「音のある休日」#20
March 15th, 2010
「ユー・アンド・ミー」 ケヴィン・バーカー
1967年、ニューヨーク近郊の芸術家村ウッドストックにある通称ビッグ・ピンクの地下室で、隠遁中のボブ・ディランはザ・バンドとセッションにいそしんでいた。この地が、その後行われる史上最大の野外コンサートで歴史に名を残すことになるとも知らずに・・・。このアルバムを聴きながら、そんなことを思い出してしまった。
40年以上の歳月を経てまた、長髪にセルロイドの眼鏡をかけた若者の歌に音楽の力を感じている。その内省的な歌声は仲間と一緒だからこその響きなのだろう。コンピューターに頼らない生身の演奏だ。彼は、自分たちの音楽コミューンのツアー映画も撮っているらしい。観てみたいものだ。
(西日本新聞3月14日朝刊)
As is
March 11th, 2010
パリでお世話になってるモダン家具店のピエールさんが、凄いコレクターが近くにいるから紹介しようか、と言ってくれた。ところが、あいにく今日は撮影があっていて、モデルやカメラマンそれにロシアのマフィアもいるヨ、とイタズラっぽく笑った。初対面だと構えてしまうに決まっているから、かえって好都合だと思いお願いすることにした。歩いて5分といっていたけど、最近足を痛めてしまい、杖をつきながらの彼と一緒だからか、けっこう歩いた気がした。着いてみると、雑然としたガレージみたいなところだった。フニャっと曲がったアルミ椅子を指さし、スタルクだとつぶやいた。奥に進むと、古びた壁一面に布袋(実はすべてセラミックで、誰それの作品らしい)みたいなものがかかっていて、その前に映画「トラフィック」に出てきそうなオモチャみたいな車が置いてある。ちょうどランチタイムなのか、化粧をした女性や、スタッフがプルーヴェのスタンダード・チェアに座ってお昼を食べている。黄色でかなり塗装が剥がれているのが5、6脚、無造作に置いてある。座っている人達は、この椅子がマニア垂涎の的だと分かっているのだろうか。すると、黒いスーツを着た2人連れのうちの1人が、突然話しかけてきた。「向こうにある椅子を見たか?あれは、とても珍しいフィリップ・スタルクの椅子だ」と言っているようだ。ロシアン・マフィアは椅子の買い付けに来たのだろうか?オーナー氏は「自分はディーラーではない。すべて見つけたときのままの状態である。リペアなどは一切しないのが主義である」、という旨をくりかえし説明してくれた。僕も”As is”が好きなので、まったく同感である。部屋のあちらこちらに見たこともないオブジェが散らばり、棚には資料や本がギッシリ。パリには色んな人がいるもんだ。次回は、ゆっくり会う約束をしておいとました。
「音のある休日」#19
March 2nd, 2010
「ニューヨークーアジスーロンドン」 ムラトゥ・アスタトゥケ
エチオピアのジャズ、それも1960〜70年代に録音された音源である。様々な楽器をあやつるファンキーで土着的な演奏が、摩訶不思議な雰囲気を伝えてくれる。
ロンドンやニューヨークへ渡り、当時最先端だったジャズやラテンを独自に吸収したはずなのに、彼のサウンドはなぜかオリエンタル。西洋音階から「ファ」と「シ」を抜いた「ペンタトニック」と呼ばれるメロディーは、我が演歌にも通じるもの悲しげなムードを醸しているようだ
アフリカからアメリカへ連れてこられた黒人が生みだしたジャズ。それが逆輸入され、ふたたび現地の音楽と混交する。その時、起ち昇るルーツにはドキリとさせられる。
(西日本新聞2月28日朝刊)
「音のある休日」#18
March 2nd, 2010
「エブリボディ・ラヴズ・ユー」 ボビィ・アンド・ブラム
「アンニュイ」という言葉ほど、このCDにピッタリのニュアンスはないだろう。歌っているのはスウェーデン人女性、演奏はドイツ人男性。ベルリン在住の静かな男女ユニットである。
一見気だるそうなボーカルは、クセになる程心地いい。演奏はギターによるアルペジオと簡素なピアノやオルガン。そして密やかな日常音。いわゆる「エレクトロニカ」と称される音楽なのだが、実際には生音の響きを大切にした音作りがなされている。
弱々しい音楽なのかもしれないが、「弱さ」というのも特徴であることに変わりはない。時には「強さ」よりも深い表現となる。まるで”つぶやき”のように、寄り添ってくれる音楽だ。
(西日本新聞2月14日朝刊)
スペインの焼き物。
March 1st, 2010
海外買付ツアーは、楽しいが、やはり疲れる。始終目がキョロキョロしているからだろう。道を間違わないよう、面白い商品を見逃さぬよう、はたまた犬の糞を踏まぬようにと、気を張って歩いているからかもしれない。歩くと言うことは、回りの景色が一歩一歩変わると言うこと。しかも、見たこともない景色が。したがって、常に目をカッっと見開いているのだ。試しに、隣を歩くウチの奥さんを観察すると、確かに目を開けたままひたすら前進姿勢である。しからば、意識的に瞬きの回数を増やせば少しは疲れが減るだろうか?そんなことを思いつき実行したけれど、長続きするわけがなかった。
バスクの町は比較的のんびりだったと思う。それが、バルセロナにやってきた途端に目が開放状態に舞い戻ってしまった。スペイン第2の都市はやはり大きい。その上に、ガウディである。あのサグラダ・ファミリアの曲線だらけの構造物には少々グッタリした。もちろん、面白くないとは言わないが・・・。完成にはまだ100年以上はかかるとのこと。諸行無常の世の中で、回りを巻き込んでなんともな力業(ちからわざ)である。
ところで、僕らのホテルがある旧市街は、例のヨーロッパ特有の狭い路地だらけ。どこも同じような景色で、夜戻るのに、道を間違わないようにするのも一苦労。ところが、犬も歩けばナントカで、帰りしな、ウチのホテルのつい近所に陶器屋を見つけた。いわゆる観光客向けなのだが、入ってみるとかなり広い。様々な意匠の焼き物が地下と、地上2階に渡りギッシリ。見るうちに、スペイン各地の陶器が集められていることが分かる。これはラッキーと、さっそく買付体制に入る。最初は、アレもコレもと欲張ってはいたが、よく考えると明日が帰国。郵便で送り出す時間もないし、手持ちといっても飛行機のマックス20kgにほぼ達している状況なのだ。泣く泣く、グラナダ焼と地元カタルニアのものに絞った。グラナダ焼の素朴な手描き模様は、フィンランドのアラビアを極ナイーブにして沖縄をまぶしたような、なんとも愛らしい風情が気に入ってしまった。イスラムの影響も感じるスペインの焼き物は、ちょっと面白い。
Chillida Leku Museum
February 27th, 2010
サン・セバスチャンからバスに乗り、30分くらい走った丘陵地帯の一角にバスク人彫刻家エデュアルド・チリーダの美術館があった。日本を出る前日に、たまたま福岡に来ていた編集者の岡本さんから耳打ちされ、俄然行きたくなったのだ。彼は日本で展覧会を観たらしく、作品はもちろん、美術館自体が素晴らしいようだから是非とも!、と薦めてくれた。始発地点ではガラガラだったバスは、途中大学らしいところから乗り込んだ若者達でいつしか満員。そろそろカナー、と思っていると、隣に座っていた小母さんが「次だヨ・・・」、みたいに身振りで教えてくれた。チリーダは有名なのである。それにしても、この親切、他者には嬉しいものだ。バスを降り、小さなトンネルを抜けると、まるで牧草地のような広い敷地が広がっている。受付のある建物を出ると、なだらかな斜面に点在する彫刻が見える素晴らしいランドスケープが待っていた。その先の細い道の向こうに遠く、目指す展示館が見えている。最早この段階で、チリーダの世界に入ってゆくわけである。当初建築家志望だった彼は、1950年にパリで開いた個展で鉄の彫刻家として高い評価を受け、その後ヴェネチア・ビエンナーレを始め、世界中の美術展で数々の栄誉を得ることになる。
そして、1983年、故郷サンセバスチャンの地にあった古い農家を見いだし、回りの土地を少しづつ買い足しながら、世界中に散逸していた作品を集めて自身の作品を展示するスペースにしたということだ。1543年に建てられ、当時は廃墟同然だったという農家は、友人の建築家と一緒にまさに理想の空間となって生まれ変わっていた。石積みの壁に太い木の骨組みが露わな室内には、超ジャストな位置に作品が配置されていて、プライベートでコージーな空気が流れている。ちょうど「バッハへのオマージュ」と題された小さな企画展が行われていて、チリーダが書いた楽譜や文章が展示されていたのだが、その細かな筆跡は巨大な鉄の彫刻と同じ形状をしているように思える。帰り際、ショップでポスターを物色するのも一苦労。どれも素晴らしく、さんざん悩んでしまった。
Museo Chillida-Leku
Bº Jáuregui, 66
20120 Hernani
電話:943-336006 ファックス:943-335959
http://www.museochillidaleku.com/
福岡一のバル。
February 25th, 2010
今回の旅が天気に恵まれないことは、事前にインターネットの天気予報で予測できていた。実際、良くて曇り、たまに雨や雪に強風という悪天候だったのだが、気まぐれに雲の切れ間から差し込む太陽も、いかにも冬のヨーロッパという風情で案外悪くなかった。
パリからイージージェットでビアリッツの小さな空港に降り立ったのは夜9時過ぎ。冷たい小雨に煙った瀟洒な避暑地は、閑散としている。例によって、荷物を置くのももどかしくホテルを出た。歩いて10分もかからず、町の中心であるレアール(市場)へ。ところが、その周辺に点在するバルがどこもクローズしている。海の方角へしばらく歩いたが観光客向けのバーが1、2軒開けているだけ。オフシーズンなのだと思い知る。コンビニみたいなものもなく、仕方なくホテルへ戻り、そのまま寝た。その反動もあって、翌日からは思いっきり食べた。そしたら、お腹を壊してしまった。海外では初めての経験である。丸ごとソテーした魚に、ガーリックバター・ソースをたっぷりかけ過ぎたかな、それとも旅の疲れが出たのかと考えて、薬局で下痢止めを買い、一晩寝た。翌日は何となく回復したので近郊のバイヨンヌへ行き、名物の生牡蠣を恐る恐る食べたが大丈夫だった。ところが、サンセバスチャンへ移動後2日目に、今度は奥さんが具合が悪くなった。彼女は回復に一日かかってしまったが、それでも昼間はめげずにチリーダ美術館見学に同行した。まったく見上げた根性だ。
帰国してすぐに、福岡でガレットやシードルを出す店を経営しているマティアスさんと会い、そんな話をすると、「僕だってフランスへ戻ってレストランで食事をすると、一回はかならずお腹を壊すヨ。油分が多いからね」、と言った。多分彼は日本人体質になっているのだろう。バスク料理にしても、確かに旨いが、塩分や油分、乳分などは強いほうである。一昨日、天神へ出た際に「正福」へ立ち寄り、まよわず塩鯖定食を頼んだ。塩鯖といっても塩分はひかえめで、大根おろしが嬉しい。身体が喜ぶのが分かった。願わくば、閉店が20:00ではなく、せめて23:00くらいであって欲しいもの。そうすれば、ここはまちがいなく「Goiz-Argi」もかなわない福岡一のバルなのに・・・。
少しだけパリと仲良くなれる気がした。
February 21st, 2010
「なぜ旅へ出るのか」という質問には、「足があるから」と答えてみよう。ほぼ終日をかけ、自分の足で街中を歩き回る商売をしているから「足こそ命」なのである。ヨーロッパは凸凹の石畳が多い。そのうえにメトロでの煩雑な乗り換え時などは、イヤになるほど階段を上り下りしなければならない。時差をかかえたままノミの市などを探索し、小さなアイテムを見つけ、ついしゃがみ込んで子細に品定めなどしようものなら、立ち上がったときにクラクラと立ちくらみなどを起こしてしまう。で、それが苦痛かと言われるとそうでもないから不思議なものだ。なにせ、いいものを見つけたい一心なのだ。しかし、さしたる成果がないときなど、自然に足取りは重くなってしまう。それでも、限られた時間の中、また一歩足を踏み出さざるを得ない。そんなとき、人に会うとリフレッシュすることが出来る。今回は、ユカリンから紹介されたパリに住む若いアーテイスト達と、マレにあるカフェでランチを食べることになった。3人のなかで生粋のフランス人はひとり、革のアーテイスト、ジャック。フィレンツェで勉強した彼は、もとスケーター。最新の作品は自転車のフレームを丸ごと革でくるんだもの。実用というよりも、アルティザンならではのオブジェみたいな作品だ。NY育ちの韓国人ジンは画家。昨日朝まで飲んでいたらしく、気だるそうにハンバーガーを食べていた。韓国で個展を開いたら、作品が全部売り切れたらしい。後で、ユカリンに作品集を見せてもらったら、CGを駆使した近未来都市型カタストロフィーといった雰囲気だった。紅一点アメリは、日本人とフランス人のハーフで目下テキスタイルを試作中。ちょっと幽玄な手描き作品をファブリックに起こし、プロダクトとして発表する予定だとか。とても個性的な顔立ちで、お洒落な人。そうそう、ジャックのアトリエで土足について話していたら、突然自分のブーツを脱いでしまうという茶目っ気の持ち主でもある。短時間ながら彼らとおしゃべりをし、カフェから出ると、さっき店を覗いたときにはいなかったAnatomikaのムッシュー・ピエールが通りかかる。すかさずジャックが僕らを紹介する。前回買い求め、丁度その時ジャケットの下に着ていたシェットランドのセーターを見せるまでもなく、僕のことを思い出してくれた。なんだか、少しだけパリと仲良くなれる気がした。
(ちなみに写真右がジャック、左がジン、真ん中の人は無口な方で失念しました、スミマセン。)
Donostia =San Sebastian
February 20th, 2010
サン・セバスチャンへ着いたのは夜10時を過ぎた頃だった。ビアリッツからバスに乗り、右に漆黒の海岸線を見ながら、1時間半くらい走っただろうか。バスターミナルで降り、タクシーを捕まえ、予約していたホテルへチェックイン。旧市街の入り口近く、ビルの3階フロアにあるペンションである。おそらく夫婦なのだろう、笑顔でレセプションをする小母さんと、重い荷物を運んでくれる伯父さんの、傍目にも仲が良さそうな様子がありがたい(夜遅く着き、あまり愛想の良くないナイト・ポーターに出会くらいツライものはない)。さしあたって必要なものだけをトランクから取り出し、とりあえず外へ出る。目的はただひとつ、バル。福岡にも最近チラホラ出来たバルっぽい酒場へ足を運んだものの満足できず、ここは本場へ乗り込むしかない!と、いうわけである。あらかじめ、見当を付けてはいたものの、狭い路地に点在するバスク語の看板をたよりに探し当てるのは容易ではない。気温は多分零下、海風が肌を刺す。ようやくたどり着いたのは「Goiz-Argi」という評判の店。すでに店内は満員だが、旅人は躊躇しない。「これだけは覚えておかねば」、と頭にインプットしてきた地ワインの「チャコリ」をオーダーし、目に鮮やかななタパスやピンチョスが並んだカウンターににじり寄り、やみくもに幾つかを指さして所望する。それにしても、このなごやかな雰囲気は何なんだ!常連、旅人を問わず次々に小皿をつまみ、コップを空けてゆく。サクッと飲んで去る人もあれば、延々とおしゃべりを続ける人もいる。カウンター内では、店主とおぼしき貫禄の伯父さんと、笑顔で客をもてなす小母さん(こちらも、まちがいなく夫婦と見た)が、頭の高さから小さいコップめざしてたえまなくチャコリを注ぎ込んでいる。まるで日本の立ち飲みが焼鳥屋、それに江戸時代の鮨屋と合体したかのような庶民的バイタリティにあふれている。おかげで、その日からの3日間というもの昼間からいろんなバル通い。最終日にマルシェの中を土産の生ハムを物色していると、「オーラ」というスペイン語の挨拶と共にポンと肩を叩かれた。振り向くと、そこに「Goiz-Argi」の店主の笑顔が在る。これで僕もいっぱしの常連だ。
鹿児島へ行ってきた
February 5th, 2010
鹿児島へ行ってきた。岡本さんの新しい本の出版記念パーティーへ出席するためだ。友人3名と一緒に高速を飛ばしてで3時間半。途中、人吉で休憩。旨いウナギと民芸店「魚座」で買い物をする。九州を縦に横断したわけだが、。気心の知れた仲間と一緒だと、あっという間だった。鹿児島に着くと、まず「菖蒲学園」へ。障害を持った人たちの施設なのだが、素晴らしい環境である。木工製品を買う。そしてパーティーへ。本でも紹介されていた13代沈壽官さんの話がとても面白かった。400年続く伝統を受け継ぎながら、新しい焼き物を目指す彼は、とてもチャーミングな人だった。夜は、前回同様「権兵衛」で湯豆腐と旨い芋焼酎。店内では三橋美智也がかかっていて、小学生の時に買ったドーナツ盤「古城」を思い出した。翌日は市内のお店を探訪。「AUL」という雑貨屋さんと「ZOOL」というDOSAが日本一たくさん置いてある服屋さんへ。途中西郷ドンの銅像の横を通った。頭にハトが留まっていて、とてもお似合いだった。