにもスンナリ聴ける音だった。やわらかな紫煙に包まれながら、ぼくらは彼と一緒にやってみる気になっていた。</p>
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		<title>おとといポップス#5　”自慢じゃないがコチトラ譜面が読めない”</title>
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		<pubDate>Fri, 26 Aug 2011 02:51:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>organ</dc:creator>
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			<content:encoded><![CDATA[<p>　<br />
<a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/08/6685977.jpg" class="lightwindow"><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/08/6685977-tm.jpg" alt="6685977" title="" class="rightbox" /></a>　1974年当時、ぼくらは確か毎月20万円の給料をプロダクションからもらっていたはずだ。5人で割れば一人4万円。今から38年前とはいえ、東京暮らしはギリギリだった。レコードは新着を渋谷のYAMAHAでチェックして、新宿西口にあった中古屋を物色、欲しい服はBIGIで眺めて、TAKAQのワゴンで似たヤツを買ってすぐ後悔。マネージャーからは「演歌歌手ひとりでも、バンド5人でも払う側にとっては同じなんだから」といわれ、まったく売れないぼくらには返す言葉がなかった。渋谷の「じゃんじゃん」や荻窪の「ロフト」など、当時でき始めていたライブハウスに出ても、ギャラは雀の涙。それはぼくらに限ったことではなく、一部のフォーク系のシンガーを除けば「日本語のロック」を目指す同輩達も同じようなものだった。そんなわけで、バッキングやスタジオの仕事をすることになった。とはいっても、自慢じゃないがコチトラ譜面が読めない。限られた時間内でレコーディングするスタジオワークは、渡された譜面を見ながらの、ほぼ一発勝負と聞いて無理だと思った。バッキングなら歌い手さんと一緒にリハーサルしながらヘッド・アレンジでなんとかなりそうだと、不承不承ながら引き受けることになった。今となっては、どなたが最初だったか忘れてしまったが、プロダクションがテレビ局に強かったせいで、連ドラ系の歌うスター中村雅俊さんのツアーでは日本国中を回った。田中健さんや小野寺昭さんとか、なぜか愛川欽也さん、それに女性アイドル歌手もやった。そういえば、同輩の「はちみつぱい」はアグネス・チャンのステージだけでなく、レコーディングもやっていたっけ。それに彼らはスタジオ・ミュージシャンもこなしていたはず、大所帯だしね。同じヘッド・アレンジ派としては謎だったのだが、後年になって鈴木慶一にそのことを尋ねてみると答えがふるっていた。「ある時ピアノで呼ばれたんだけど、1,2回リハやって即本番。ままよ！っとばかりに弾いてるフリだけしたんだ。ところがプレイバックの段になってアレンジャーがピアノが聞こえないって騒ぐんだね。当然すっとぼけたけど」。ぼくらも少しはスタジオをやった。やっぱりテレビがらみ、それも子ども向け番組が多かったが、あの緊張感はやはり馴染めなかった。ただ、アニメだったか、効果音は面白かった、譜面ないしね。「恐怖っぽい音、お願いします」といわれて、シンバルをこすったりとか。まあ、『サイコ』のバーナード・ハーマンとはいかなかったけど。忘れられないのは西田佐知子さんを1曲だけやったこと。16ビートのちょっと洒落たアレンジをした。仮唄はたった1回でOK。ハスキーな声となげやりな情感は、大好きだった『アカシアの雨がやむとき』の頃と変わっていなかった。そんなある日、マネージャーから意外なオファーが来た。小坂忠のバックをやらないか、という話だった。</p>
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		<title>ローカル・スタンダード。</title>
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		<pubDate>Thu, 25 Aug 2011 22:39:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>organ</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　　小学校の林間学校で飲んだ飴湯の味が忘れられない。夏とはいえ山間の川の水はとても冷たく、10分もすると唇が紫色に変わるほどだ。そんな時に用意されたピリッと甘く暖かい飴湯の一杯は、それまで苦手だったはずの生姜のイメージを [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/08/IMG_3186.jpg" class="lightwindow"><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/08/IMG_3186-tm.jpg" alt="Img 3186" title="" class="rightbox" /></a>　　小学校の林間学校で飲んだ飴湯の味が忘れられない。夏とはいえ山間の川の水はとても冷たく、10分もすると唇が紫色に変わるほどだ。そんな時に用意されたピリッと甘く暖かい飴湯の一杯は、それまで苦手だったはずの生姜のイメージを変えてくれた。生姜が飲み物として日本以外でも愛用されていることを知ったのは、バリ島に行ったとき。ワルンで一休みした際にオーダーしたジンジャー・ティーには、かなり大ぶりの叩き生姜がドカンと沈んでいたからビックリした。日本のものより味も香りも強く、暑い国の人もやっぱり体の中を温めるんだナー、などと感心してしまった。その後、アジアの映画や音楽に興味を持つにつれて、生姜はアジア全体で愛用されるハーブなんだと知った。『ジンジャーとフレッド』というフェリーニの映画を観て、いつか自分の店を持ったら&#8221;Ginger&#8221;という名前がいいとも思った。それは今のところ実現していないが、このところのジンジャー人気は世界的である。東京で友人がやっているFructusという自然派系ジュース屋が作ったジンジャー・コーディアルも好評らしい。炭酸で割ってジンジャーエールにしたり、ビールやスピリッツに入れたりと、左党としてはいろいろ楽しめそうである。近々organでも販売する予定なのだが、目下の所は鳥取は宝月堂の「生姜せんべい」だ。鳥取のおばちゃん達が畑仕事の合間に飲むという香ばしい健康茶「浜茶」と一緒に食すれば気分はスッカリ日本海なのである。ラベルに「気高町瑞穂生姜使用」と産地表記があるところもいい。「ローカル・スタンダード」なのである。9/4まで「浜茶」共々絶賛限定販売中、試食あり。</p>
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		<title>おとといポップス　＜わくらば編＞</title>
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		<pubDate>Sun, 14 Aug 2011 08:45:24 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[　　 　実は、初めて買ったドーナツ盤は洋楽ではない。1959年、当時民謡歌手の枠を越えてブレイク中だった三橋三智也の『古城』というレッキとした邦楽である。佐賀の駅前にあったレコード屋で母をくどいて買ってもらったから覚えて [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　　<br />
<a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/08/8158bafc451e363711f37b1eaaf844d5.jpg" class="lightwindow"><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/08/90bd136cd51d176cafcc017f40ff5df8.jpg" alt="仲宗根美樹2" title="" class="rightbox" /></a>　実は、初めて買ったドーナツ盤は洋楽ではない。1959年、当時民謡歌手の枠を越えてブレイク中だった三橋三智也の『古城』というレッキとした邦楽である。佐賀の駅前にあったレコード屋で母をくどいて買ってもらったから覚えている。ラジオで聴いた哀愁のハイトーン・ボイスにノックアウトされてしまったのだが、文語調の歌詞はチンプンカンプン。「栄華の夢を　胸に追い」くらいは「映画の夢を　胸匂い」と勝手に解釈できたが、「わくらば」となるとまるで判じ物みたいで完全にお手上げだった。三橋三智也ではもう一つ『怪傑ハリマオの唄』も忘れられない。白黒テレビがようやく一般家庭に普及し始めたころのテレビ主題歌なのだが、番組の内容はかなり荒唐無稽。義賊とおぼしき主人公が東南アジアを舞台に、ピストル片手に馬にまたがり、悪漢共を懲らしめるという内容で、今思えば太平洋戦争における日本の立場を正当化しかねない危うさを含んでいるのだが、そんなことは当時思ってもいない。ただターバンを巻き、サングラスをかけたヒーローが、月光仮面よりもクールでエキゾチックに見えたのだ。ソフトボールなどに時間を忘れ、フト気がつくとあたりはすっかり夕まぐれ。暗くなった田舎道をトボトボ友達とふたり家路を急ぐとき、勇気を出すために「真紅な太陽燃えているー」と大声で歌いながら歩いたものだった。「わくらば」は漢字では「病葉」と書くが、「朽ち葉」ほどの意味だろう。やはり当時ヒットしていた沖縄出身の仲宗根美樹の『川は流れる』という曲は、この言葉から始まる。ラ行の発音が巻き舌の、ハスキーな声で世の無常を唄われるとゾクゾクした。いま聴いたらどうだろうかとYouTubeにアクセスしてみたら、まごうかたなき名曲だった。しかも、アレンジはクロンチョン風ではないか。このインドネシアのトラッドなリズムは、戦争中『ブンガワン・ソロ』という曲としても有名だった元祖エキゾチック歌謡なのだ。洋楽、邦楽の区別にさほど意味などはない。それよりも、「良い唄は悲しい唄である」という時のマレーの感受性が好きだ。</p>
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		<title>　おとといポップス　＜リビドー編＞</title>
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		<pubDate>Tue, 09 Aug 2011 01:32:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>organ</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　 　初めてドーナツ盤を買ったのは平尾昌明の「ランニング・ベア（悲しきインディアン）」だったか。ラジオから流れる悲恋のロッカバラードに、奥手だった小学生が我知らず動揺したことを覚えている。ちょっと”しゃくる”様な歌声にす [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　<br />
<a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/08/20051031224756.jpg" class="lightwindow" rel=""><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/08/20051031224756-tm.jpg" alt="20051031224756" title="" class="rightbox" /></a>　初めてドーナツ盤を買ったのは平尾昌明の「ランニング・ベア（悲しきインディアン）」だったか。ラジオから流れる悲恋のロッカバラードに、奥手だった小学生が我知らず動揺したことを覚えている。ちょっと”しゃくる”様な歌声にすっかり夢中になり、途中のサビの部分で突然英語になるところにもシビレた。オリジナルをジョニー・プレストンという人が唄っていることなど知るよしもなかったし、もちろんカヴァーなんて言葉も存在しなかった。1960年代初頭の日本はアメリカのヒット曲の焼き直し全盛の頃だった。そんなレコードをなんとなく「洋楽」と呼んでいたのかもしれない。「ポップス」という語感を知ったのは、その後中学生になった頃のやはりラジオ番組を通してだったと思う。それは高崎一郎、糸居五郎など、英語混じりでオリジナルを紹介したDJ達のおかげでもあるが、ひょっとすると前田武彦が女の子とのおしゃべりを交えて音楽を紹介する『東芝ヒットパレード』だったような気がする。<br />
　前田武彦は放送作家であり、ポップスに強いわけでもない。だから、音楽情報みたいなことは通り一遍だったけど、そのかわりに当意即妙な話術があった。それは、時に時事風刺だったりもするのだが、決して強弁ではなく、押しつけがましさはなかった。それは、同じ放送作家でジャズのラジオ番組をやっていた大橋巨泉とは対照的でもある。後にふたりは『ゲバゲバ90分』でタッグを組むのだけれど、巨泉の押しの強さの前でマエタケは割を食っていたように思う。彼は、どちらかというと言葉少ない饒舌家で、テレビよりラジオが似合う人だったのだろう。</p>
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		<title>おとといポップス#4　”唄うニューヨーカー”</title>
		<link>http://organ-online.com/info/archives/1989</link>
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		<pubDate>Sat, 23 Jul 2011 02:47:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>organ</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　 　『恐怖のこまわり君』がヒットしたこともあり、2枚目のアルバムを作ることになった。もはや今までのように「売れなくてもいい、自分たちの好きな音楽をやりたい」などとナイーヴな宣言をして、マネージャーを泣かせるわけにはゆか [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　<br />
<a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/07/IMG_3092.jpg" class="lightwindow"><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/07/IMG_3092-tm.jpg" alt="Img 3092" title="" class="rightbox" /></a>　『恐怖のこまわり君』がヒットしたこともあり、2枚目のアルバムを作ることになった。もはや今までのように「売れなくてもいい、自分たちの好きな音楽をやりたい」などとナイーヴな宣言をして、マネージャーを泣かせるわけにはゆかない。ギミックと取られても仕方がないようなシングルを出した後なので、バンド名を変える案が出た。”Cinema”とか”Hotel”なんてね。そこにはYさんというディレクターのアイデアも反映されていた。彼は、アメリカのA&#38;Mスタジオでのアシスタント経験を経て帰国したばかり。趣味性を発揮しながらビジネス的にも成立させる本場の音楽産業を学び、それを日本で実践しようとしていた。余談だけれど、1975年発売になった「Made in USA catalog」という雑誌の巻末に、LAで現地コーディネーターとして彼の姿が写っている。そういえば、彼の兄は著名な和製ポップス作曲家であり、加藤和彦氏や今野雄二氏とも親交が深かった。そんなわけだから、新しいムーヴメントへのアンテナも鋭かった。それは、前述のロキシー・ミュージックなどに限らず、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、ダニー・ハザウェイなどの”ニュー・ソウル”や、マイケル・フランクス、ジョージ・ベンソン、クルセダースなどの”シティ・ポップス”や”フュージョン・ミュージック”にも及んでいた。ポップスが単なる流行歌から、モダンで都会性をともなったスタイルへと移行していた時代だった。その中で、僕らは、よく言えば個性的、下手をすれば独善的とも写る「作家性」の強いポップスへと傾斜していったのだと思う。たとえば、ルパート・ホームズ。1974年にEPICレコードから出た&#8221;Widescreen&#8221;というアルバムは、まさに「唄うニューヨーカー」といった風情で、夢中で歌詞を追った。たとえば、こんな風だ。</p>
<p>僕は映画と一緒に生活している<br />
でも、マチネーは5時で終わる<br />
まだ太陽がまぶしい外へ瀕死の状態で出なければならない<br />
ああ、映画館の中へ戻りたい<br />
そこはいつも夜なんだから<br />
ワイドスクリーン、目が回るよ<br />
たくさんの噓でボクを満たして欲しい<br />
　＜”Ｗｉｄｅｓｃｒｅｅｎ”＞<br />
　<br />
これではまるで、映画『ボギー！俺も男だ』とダブってしまう。同じ時期、ボクはウディ・アレンを知ってしまっていた。自分の様々なコンプレックスをカリカチュアライズし、ギャグに変えてしまう奇妙な才人は、まるでハンフリー・ボガートをレディメイドなものとしてリ・メイクしてしまうマジシャンみたいだった。それはさておき、ルパート・ホームズである。ニューヨークのティンパンアレイに連なる流麗なオーケストレーションと、ジャズやポップスのクリシェを用いて、アメリカの様々な表層文化をコラージュしたような彼の音楽もボクにとってはマジックみたいだった。それは、その後オーケストラ・ルナという、オフ・オフ・ブロードウェイの実験的ミュージカル仕立てめいたアルバムを彼がプロデュースしたことで一層明らかなものになった。正直に言って、今ひとつ乗り気になれなかったこの2枚目のアルバム製作で、彼へのオマージュを混入させることだけがボクの密かな願いになっていった。</p>
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		<title>おとといポップス#3　　”死刑！”</title>
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		<pubDate>Wed, 20 Jul 2011 22:15:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>organ</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　 　1974年は例えばこんな年だった。＜ウォーターゲート事件でニクソン米大統領辞任＞＜　金脈問題で田中角栄首相辞任＞＜オイルショックによりNHKが短縮放送＞＜『かもめのジョナサン』、『ノストラダムスの大予言』出版＞など [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　<br />
<a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/07/IMG_3082.jpg" class="lightwindow"><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/07/IMG_3082-tm.jpg" alt="Img 3082" title="" class="rightbox" /></a>　1974年は例えばこんな年だった。＜ウォーターゲート事件でニクソン米大統領辞任＞＜　金脈問題で田中角栄首相辞任＞＜オイルショックによりNHKが短縮放送＞＜『かもめのジョナサン』、『ノストラダムスの大予言』出版＞などなど。つまり「アメリカ型発展幻想」は終わりを告げようとしていた。世界は今に繋がる「後戻りできない総資本主義体制」の時代に突入し、「終わりの始まり」ともいえる「出口なし」的実存を生きることになる。<br />
　そんなタイミングで聴いたのが10ccだった。「ロックマニエリズム」の仲間なのだけれど、とてもキャッチーでとっつきやすかった。まるでビートルズのリミックスをやっちゃう職人みたいなユニットで、英国人特有の辛辣な歌詞で文化や政治をおちょくった。「フェリーニの新しい映画、もう観た？」なんて歌詞を見つけて、すぐに『アマルコルド』を観ようとしたけど、僕が観たのはメル・ブルックスの『ヤング・フランケンシュタイン』だった。社会にコミットするよりもモラトリアムを決めこむことにしたわけだ。もちろんバンド暮らしはままならず、さまざまな欲望はすべて宙ぶらりんなまま。でも、そんな執行猶予の時間は山上たつひこ氏によって打ち破られようとしていた。<br />
　鳴かず飛ばずの我がバンドに事務所が突きつけた最後通告は「この企画を受けなければ、お前らお払い箱だよ」だった。練馬の駅近くの喫茶店で打ち合わせのために初めて会った山上氏は、『がきデカ』を描いた人とは思えないほどシャイで社会派の人だった。だから、と言うわけでもないが、やってみることにした。東京暮らしをこのまま続けても、失うものは多くはないのだから<br />
　歌詞を書くために、初めて彼の漫画を読み、キーワードをピックアップした。やはりポイントは「死刑！」だろう。問題はサウンドである。明快なノリがあり、かつ斬新なアレンジということで10ccをヒントにする案が浮上した。雑誌とのコラボでもあり、時間はあまりなかった。僕らは、「死刑！」のフレーズがそのまま生かせそうな「Silly Love」という曲を”参考”にすることにした&#8230;。<br />
　発売されたシングル盤『恐怖のこまわり君』は、あっという間に、確かオリコンの4位か5位まで駆け登ってしまった。もちろん、爆発的に売れた漫画のおかげなのだが、悪い気はしなかった。ある日、加藤和彦氏の深夜ラジオ、オールナイト・ニッポンで「10ccの曲をこんな風にやっちゃった器用なバンドがいます」と、なんと2曲続けて紹介されたことを聞き、それさえも嬉しく思った。ところが後日、10ccの楽曲を管理している音楽出版社からクレームが入り、それ以降プレスされたシングル盤のクレジットの作曲者名は10ccとの併記になってしまったのである。しかし、そのことさえも喜んでしまったほど、僕らはヘンテコなバンドだった。<br />
P.S. その後の調査によると、『恐怖のこまわり君』は「要注意歌謡曲」には指定されていなくても、それに類するものとして「禁じられた歌」（ルック社）に掲載されているらしい。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>おとといポップス#2　”Re-make/Re-model&#8221;</title>
		<link>http://organ-online.com/info/archives/1909</link>
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		<pubDate>Fri, 03 Jun 2011 08:40:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>organ</dc:creator>
				<category><![CDATA[murmur]]></category>

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		<description><![CDATA[　 あいまいな記憶をさかのぼってみると、ぼくらのバンドはアメリカの&#8221;Down to earth&#8221;な音楽から一転して、今野雄二さんが言うところの「ロック・マニエリズム」（1)へと急旋回したようだ。文 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　<br />
<a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/06/RIMG0048-1.jpg" class="lightwindow" rel=""><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/06/RIMG0048-1-tm.jpg" alt="Rimg0048-1" title="" class="rightbox" /></a> あいまいな記憶をさかのぼってみると、ぼくらのバンドはアメリカの&#8221;Down to earth&#8221;な音楽から一転して、今野雄二さんが言うところの「ロック・マニエリズム」（1)へと急旋回したようだ。文化服装学院の一部の学生さんを除けば、ファンなんてほとんどいないも同然だったので特に支障はなかった。なにより、まだ「日本化」されていない音楽を発見するのは刺激的だった。造反、もとい、新しい風を送り込んでくれた青木君はその後次々にヘンテコなアルバムを紹介し、ぼくらも次第に興味を持ち始めた。それは例えばルイス・フューレー(2)やスパークス(3)だったり、コックニーレベル、セイラーだったりとクセの強い、よく言えばアーテイスト肌の人達で、もちろんマイナーな存在だったが、比較的名の知れたRoxy Musicはその中でもハードルが高めだった。当時全盛だったグラムロック張りの派手な衣装とメイクをほどこした1stアルバムは、”Re-make/Re-model&#8221;という曲から始まっている。当時マルセル・デュシャンの”Ready-made”からアダプトされたことを知るよしもなく、なんだか神経を逆なでされるような音だと思った。それは、グループ内のもう一人のブライアンであるイーノの存在が大きかったのかもしれない。その証拠に、1972年に発売されたブライアン・フェリーのソロアルバムのほうは、ビートルズやディランなどのカヴァー曲で占められた、ある意味でポップなものだった。とはいっても、それはノスタルジーという定型を使って、むしろそれを外して戯れているかのような感じがした。もちろんぼくらはそんな技量を持ち合わせてはいなかったので、ごく律儀に、愚鈍に影響を受けただけだったのだけれど&#8230;。それにしても、同じ接頭詞”Re”とは言え&#8221;Re-set&#8221;という、あたかもそれまでの歴史や振る舞いが帳消しになって、なにか新しい価値が立ち上がってくるような幻想を持つことはなかった（と思うのだが）。<br />
(1) 元来”マニエリズム”とは絵画用語で「一度完成されてしまった絵画をいかにして崩して新しい動きをみつけるかを模索していた時代」を指す。それを、大のロキシー・ファンだった今野さんがポップスに当てはめたもの。後にパンクやニューウェーブが出現するまでの過渡期的時代を言い当てた言葉として記憶にとどめたい。<br />
(2)フランス語圏カナダ人ミュージシャン。シアトリカルでデカダンな世界には緒川たまきさんもゾッコンだと「モンド・ミュージック」でのインタビューで答えていたっけ。1985年自ら監督した映画『ナイト・マジック』ではレナード・コーエンとパートナーであるキャロル・ロールと（ファンにとっては）夢のコラボを果たした。<br />
(3)ロンとラッセル兄弟により1960年代にロスアンジェルスにて活動開始。1971年、トッド・ラングレンのプロデュースによる「ハーフ・ネルソン」名義のアルバムを（なんと）ベアズヴィル・レーベルよりリリースするも不発。1974年イギリスで製作したアルバム「キモノ・マイ・ハウス」がヒット。当時我が青木君はロンに対抗してチョビ髭をたくわえてステージに立つことになる。</p>
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		<title>おとといポップス#1   &#8220;聴いた途端に「音痴」だと思った&#8221;。</title>
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		<pubDate>Tue, 31 May 2011 05:35:08 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[　 　ブライアン・フェリーを初めて聴いたのは、高円寺の駅前にあったロック喫茶で、多分1975年だったか。ぼくは、参加していたバンドが幸運にもアルバム・デビューし、渋谷のジャンジャンや、都内にボチボチでき始めたライブハウス [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　<br />
<a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/05/IMG_2707.jpg" class="lightwindow"><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/05/IMG_2707-tm.jpg" alt="Img 2707" title="" class="rightbox" /></a>　ブライアン・フェリーを初めて聴いたのは、高円寺の駅前にあったロック喫茶で、多分1975年だったか。ぼくは、参加していたバンドが幸運にもアルバム・デビューし、渋谷のジャンジャンや、都内にボチボチでき始めたライブハウスで地味に活動はしていたものの、あいかわらず鬱々とした東京暮らしを続けていた。それでも次のアルバムへの模索も始めていて、方向性についてバンド内での意見が分かれていた頃だった。ある日、いつものように小さなスタジオでの練習を終え、同じ中央線沿線に住むバンドの青木くんと電車に乗ったところ、面白いレコードがあるから聴いてみないかと誘われ、それじゃあ、ということでその店に行くことになった。道玄坂のヤマハで買ったというそのレコードはRoxy Musicだった。まがまがしいジャケット(１)を見たとたん、アメリカン・ロックやSS&#38;Wをウリにしているその店(２)には不向きなことが想像できたが、彼の熱意に負けてかけてもらうことにした。ところが、予想以上にイカレタ音にすっかりゲンナリしてしまった。実験的な演奏と性急なリズムにヒステリックなシンセサイザーが絡むかと思えば、一転して単調なフレーズの繰り返し。前衛といわれるグループを知らないわけではなかったが、そのいずれとも違う奇天烈さ。極めつけはブライアン・フェリーのボーカルだ。聴いた途端に「音痴」だと思った(3)。しかも唄っている本人は思い入れタップリと来ている。LPの片面がこんなに長く感じたことはない。もうこの店には顔は出せないな、と思いつつ彼と別れた。ところが、それからしばらくするといっぱしのファンになっていた。多分、アメリカ音楽に食傷気味だったのかも。師匠ザ・バンドは求心力を失い、ロックという名の巨大なマーケットと化したアメリカから、イギリスやヨーロッパから発信される独創的な音楽へと意識的にシフトしようとしたのだろうか。昨日のことのようにとはゆかないが、おとといの出来事くらいには覚えている。<br />
（１）多分4枚目の「Country Life」だったかな？ 間違ってたらゴメン、青ちゃん。<br />
（２）行きつけだった [Movin'] はもはや存在せず、駅近くにできた何軒かのロック喫茶のうちのひとつ。名前は忘却。<br />
（３）そういえば、ボブ・ディランにしても、「風に吹かれて」をラジオで初めて耳にしたとき、レコードの回転数が間違っていると疑った。</p>
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		<title>『I&#8217;m Your Fun』</title>
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		<pubDate>Fri, 06 May 2011 05:56:48 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[　 　毎年、ゴールデンウィーク後半ともなると、駅前広場に大きな舞台が出現する。朝から「チェック、チェック、ワン、ツー、ワン、ツー」とマイク・テストが始まって、アーそうだった、”どんたく”だったと気づく。そうなると夜まで大 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　<br />
<a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/05/IMG_2648.jpg" class="lightwindow"><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/05/IMG_2648-tm.jpg" alt="Img 2648" title="" class="rightbox" /></a>　毎年、ゴールデンウィーク後半ともなると、駅前広場に大きな舞台が出現する。朝から「チェック、チェック、ワン、ツー、ワン、ツー」とマイク・テストが始まって、アーそうだった、”どんたく”だったと気づく。そうなると夜まで大音量で和太鼓や演歌を聞かされる羽目になる。背振山のトンネルを抜けた佐賀の吉野ヶ里近くのAMPギャラリーへ行く気になったのには、つまり喧噪を逃れる為もあった(そんなことを言ってもYABUさんは怒らないだろう。なにしろ彼と僕は「山笠が苦手」という共通項があるのだから)。もちろん、彼にとって初の試みである、ロック・ミュージシャンばかりを描いた『I&#8217;m Your Fun』と題する個展を楽しみにしていたのは言うまでもない。<br />
　AMPギャラリーを主宰する瀬下黃太さんはミュージシャンでもあり、彼のユニットであるGOGGLESを僕は勝手に贔屓にしている。初めて彼らのCDを聴いたのはずいぶん前だった。『Please Freeze Me』と題され、ビートルズを見事に換骨奪胎したかのような曲にノックアウトされてしまったのだ。そんな繋がりも感じつつ訪れた会場は、とあるカーマニアの方がヴィンテージ・カーを保管しているという広いガレージの一画にあった（以前は白州次郎が所有し、その後、伊丹十三、ムッシュかまやつへと受け継がれた名車ロータス・ヨーロッパも保管されていたというエピソードもあり）。<br />
　前置きはこれくらいで、肝心の個展である。YABUさん自身「まるで昔の音楽雑誌の投稿欄にある似顔絵みたいなものを描くとは思ってもいなかった」と恥じらうのもムベナルカナという感じのカリカチュアに思わずニンマリ。どこかで見覚えがある、おもに80年代ニューウェイヴ期以降に活躍した（り、そうでもなかった）ミュージシャン達の「ほぼ決定的瞬間」がさまざまな技法でFreezeされている。赤のクレヨンで単純化されてしまったデイヴィッド・バーン、クロッキーで鎮魂化されたイアン・カーティス、JRでふたりのオバサンの横に何気に座るベック( 写真 )、虚空を見つめながらベッドで放心しているサーストン・ムーア、赤のジャケットを着た本物よりも男前なイアン・デュリー。そのどれもが、YABUさんの優しい毒牙にかけられてスッカリ観念してしまっているのである。会期は残すところあと2日。間に合う方はぜひ足を運んでみてください。お腹が空いたらカフェで名物「ヤッホー・カレー」をドーゾ。<br />
PS.　 GOGGLES待望の2nd &#8221; Come Togeta ( コメトゲタ）&#8221;もヨロシク！</p>
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		<title>工芸美術館のBIBLIOTEK。</title>
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		<pubDate>Sat, 23 Apr 2011 09:15:46 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[　 　パリからコペンハーゲンに駆けつけた二人に「工芸美術館へ行くとデンマーク・デザインの素晴らしさが実感できるよ」と言いつつ案内したものの、過去に何度か足を運んでいるわけで、今回僕は入館せずにウェグナーのModel701 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　<br />
<a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/04/IMG_2092.jpg" class="lightwindow"><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/04/IMG_2092-tm.jpg" alt="Img 2092" title="" class="rightbox" /></a>　パリからコペンハーゲンに駆けつけた二人に「工芸美術館へ行くとデンマーク・デザインの素晴らしさが実感できるよ」と言いつつ案内したものの、過去に何度か足を運んでいるわけで、今回僕は入館せずにウェグナーのModel701がズラリと並んだカフェテリアでひとり休憩を決めこむことにした。ところが昼時でもあり満員だった。しかたなくその奥にある図書室をガラス越しに覗いてみると、すこぶるイイ感じ。チト入りづらい雰囲気を感じつつドアを開けて足を踏み入れてみた。ひととおり本棚を眺めると日本のコーナーも結構充実していて、大好きな『かたち』のオリジナル版もちゃんと置いてある。すると女性スタッフが近寄ってきて「日本の方ですか？」と声を掛けられた。今回方々で震災への見舞いの言葉を掛けられたので、てっきりそうだと思ったのだが、そうではなかった。「日本の古い版画があり、そこに描かれてる花がサクラかどうか判断していただきたいのです」とのこと。多分彼女は一番不適格な「花オンチ」へ声を掛けてしまったようだ。しかしサクラとウメの違いくらいは何とかなるだろうと思い承諾した。それは淡い色調が美しい、細密な一種の装飾パターンで、多分襖（ふすま）にでも使われたのだろうか？　描かれている花はほぼサクラに違いなかった。刷られた年代を尋ねると1900年前後とのこと。ずいぶん前に骨董市で買った竹久夢二の色紙にも通じるグラフィカルさだが、こちらはもっと手が込んでいる。ひとしきり見入っていると「他にもあるけど、見ませんか？」との声。断る理由はなくお願いすると、彼女の姿が消え、しばらくすると一抱えもある大きな箱をかかえて戻ってきた。そこから現れた、ため息が出るほど素晴らしい日本の色彩と意匠にしばし呆然。なんだか勝手に誇らしい気分に浸りつつ部屋を後にした。</p>
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		<title>Nyonya Malaysia Express</title>
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		<pubDate>Wed, 20 Apr 2011 23:35:22 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[One of the best Malaysia restaurants in Amsterdam. Kloveniersburgwal 38, 1012 CW Amsterdam, Nederland 020 4222 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/04/RIMG0927.jpg" class="lightwindow" rel=""><img src="http://organ-online.com/info/wp-content/uploads/2011/04/RIMG0927-tm.jpg" alt="Rimg0927" title="" class="rightbox" /></a><br />
<span style="font-family:Times;color:#0005ee;text-decoration:underline;"><br />
</span><span style="font-family:Times;color:#0005ee;text-decoration:underline;"><br />
</span><span style="font-family:Times;">One of the best Malaysia restaurants in Amsterdam.</span><span style="font-family:Times;color:#0005ee;text-decoration:underline;"><br />
</span><span style="font-family:Times;">Kloveniersburgwal 38, 1012 CW Amsterdam, Nederland<br />
020 4222447</span></p>
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