murmur

ツァイ・ミンリャンの「楽日」

November 19th, 2008

Rimg0417 店休日という事でDVDをまとめ借り、旧作4本で1000円なり。ツァイ・ミンリャンの「楽日」は二人ともぜひもので、リー・カンションの「迷子」はもともと「楽日」と一緒に併映される予定だった映画だったらしく、こちらも迷わず選択。トーマス・キャンベルの「スプラウト」は最近アメリカ好きになった奥さんの、そしてドキュメント「ポール・ボウルズの告白」はバロウズ関連で観たくなった僕のチョイス、とあくまで民主的。それにしても、久々の台湾映画、それもDVDとはいえ映画環境が貧しい福岡でツァイ・ミンリャンが観れるとは嬉しい。考えてみると、映画館に最後に足を運んだのはいつだったか思い出せない始末。DVDは便利でありがたいが、映画自体のダイナミズムは失われてゆくばかりなのだろう。実は、当の「楽日」が、そんな古い映画館の閉館日を描いたものだった。しのつく雨の中、だだっ広い客席には子供と、老人、それにゲイの男たち。足の悪いモギリ嬢が、ゆっくりゆっくり薄暗い階段を上がり、映写室へと蒸しパンの半分を届ける様子を執拗なロング・ショットでとらえる。せりふはなし、とまあ、観てない人には何のことだかわからないだろうが、観ていても「一体全体どうすりゃいいのか」と、とまどう。でも、これはツァイ・ミンリャンいつものやり口だ。最後の誰もいなくなった客席を、ただひたすら5分間も撮り続けたシーンがヴェネツィア映画祭で物議をかもしたのもうなずける。そんな強引な映画なのだが、見終るとようやく全体が俯瞰でき、その見事な映画術にあきれてしまうほかないのだ。一方、ツァイ・ミンリャンの秘蔵っ子俳優リー・カンション初の監督作品「迷子」のほうは、当初予定していた短編だったらもっと良かっただろうに、という感じ。そうそう、監督とその分身みたいな子役といえば、エドワード・ヤンの「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」でデビューしたチャン・チェンがいる。そして当然のように、フランソワ・トリュフォー作品でのジャン・ピエール・レオを思い出す。そういえば、ツァイ・ミンリャンの「ふたつの時、ふたりの時間 」にはそのジャン・ピエール・レオが出ているし、なんだか台湾映画とフランス映画が、僕の中では入れ子状態になっているようだ。

アメリカ気分

November 16th, 2008

Rimg0387 スフィアン・スティーヴンスを初めて聞いたのは、1年ほど前だったと思う。アメリカから届いた期待のSS&Wのアルバムという触れこみだったけど、聴いてみると僕らの世代が知っているSS&Wとはかなり様子が違っていて、すっかり感心してしまった。バンジョーがポロンポロンと響き、それとは対称的にブラスやオーケストラといった音響がオーバーラップするスタイルに、鈴木惣一郎とヴァン・ダイク・パークスが出会ったような音だと思った。そこには、R&Bやソウル・ミュージックといった黒人音楽からの影響が見あたらない。にもかかわらず、スピリチュアルと言っていいような雰囲気が漂ってもいる。そんな思いを強くしたのは、最近手にした”The Welcome Wagon”という白人夫婦ユニットのアルバムを聴いてからだ。スフィアン・スティーヴンスがプロデュースしているのだが、古き良き時代のいかにもワスプな白人夫婦のポートレイトを模したジャケット・デザインにスフィアン自身のアルバムとの共通性を感じた。というか、旦那さんがかぶっている麦わらのテンガロン・ハットに目が釘付けになってしまった。僕がゴーストランチの売店で買った10ドルのテンガロン・ハットにそっくりなのだ。どうも、まだアメリカ気分が抜けきっていないようだ。で、肝心のCDなのだが、まるでシェーカー家具に囲まれたような気分で、もちろん悪いわけがない。1曲目の”Up On A Mountain”と、7曲目”American Legion”が白眉だ。
The Welcome Wagon / Welcome to the Welcome Wagon (Asthmatic Kitty Records AKR 045)

この星はもっとずっと住みやすくなる by バロウズ

November 14th, 2008

 
Rimg0375 奥さんがウィリアム・S・バロウズの「Last Academy」というDVDをレンタルしてきてビックリした。あれほどヨーロッパびいきだった彼女も、最近はアメリカ寄りだと自他共に認めている。それにしても、よりによってあんなにヘヴィーな変人に興味を持たなくても・・・と思ったが、ひょっとするとサンフランシスコでビートニク発祥の本屋「シティライツ・ブックセラーズ」に立ち寄ったせいかもしれない。なにしろ、アレン・ギンズバーグも実はバロウズに憧れていたという話で、僕としても興味が無いわけではない。といっても、80年代ニューウェイブの最中に、イギリスのスロッビング・グリッスルというカルトなバンドが、ある時に名前をサイキックTVと変え、その名前の由来がバロウズであるということくらいの認識でしかなかったのだけれど。その後、彼がピストルを手に不気味に笑っている写真を見たり、小説「裸のランチ」を買ってはみたものの、どうにも不可解なだけだった。で、初のDVDだったのだが、前半はダダやシュールリアリズムのコラージュ作品みたいで、かなりヨーロッパっぽい印象。ところが、後半のパフォーマンスは圧巻だった。いわゆるポエトリー・リーディングのイヴェントなのだろう、若い聴衆を前によどみなく自作を朗読するクールな姿はちょっとしたものだった。いわば世間の、というかアメリカのタブーみたいなものに敢然と挑む姿勢は、もちろん挑戦的だけど、ある種痛快でユーモラスでさえある。それは、知性というものがある不思議な発展を遂げた結果を思わせるものだった。ふと、北野タケシを思い浮かべてしまった。しかし、バロウズが果たして生前にテレビというお気軽なメディアで毎週お茶の間に顔を出しただろうか、と想像した途端にこの仮説は霧散してしまった。お国柄というものは、厳然としてあるのである。それにしても、アメリカという国の果敢な実験性は、この種の重層的なサブカルに支えられているようだ。

末永いおつきあい

November 11th, 2008

Rimg0194 先日、友人の結婚披露宴に招かれた。新郎は開店当初のお客さんで、その後家族同様の付き合いを続けさせてもらっているN君。彼にはホームページを作ってもらったり、海外に買い付けに行く折りに店の留守をお願いしたりと、とてもお世話になっている。そんなわけで、挨拶を頼まれたときも断る理由が見つからなかった。でも、実は随分以前、勤めていた会社の若いスタッフの披露宴に「歯が痛いから」などという子供だましな理由を付けて出席しなかった位、こういう席が苦手である。前日の夜は、さてどんな話が出来るだろうかと、あれこれ思案した。でも、妙案が見つからない。少しは知っているつもりでいたデザイナーとしてのN君の資質にしても、いざとなるとどうすれば伝えることが出来るのかと困ってしまい、観念して寝てしまった。当日、式直前になって司会者の人から「今日はよろしくお願いします」と釘を刺され、予感が的中した。仲人なしの場合、新郎側のご挨拶ということは、トップバッターなのである。実は、乾杯を終え、せめて一杯でもアルコールを流し込んだ後で臨みたかったのだが、万事休すである。指名されると、意を決して席を立つしかなかった。話している途中で自分の声がこまかく震えているのがわかった。普段は断定的な強弁を振るうくせに、これではまるで小学校の弁論大会だ。だが、このふるえ声を感極まった風に解釈してもらえればラッキーかもしれない。席へ戻り、新郎新婦の顔を覗いた時には、まるで、敵失でホームに生還したような気持ちだった。これに懲りず、二人には末永いおつきあいを願うしかない。

オキーフのお眼鏡

November 7th, 2008

Rimg0180 今回のアメリカでのハイライトは、サンタフェ郊外にあるジョージア・オキーフが住んでいた家を見学すること。だからこそ、1ヶ月前に日本からファックスで申し込みをし、アビキューにあるオキーフ邸のすぐ近くのホテルに泊まり、朝9時半のツアーに臨んだのだ。それは、期待を裏切らない素晴らしい体験だった。アメリカにおいて初めてヨーロッパのコンプレックスを脱し、独自の絵画世界を切り開いた女性画家は、絵画以外の点においても妥協を知らなかった人だったのだ。その審美眼は着る服や、食べるものにも現れている。白か黒のコットンのシャツやワンピースはちょっとアーツ&サイエンスみたいだし、庭で育てた野菜類はもちろんオーガニック。1930年代の暮らしとは思えないほどの先進ぶりには驚く他はない。そして住まい。ニューメキシコ独特のアドビ様式の廃墟を気に入り、10年をかけて改築したアトリエ兼住まいには、今でも彼女の精神が静かに息づいているかのよう。僕は、瞬間的に禅の世界を思い浮かべてしまった。悟りというより、美しいものだけを執拗に追い求めたという意味合いだけれど。そんな中で、キッチンは様々な食器や鍋類が棚に並び、とても興味深かった。その時、熱心に見ていたウチの奥さんが「見て見て、ルスカがある!」と小声ながら興奮した様子で僕の耳元でささやいた。確かに、アラビア社の”RUSKA”と呼ばれているテーブルウェア・シリーズのディナー・プレートが数枚スタックされているではないか。我が家でも頻繁に活躍するこの皿が、オキーフのお眼鏡にもかなっていたとは、なんという嬉しい偶然だろう。

ホールフーズ で夕食を

November 6th, 2008

Rimg0277 サンタフェでどこに泊まろうかと迷っていると、友人のOさんが「Sage Innはどうですか、隣がWhole Foodsですよ」と、知らせてくれた。以前LAに行ったときにSOURCEの杉山さんに連れていってもらい、その時は時間がなくてゆっくり見ることが出来なかったナチュラル系のスーパーマーケットが、サンタフェにもあるらしい。僕も興味があるが、ウチの奥さんが大のお気に入りということもあって、まよわずそのホテルに予約を入れた。レンタカーのGPSに誘導されて目指すホテルに近づくと、ありました、ほんとにすぐお隣。もちろん、チェックインもソコソコにいそいそと向かった。圧倒的な物量はモロにアメリカ的なのだが、なにしろディスプレイが素晴らしい。野菜のコーナーなんて、まるでイームズのピクニック・ポスターみたいにグライフィカルだ。値段は普通のスーパーに比べると高めだけれど、ワインのコーナーにはスタッフのレコメン・コメントがあったりするし、店内のあちらこちらで仕事をしている人たちがとてもフレンドリーで、”May I help you?”なんて声が自然に掛かるからイイ。もちろん、食品がメインだが、ナチュラルなコスメ類も充実していて、ついつい買いすぎてしまう始末だ。美味しいテイクアウトもあり、僕らはスープや総菜、サラダにパン、それにワインをを買い込み、レジ横にあるイート・インのテーブルで平らげてしまった。ふと見ると、小さな子供をふたり連れた若いお母さんがちょうど精算を終えたところだった。かなりの量の食品が、それぞれ違うネームが入った5つのトートバッグに収まっていた。店の紙袋を使わず、5つも手持ちを準備するとは、さすがエコに敏感な人が選ぶ店だなー、と恐れ入ってしまった。

アメリカは、まだまだ捨てたものじゃない

November 6th, 2008

 
Rimg0815 日本に戻ってきて1週間、ようやく時差ぼけが直った。オバマ新大統領誕生のおかげだ。きのうは、世界中が久しぶりにポジティブな気分になれた日だった。「アメリカは、まだまだ捨てたものじゃない」と、誰しもが思ったはずだ。でも、本番はこれから。彼が稀代の雄弁家なのか、それとも本当に実行力がある政治家なのかは未知数なのだから。ところで、僕はオバマ氏の経歴に興味を持っている。ケニア人の父と、白人の母との間にハワイで生まれたアフリカ系アメリカ人であり、青年時代をインドネシアでも過ごしている。ということは、少なからずアジア的空気にも触れたことがあるわけで、つまり、彼は初めての黒人大統領というアメリカ内での評価と別に、僕らアジア人にとっても少しだけシンパシーを持てるということなのかもしれない。宗教的には、父親はイスラム教で母親はキリスト教だったと思う。本名はバラク・フセイン・オバマであり、”フセイン”という元イラク大統領と同じミドル・ネームのために一時期中傷されたこともあったようだ。共和党側の選挙戦略とはいえ、これはいただけない。彼は人種的にも宗教的にもマルチカラードなわけで、それこそが今までにない新しい指導者の魅力なのだから。それに比べて、先ほど更迭された旧国交省大臣の「日本は単一民族発言」や、めでたく定年退職した旧防衛省幹部の「中国侵略否定説」はどうだろう。一部の日本の政治家の見事な時差ぼけぶりは、実際始末に負えないものがある。他者の存在を認めないことは、とても危険なことだと思う。

Kate Spadeのディスプレイ

November 5th, 2008

Rimg0666 今現在、日本時間11月5日午前8時過ぎである。あと2,3時間もすればアメリカの新しい大統領が選出されているはず。事前の予想ではバラク・オバマ氏が優勢だといわれ続けているし、実際、今回のアメリカ滞在中、ニューメキシコの片田舎でさえも、あちこちでオバマ支持のステッカーを見かけたものだ。しかし、ふたを開けるまではわからないのが選挙だ。それにしても、変革を求める声は、企業の宣伝にまで及んでいることに驚いた。サンフランシスコのユニオンスクェアにあるKate Spadeの店の前を歩いていて、巨大な選挙用のバッジを模したウインドウ・ディスプレイに出会った。”take a chance”,”BREATHE FRESH AIR”など比較的穏健な言葉から、”FREEDOM TO USA”、”ASK questions”とあり、果ては”break the rules”ときた。ついさっき見たGAPのショウウインドウにも同じようなバッジのディスプレイがあったが、そちらは単に”VOTE!”と、投票への参加を呼びかけた穏健なものだったが、こちらは違う。明らかにオバマ候補への支持を訴えているのだ。以前、ニューヨークのJack Spadeを初めて訪れた際、そのパーソナルな店内ディスプレイ振りに唸ってしまったことがある僕は、この時も思わず拍手を送りたくなり、調子に乗って店内にはいってしまい、思わず旅行用の小型ボストンバッグを買ってしまった。日本の場合、そんな宣伝方法を採る 企業は見あたらない。広い意味での個人的な政治意識を、商品を買う際の選択肢に反映させることは、リアル感があっておもしろいことだと思う。成熟した資本主義を目指す日本にも、そろそろそんな企業が現れてもいい。もちろん、その前に僕ら個人が、もっと政治に関心を持つことが前提にはなるだろうけれど。

時空を越えたおいしさ

November 4th, 2008

 

Rimg0759 早朝、果てしもなく広がるニューメキシコの荒野から、坂だらけの街サンフランシスコに着いた僕らを迎えたのは濃い霧だった。ボンヤリした頭の中でトニー・ベネットの「霧のサンフランシスコ」が響いていた。特に好きな曲でもないのに。きっと、アメリカに来ていっこうに収まらない時差ぼけのせいだ。それでも、中華街のゲート近くのホテルでチェックインを済ますと、疲れたといってベッドで仮眠を取る奥さんを残し、一人で街へ出てしまった。じっとしていられない性分は、どこにいても変わらない。友人から教わった中華料理店へでも行ってみようと思う。果たして腹が減っているのかどうか判然とはしないのだが、朝がゆなら大丈夫かもしれない。まだ閑散とした中華街を北へ抜け、ブロードウェイを左に曲がると、その食堂があった。入り口向かって右はオープンキッチンになっていて、さかんに湯気が立ち登っている。9時前だというのに、店内はけっこうな数の人である。メニューにざっと目を通し、10種類くらいはあるかゆの中からダック入りを注文する。回りを見渡すと、半分以上の人が、やはりかゆを食べている。それと一緒に、ヌルッとした白い衣を巻き付けたバゲットのようなものを食べている人もいるようだ。「何なんだろう?」、と興味はあるが、いかんせん一人。見たところかゆはボウルすり切れ一杯もありそうだ。ちゃんと食べおおせるかさえおぼつかない。待つことものの5分くらい、かゆがテーブルに届いた。一口目を口にした瞬間、やはり、無理しても奥さんを連れてくるべきだったと思った。これは、まるで”時空を越えたおいしさ”だ!なんだか疲れが一挙に吹っ飛ぶようである。八角の香りただようダックの肉片もタップリで、時々混ざるピーナッツの香ばしさもうれしい。気がつくと、大半を食べ終えている。額がうっすらと汗ばみ、体がホカホカとしている。結局、滞在4日間の間に、都合3回も通ってしまった。もちろん、謎の物体にも挑戦。揚げパンを薄い米片で包んだものを、酢醤油で食するというもので、テイクアウトでも人気らしかった。店を出ると、霧は消えて、ストリートの遠く向こうにベイ・ブリッジが蜃気楼のように見えていた。

シャンソンにはハミングがよく似合う

October 16th, 2008

 
Rimg0077 クレール・エルジエールという女性歌手のCDを聴いている。2003年にピエール・バルーのサラヴァ・レーベルからデビューした彼女の最新作である。「パリ、愛の歌〜永遠のシャンソン名曲集」というフツーのタイトルだが、内容がとてもいい。アコーディオン、ピアノ、ギター、コントラバスだけをバックに歌われるおなじみの曲がとても新鮮に響く。エディット・ピアフなどの感情過多な歌唱に比べると、随分あっさりとしているところがミソなのだろう。とは言ってもシャンソンは詩が命。そのほとんどが一筋縄では行かない男と女の世界。ところが、当方まったくフランス語がわからない。勝手にアンニュイだのデカダンだのと想像するばかり。だからなのか、彼女みたいに語りかけるような歌い方のほうが心に響く。このアルバムに収録されている”Parlez-moid’amour(聞かせてよ愛の言葉を)”も、冒頭の”パーレモアー・ダムール〜”だけはいつでも口を突いて出るのだけれど、あとはやっぱり”ラララ〜”、となってしまう。今の季節、シャンゼリゼのマロニエも黄色に色づき、さぞやロマンティックなことだろう。パリがいかに変わろうとも、セーヌの岸辺を歩けば、やっぱり「パリの空の下セーヌは流れる」をハミングしてしまう人がいるに違いない。そう、やっぱりシャンソンにはハミングがよく似合う。ちなみに、プロデュースはこのアルバムでギターを弾いているドミニック・クラヴィクという人で、長年アンリ・サルヴァドールのバックを努めてきた人である。