鳥取、島根へ行って来ました
April 5th, 2008
ちょっと強行軍でしたが、念願の鳥取、島根へ行って来ました。二泊三日で六つの窯元、それに植田正治写真美術館に出雲大社と欲張りな旅です。でも、民芸はもちろん、温泉もタップリ満喫することが出来ました。
福岡を夜中の12時に出発、鳥取に着いたのは朝の7時すぎ。一休みして早速最初の目的地「中井窯」を訪問。早朝にもかかわらず、坂本章さんに素晴らしい登り窯や仕事場も拝見させて頂き、その整理整頓ぶりに感激。いい仕事には、気持ちのいい環境が大切ですね。おなじみ柳宗理の作品を始め、そのモダンで端正なたたずまいの作品を前に、ねぼけた頭もすっかり覚醒してしまいました。黒にも見える濃い茶色と、独特のグリーンというツートーン・カラーにすっかり魅了され、気が付けばアレもコレもと手を出していました。小品ですが、キリっとした形の「塩こしょう入れ」は食卓で重宝しそうです。
続いて「岩井窯」を訪問。山を背景にした広い敷地に工房やギャラリー、カフェなどを配した贅沢な空間。山本教行さんに、前から疑問だったスリップウェアのテクニックのことを尋ねると、「スポイトに含ませた陶土を垂らす技法」とのこと。なるほど、だからあんなに自由な線が描けるのだ、と納得。立派な展示室で、イギリスの古いスリップウェアや李朝の古陶などを拝見しました。
途中、鳥取砂丘を経由しながら遠く点在する窯元を巡っている為、鳥取民芸館での見学を終えた頃にはすっかり夕暮れ、予約した温泉旅館の夕餉に遅れないようにと車を走らせました。
翌日はまず、旅館からひと山越えた場所に位置する「山根窯」からスタート。それは素晴らしい山間の環境の中にありました。石原さんご夫婦の笑顔に迎えられ、自宅兼ギャラリーでお茶をいただきながら、作品を拝見。古いデルフト焼きのタイルや、世界中のアンティックに囲まれたキッチンが素敵でした。なかでも、古いスリップウェアの大皿は圧巻。オーブンで焼かれ、使い込まれた皿はところどころ欠けて、とてもイイ色と風合いが出ています。焼き物は、使われることが幸せな証拠です。ここでいただいた狸のお腹のようなコーヒー・ポットも、イイ味が出るまで使いこなしたいものです。
その後、ウチの奥さんの希望で植田正治写真美術館へ。まだ3合目まで雪が残っている大山をバックに、コンクリートの建物がスコーンと建っている。ちょっと、シェルターみたい。そして大山を正面にとらえた館内からの眺めが印象的、この建物自体がカメラのようでもある。
砂漠を背景にした人物たちの写真は、初めて見るはずなのになぜか既視感が。そうだ、オーケストラ・ルナのジャケ写の世界に近いのかも。シュールで実験的なモノクロームの画面は、フェリーニの映画の一場面のようでもあり、戦前に、こんなモダニズム写真を撮っていた人がいるとはかなりのショック。彼自身は「田舎のアマチュアリズム」を標榜していたらしく、その独創的な立ち位置に感動しました。
そのあとは松江に向かい、「船木窯」を尋ねました。バーナード・リーチがここを訪れ、セント・アイヴスの窯に似たロケーションに驚いたといいます。船木伸児さんの話では、昔は輸出向けのエキゾティックな絵付け陶磁器をすぐ前の浜から出荷をしていたということです。それにしても、濱田庄司も泊まったという日本家屋から眺める宍道湖のすばらしさといったらどうでしょう。隣の洋室にはケアホルムのソファ・セット、そして「仕方が無いから自慢する」というリーチ直筆の警句のような書。いつまでもおじゃましていたい衝動を抑え、伸児さんのみずみずしい作品を数点譲ってもらいその場を辞しました。
全国的にも知られる「出西窯」の素晴らしさはもう皆さんご存じなので、ここでは触れません。買い物の後でいただいたセルフ・サーヴィスのコーヒーがお好みのカップで飲めて嬉しかったです。
そして、旅の最後は「湯町窯」。玉造温泉の駅の近くにあるお店におじゃましました。黄色い独特の釉薬で焼かれたたくさんのスリップウェアにめまいがしそう。2階に上がると、ここにも柳宗悦やリーチ、棟方志功などの作品がいっぱい。あらためて、彼らの足跡の大きさを思い知らされました。
最終日は出雲大社と出雲蕎麦で仕上げ。というわけで、かけ足の旅でしたが春の山陰を満喫できました。それにしても、「民芸」とは不思議なものです。本国イギリスではすたれてしまったスリップウェアという手法が濱田庄司などによって伝えられ、バーナード・リーチの指導で日本の陶工に引き継がれる。それはまるで、人から人への密かでグローバルな連なりのように思えます。確かに伝統の継承という側面があるのですが、時代や所が変わり、作り手も変わればニュアンスやフォルムも変化してゆきます。その意味で「民芸」は「モダニズム」にも通じるような気がします。一見相反するように見えるふたつですが、この先もずっと引き継がれてゆく批評精神に裏打ちされた永遠のデザイン運動なのではないでしょうか。
豊かな土地、チェンマイ
February 21st, 2008
タイ北部の街チェンマイへ行ってきました。ベスト・シーズンらしく気温は最高で30度、朝晩は17度くらいと過ごしやすく、暑さが苦手な人も大丈夫。僕らも今回は、買付けとヴァカンス半々という感じだったので、うまいメシをたくさん食べてきました。チェンマイを含むタイ北部の料理は、香草をタップリ使ったヘルシーなものも多く、タイ料理と聞いてイメージする激辛とはちょっと違っています。ココナツ甘い餅米の上にタップリ載ったマンゴ(1)なんていう、不思議だけど美味なものにも初挑戦。いつもとは違う世界に、軽いカルチャー・ショックを覚えました。
チェンマイは、その昔北部タイを統治したラーンナー王国の都だったところ。今のミャンマーや、ラオス、カンボジアと隣接していたため、民族も文化も多様に混交しています。また、西欧の植民地支配を受けていないこともあって、古い伝統が今でも息づいているような気がします。今回の旅では、布、陶器、銀工芸などを通じて、少しだけれど、そんな豊かな土地が生み出す滋味を味わうことが出来ました。
チェンマイ近郊にはカレン、アカ、リス、モンなど、多くの少数民族が住んでいます。短い滞在でしたが、布という形でその味わい深い世界に触れる事が出来ました。たとえば女性が身につけるパシンと呼ばれる筒型のスカート(2)には一目で魅了されてしまいました。その裾に使われている、メーチェムという田舎で織られる生地は一日で2,3cmしか出来ないとのこと。家々で母から娘へと伝えられる大切なもので、その技術も継承者が少なくなりつつあるようです。ストライプと刺繍、大胆なんだけどシックな色のコンビネーションはとてもモダン、そして長い時間を経た風合いが格別です。
個人的に楽しみにしていたのが、タイの古陶器です。スコータイ、カロン、サンカンペーンなど、いずれも11世紀から16世紀頃の窯から発掘されたもの。サンカロークという窯の茶碗は日本で「すんころく」と呼ばれ、千利休など茶人に珍重されたといいます。「焼き物は世界をめぐる」というわけで、北欧の陶器好きにもアピールする味わい深い作品が眠っています。特にめずらしい パヤオ窯の皿(3)には一目惚れ。魚のモチーフがなんともナイーヴです。小さな仏様の顔もホッコリしていて、なんだか日本の「木喰仏」を思い出してしまいました。
銀細工もチェンマイではたくさん作られていますが、観光みやげっぽいものがほとんど。今回、少しだけ見つけたバングル(4)は、そんな中でもシンプルで力強いもの。少数民族が普段、装飾用に使っているものです。
その他にも、おなじみフィッシャーマンズ・パンツやハエ叩き、アロマ・オイルなど「いかにも」なアイテムも買ってきました。こちらでチェックしてみてください。また、よかったらぜひ店頭でご覧になって下さい。
というわけで、久々のアジアの旅はなんだかとても良い刺激になりました。今でも店内ではmurmurにも書いた般若心境のCDがエンドレスで流れっぱなしで、チェンマイ・ムードいっぱい。
確かに伝統が息づく古都なんだけど、一方ではそのCDを買ったオーガニック系のこざっぱりした店があったり、「チェンマイの代官山」といわれるお洒落ショップ街などにある地元の豆を使った「ドイチャン・コーヒー」(5)はスタバより美味だったりと、都会的な面も合わせ持っています。 食べ物にしても、文化にしても、地産地消な姿勢に感激しました。
アメリカ西海岸 #03 “Niemeyer House”
October 19th, 2007
最近印象的だった本に”MODERNIST PARADISE”がある。L.A.にあるオスカー・ニーマイヤー建築のヴィラに住む稀代のモダン・デザイン・ディーラー、マイケル・ボイド氏のコレクションを一冊にまとめたものである。そのコレクションたるや、まさに驚愕もの。
バウハウスからミッド・センチュリー、そしてコンテンポラリーまで、完璧なプライベート・ミュージアム状態。今回、幸運にも前述のtortoisさんの紹介で、お宅へおじゃますることに。
サンタ・モニカのはずれの閑静な住宅地にある館は降り注ぐカリフォルニアの光を浴びている。早速ボイド氏の案内で室内を見せてもらうと、そこには本で見た光景が広がっている。リートフェルトからイームズ、プルーヴェ、ペリアン、シャロウそして数々のデザイン・イコンな椅子、家具。そしてジューヴの陶器やノルの木彫、ムイユの照明などがしかるべきアレンジで僕らを取り囲んでいる。でも、不思議に威圧感や緊張感がない。ある部屋のドアを開けると、そこには息子さんがネルソンのソファに座ってノートパソコンに向かっている。ハイエンドなデザインが、一定の統一感の中で生活に生かされているのだ。ボイド氏はそれを”Quiet Design”と呼ぶ。NYのギャラリー”MOSS”などのめまぐるしく変化するデザイン業界のやり方には当然、批判的だ。キュレーションも手がける彼は、現在リートフェルトvsドナルド・ジャッドなど、ツボを突いたプログラムの展覧会を企画中とか。
最後に「なにかトレードしませんか」との言葉に、「Yanagiのバタフライ・スツールの小さいヴァージョンは?」と返したら「エッ、そんなのあるの」と興味ありげ。でも、何と交換してもらえるか、それが問題だ。
アメリカ西海岸 #02 “Adam Silverman”
September 30th, 2007
アダム・シルヴァーマンの陶器に初めて出会ったのは、東京のプレイマウンテンだった。
日頃自分が扱っている北欧の陶器とはひと味違った有り様に、正直ちょっととまどってしまった。北欧のヴィンテージと呼ばれる陶器はある程度評価が定まったものが多い。本などを通してあらかじめ勉強し、あとは自分の好みを反映したものを物色、値段に悩みつつ購入すればいい。ところが、現代作家の作品はそうは行かない。自分のセンスだけが頼り、そこが面白い。作品に感じられる過去の誰それの影響をひとりウンヌンし、下世話に将来性もカンガミ、エイヤッと購入するわけである。アダムの作品はカリフォルニアらしい明るさと、民芸にも通じるクラフト感がうまくバランスしていてとても新鮮だった。
今回の旅で、L.A.のAtwaterにあるアダムの工房を訪れることが出来そうだと聞き、とても楽しみにしていた。
出迎えてくれたアダムは、アレン・ギンズバーグ風のセル・フレーム眼鏡をかけたもじゃもじゃ頭で、ヒョロっと背が高くとてもクールな印象。コンパクトな工房にはロクロや窯がいい感じに配置され、間近に迫った展覧会のための作品がまだ素焼きの状態で待機している。壁には益子での写真や大学のペナント、愛娘の絵などがピンナップされ、アーティストらしいインティメートな雰囲気にあふれている。ある壁の面が黄色にペイントされている。彼はもともと建築を学んでいたはず。とすれば、この色はコルビュジェの影響か?などと想像しつつ、いれたてのエスプレッソをアダムの器でおいしくいただく。
なんと至福の時間。
アメリカ西海岸 #01 “Joshua Tree”
September 27th, 2007
300年は生きるという奇怪な形の植物ジョシュア・ツリー。その名を取った国立公園は乾燥した砂漠地帯に位置している。L.A.から約3時間、途中モダンな別荘地として有名なパーム・スプリングスを経由してこの地に向かったのは彫刻家、家具作家アルマ・アレンに会うためである。
2年ほど前、初めてのL.A.で、ヴェニスのアボット・ケニー通り にあったギャラリー”PEARCE”で彼の作品を見て、ブランクーシやアルプの影響を感じ取ることが出来るその不思議なオブジェに興味を持った。
その時はシンプルな木彫だけしか購入しなかったことが心残りだった。木の切り株を思わせるスツールや、アイアン・ウッドと呼ばれる固い木を使った小さな生き物のような作品をもう一度見てみたかったのだ。その後、彼はここジョシュア・ツリーにガール・フレンド、ナンシーと愛犬フリッツと一緒に移り、1950年代のキャンピング・カー「ストリームライン」に寝起きしながら、新しいギャラリーと住まい造りに挑戦している最中なのである。それにしても、この荒野で自力で家を建てるとは、フロンティア・スピリットは死語ではなかった。全ての生物がしたたかに生き残るしかないこの過酷な土地が、おそらく彼を魅了したのだろう。古来、人はあえて海、もしくは砂漠を渡ることで他者と出会い、交流し、交易を行ってきた。迫り来る美しい夕闇の中、僕ら遠来の訪問者はまだ電灯も準備されていない暗い建物の中でそのすべすべとしたオブジェの感触を楽しんだのである。そして、アルマの案内で、西部劇のセットに使われたという真っ暗な街並をハイな気分で探検。ふと空を見上げると、僕らはダイヤモンド・ダストのように輝く満天の星にすっかり包み込まれていた。
「備前へ」
May 25th, 2007
倉敷と直島は実は近いらしいことを知り、念願だった大原美術館とベネッセ・ミュージアムに行ってきました。久々に乗った新幹線の速さに驚きつつ、車窓や駅弁を楽しむ間もなく備前、岡山に到着。ローカル線を乗り継ぎ、小さな渡船でまずは直島へ。「日本の地中海」といわれるだけあって、日差しが強く、小さな島全体がキラキラ乱反射していました。島々が重なり合い、対岸にかすんで見える四国、高松の街が意外に近いのにビックリ。地中海というより、これはやはり日本的な風景です。埠頭には草間弥生のカボチャ、小さな入り江には大竹伸朗の船、切り立った岩場に杉本博司の写真など、島中にアート作品が点在していて、うっかりすると見過ごしてしまいそう。地中美術館は休館日のため、ベネッセだけの見学。でも、ジャクソン・ポロックやデビッド・ホックニーなど現代アートの傑作がゆったりとした空間の中で充分楽しめました。大きな石に寝っ転がるスペースでぼんやり流れる雲を眺めていると、空にうっすらと虹が架かっていましたっけ。景観にとけ込んだかのように建築やアートが在るというのはとてもいいものです。
大原美術館に興味を持ったのは、濱田庄司のコレクションに惹かれてのこと。本館の名画はそこそこに、足はついつい陶芸館へと向かいます。濱田をはじめ、バーナード・リーチ、河井寛次郎、富本憲吉など、民芸運動を通じて交流を深めた名工による作品は、当然ながらとても見応えがあるものでした。でも、それ以上に興味深かったのは、隣接する倉敷民芸館。熊本国際民芸館を作った外村吉之介によって開設されたことがうなずける瀟洒な土蔵には、素朴と洗練のバランスが美しい品々がひっそりとたたずんでいます。倉敷ガラスや、山陰地方の焼き物など「用の美」にあふれたものに打たれました。なかでも、入り口近くにポンと置いてあった竹のスツールに目が釘付けに。学芸員の方に出自を訪ねたところ、くわしいことは不明だが、戦前の台湾製だろうとのこと。無名の工人による手仕事は、とても丁寧で細かく、まるで「ペリアン好み」。しかし、残念ながら現在は入手不可能とのこと。どこにいても、バイヤー根性が出てしまう自分にはあきれます。そろそろ小腹もすいたし、喧噪を離れた、本町という古い通りにある「さくら」という蕎麦屋で”荒ばしり”と呼ばれる旨い地酒を傾けつつ、次なる山陰の旅へと思いを馳せました。
「旅の合間」
March 12th, 2007
今回の旅では、買付の合間をぬって、いくつかのデザイン・イコン的場所を訪ねてみました。それは、ドイツ、デッサウのバウハウスやフランス、パリ近郊にあるコルビュジエのサヴォワ邸など、前々から一度は行ってみたかった場所ばかり。写真や資料ではおなじみなだけに、実際に自分の目で確かめることへの期待はとても高く、また、いずれも期待以上に素晴らしいものでした。
まずコペンハーゲンに着き、いつもお世話になっている家具デザイナーO氏の奥さん、K子さんから聞いたデザイン・ミュージアムへ。電車で2時間半、KoldingにあるTRAPHOLTは、デンマークが誇る名作椅子の数々が展示されている海辺の小さなミュージアム。なかでも、一昨年他界したナナ・ディッツェルのコーナーが充実。オブジェのような杖がとてもカラフルでした。でも、お目当ては、以前から興味があったデンマークのデザイナー、クリスチャン・ヴェデルの展覧会。”MOUDAS SOFA”という座り心地のよい椅子をデザインした人で、復刻された鳥のオブジェで再評価されています。でも、僕が好きなのは子供用のシステム家具。プライウッドを使った可変的な椅子やテーブルは、シンプルで自由度が高く、鳥のオブジェ同様に彼の非凡な才能を発揮した傑作だと思います。このミュージアムでは、もうひとつ意外な発見をしました。アルネ・ヤコブセンのサマー・ハウスが移設、展示公開されているのです。プレハブ風の内部はとてもコンパクトで機能的、工夫されたキッチンが印象的でした。
ベルリンからデッサウのバウハウスへ向かった日はみぞれ混じりでとても寒い日でした。でも、どんより曇った空気の中にあのガラスに覆われた四角い建物がスックと立ち現れたときにはおもわず感動。時代に翻弄されつつ、革新的な方針でさまざまな造形的実験がなされた場が、そこに在りました。ここは、まちがいなく、僕らが現在、生活の中で享受しているデザインなるもののスタート地点のひとつなのです。薄暗い半地下の廊下には当時の木製のロッカーがあり、ここで学んだ生徒や教授たちの足音が今にも響いてきそうでした。それに当時と同じ食堂で食べたランチ。昔もやっぱり、あまりおいしくなかったんだろうなー。すぐ近くの木立の中にあるパウル・クレーやオスカー・シュレンマーたち、教授のための住宅にも行ってきました。外観のモダンさに比べ、2世帯に区切られた中身はコンパクトで、そっけないくらい簡素。食堂も手狭。後述するコルビュジェ設計の広い食堂とは違っています。でも、それまでの装飾過剰な住まいと違ったアパートみたいな部屋はとても新鮮だったはず。階段室などのカラフルなペイントが一際効果を上げていました。
ベルリンにあるバウハウス・アーカイブは残念ながら写真撮影禁止。でも、椅子やグラフィック、タイポグラフィー、建築など貴重な資料はとても楽しめました。なかでも、マルセル・ブロイヤーの初期の椅子があのカンチ・レバー式ではなく、フォークロア風だったのにビックリ、というかやっぱり、と納得。彼らもアーツ・アンド・クラフツの動向にはコンシャスだったわけで、工業化と手仕事の折り合いは、今でも続くテーマです。そうそう、女性写真家ルチア・モホリ(モホリ・ナギの妻でもありました)の作品も素晴らしい発見でした。
パリに来るたびに、「今度こそ」と思いつつ果たせなかったコルビュジエ作品探訪、今回はサヴォア邸とラ・ロシュ邸を訪れ、両方共に圧倒されっぱなしで、いったい写真を何枚撮ったことやら・・。その造形美は、彼が言っていた「住むための機械」というより、「住むためのオブジェ」のよう。あまりにも自由で開放的な空間は、旧時代への挑戦でもありました。一見大胆なようで、実はこだわり尽くした細部は見ているうちにめまいに似た陶酔感を呼びます。それにしても吹き抜け、傾斜した通路、屋上庭園などはもちろん、間取り(といっていいのだろうか)も多彩で、子供だったらかくれんぼに興じてしまうにちがいありません。どちらも富裕層の邸宅ですが、僕はどちらかというとこじんまりしたラ・ロシュ邸のほうにシンパシーを感じました。コルビュジエは、もともと画家を目指していたらしく、絵も素晴らしく、思わずポスターを沢山買ってしまいました。で、余談です。organが入っているビルですが、25年前に無我夢中で建てたわりにはバウハウス、コルビュジェの片鱗が見えてるような気がしました。もちろん、あくまで自己満足にすぎませんが。
買い付けの方もいろんな成果がありました。少しずつですがアップしてゆきますので、お楽しみに。
New York Revisited
December 20th, 2006
ボクにとってのリアルタイムなニューヨークとは、ボブ・ディランのLP『ブロンド・オン・ブロンド』だったり、ウディ・アレンの映画『アニー・ホール』だったりと、60年代から70年代後半までのイメージを抜け出ていない。アートに触れる今回の旅、といってもジャクソン・ポロックからアンディ・ウォーホルへの流れくらいはかじっていても、それ以降のコンテンポラリーなものはまるで門外漢。ヨゼフ・ボイスと聞いてフィッシング・ベストを思い浮かべるようにかなりミーハー。なので、やはり、まずはお約束、グリニッチ・ヴィレッジへと向かったわけです。ところが20年前、初めてワシントン・スクウェアに立ったときと全然様子が違っている。ドッグ・ランなんかで犬が楽しそうに遊んでいて、プッシャーはもちろん、ストリート・ミュージシャンもいない。実にクリーンなもの。カウンター・カルチャー華やかりし頃の怪しいノリは微塵もない。ま、バーまでも禁煙という今のNY、さもありなん。で、しょうがなくSOHOへ向かい、高級デリ”Dean & Deluca”に立ち寄り、カタカナ・ロゴにつられ、オープンしたてのユニクロを覗く。なんだか、日本よりずっとカッコイイ。同じ商品?と思うほど。その後”bloomingdale’s”、 “kate spade”へと、なんのことはないヤッピー・ツアーと化してしまった。というか早くもNYのマジックにかかってしまったようだ。
肝心のアート。MOMAとイサム・ノグチ・ミュージアムへ行きましたとも。
MOMAはいろいろとお腹いっぱい。ノグチ・ミュージアムは思ったより作品数も多くいろんなニュアンスが楽しめました。彼が発見した日本的なるものはとは、やはり異邦人としての視点だとあらためて確認。そしてチェルシーのギャラリー街にはビックリ。なんとその数300位あるらしく、アート・ビジネスの存在を強く実感。日本ってアートはビジネスになるのかな。
追い打ちをかけるように、ちょうどオークション当日の”PHILIPPS”でプルーヴェやペリアンの作品を拝見、そしてプライスに仰天。プルーヴェ、ペリアンは、もはや家具ではなくアートなのですか。
スシを独自のスタイルで全くといっていいほど別物に仕立てる手腕で明らかなように、サンプリングとリ・ミックスに長けた街、ニューヨーク。だからアートにしても、ファションにしてもビジネスのヒントには事欠かない。特に”JACK SPADE”の店。小さな店内一杯に、彼の趣味がちりばめられていて、まるでお宅におじゃましたような雰囲気。丁寧に作り込んだお得意のメッセンジャー・バッグ達に混じって鹿の剥製や、プライベートな写真が壁に掛かっていた。ディスプレイというよりも、コラージュしてる感じかな。ガムテープがベタベタ貼られたソファのアイデアはいつか頂きたいもの。
でも、スタッフの対応は、おしなべてクール。といっても、日本的ベッタリ接客が苦手な人にとってはこちらの方がありがたいのかも。そういえば、トライベッカにあるカフェ”Bubby’s”で、大好きな俳優ハーヴェイ・カイテルに遭遇した。実は、5年前のブルータスNY特集で、この店のテラス席でロバート・デニーロと彼がお茶している写真を見て、「絶対行ってやる!」と心に決めていたのだ。でも、まさか本人がいるとは思わなかった。で、気弱なボクはサインもお願いできず、2m離れた席でチェリー・パイとコーヒーを飲みながら必殺の目配せをチラリ。もちろん、何気なくなんだけど、万感の思いを込めて。すると、5、6人の友人と談笑していた彼の目線がボクの目線とガチンコ。ボクは、一瞬にして『タクシー・ドライバー』のジョディ・フォスターになってしまった。彼は、あの優しくも性悪なピンプの目をして、「わかってるよベイビー、はるばる日本からやって来たんだろ」とまちがいなく言っている(ようだった)。視姦され、ヘナヘナになったボクは、彼らが立ち去った後勘定を済ませるとウェイトレスに言った「大好きなハーヴェイ・カイテルに会えて、とてもラッキーだった」と。すると彼女はこう言った「ああ、彼は始終ウチにきてるもの」。
(肝心の買付は、アレキサンダー・ジラルドのテキスタイル、ジョージ・ネルソンのトレイ、ポール・ランドのポスターなどをゲットしました。近々ご紹介します。)
暮らしの中に、生き続けるデザイン。
October 12th, 2003
今回は、いつもとはひと味違った旅を体験。
朝早くから歩きづめで、夜はホテルに戻り、部屋でその日ゲットしたものを整理して梱
包という、毎度変わり映えのしない買い付けツアーが、コペンハーゲンでの5日間だけは、まるで別天地でした。
岡村邸では、前述したごとく、連日美味しい手料理はモチロン、ご当地ビールから始まり、まろやかなワインを数本空け、締めは、シングル・モルトのスコッチ。それが、ごく当たり前に出てくるんです。別に、ゲストが、お酒飲めるかどーか、多分、関係なく。そんな時、アイス・ボックスは、ステルトンだったり、ワインのシール・カッターはジョージ・ジャンセンだったりと、それらのアイテムは、まるで毎日の岡村邸の日常の「しぐさ」のように普通っぽいんです。
知人の紹介でお世話になったお宅は、建物がなんと、あのアルネ・ヤコブセンの設計。
現在、三代目になる住人は、デンマークに来て35年、現在、椅子や家具のデザイナーと
して活躍されている岡村孝さんご一家。
敷地1000平米、建物だけでも300平米という広さに包まれたその家は、コペンハーゲン空港からほど近い閑静な住宅地にありました。
夕方に着いた僕らを迎えてくれたのは、孝さんの笑顔と、このゲストハウス主宰でもある奥様、恭子さんの、お手製のデンマーク料理。長女の彩さんもキュートな笑顔で出迎えてくれて、「では、お食事にしましょう」と案内していただいたダイニングには10人は座れそうなテーブル、椅子そして壁際のボード類はみんな孝さんのデザイン。高い天井からは低くセッティングされた2つのPH5から明るすぎない、優しい光で食卓を照らします。
そんな空間でいただいた手作り料理の数々、これがまた美味しいのなんのって…。
通常、買い付けの旅では、ろくな夕ご飯を食べない二人は、歓喜の涙。
ゆったりと夕食をいただいた後、上品な色あいのポット・チェア(!)が並ぶリビングに場所を移し、改めてじっくりとその広いリビングを見渡すと、ヤコブセンがこの家を設計時デザインしたブラケットランプや造り付けのソファ、マントルピース等々、電気のスイッチや細部にいたってもほぼ当時のオリジナルがなにげなく在るではありませんか。まぁ、ほんとになんて素晴らしく羨ましい空間でしょうか。興奮が覚めやりません。アドレナリンが出っぱなしの状態。
会話が進むにつれ、お酒の勢いも手伝って、一見シャイな孝さんがだんだんアグレッシヴに!「モノ売ってるだけじゃなく、オリジナリティを発揮しなきゃ!」みたいな、核心部分の話に及んだところで、僕はあえなくダウン。
12時間の飛行機の疲れのため、ベッドへと直行。「もちろん、organも“その道”目指してますけど…」と言いたかったけど…。
翌日は、早速早朝から買い付け開始。成果は、ぼちぼち。
閉店時間が、異常に早い(5時に閉まる店なんてざら)ため、7時くらいには、岡村邸に戻ると、恭子さんの「お帰りなさい!」の一声で、「ここは一体どこ?状態・・・」(うれしいよね)。なんとなく、ゲットモノの中からコーア・クリントのサファリ・チェアを出すと、「へー、イイじゃない」と、昨夜のキビシかった孝さんとは思えぬ、暖かいお言葉。調子に乗って、あれこれ出すと、「このガラス、だれ?」と、僕らの買い付けに、興味を持ってくれる。
そうこうするうちに、「これ、B&Oの60年代のテレビなんだけど・・」と、地下の倉庫から出てくる、出てくるお宝の数々。ナアーンだ、孝さん、持ってるじゃないスカ。
翌々日、コペンハーゲンの町中にある、孝さんの仕事場へお伺いしました。そこは、いわゆる『骨董通り』と呼ばれる、僕らが買い付けのためにウロウロするヴィンテージ・メッカ界隈にありました。
古いビルの中庭を通り抜けた2階にある広いオフィス・スペースには、もうすぐ日本で発売になる木馬(これは、要注目!)を始め、彼のこれまでの作品の数々が、実に居心地良さそうにたたずんでいていました。
そこは、普通想像する「オフィス」だとか「ショールーム」的な固い感じもなく、でも静かにピンとはった、綺麗な空気が流れている仕事場として理想の空間。
孝さんとともに仕事をしている、デンマーク人パートナーのエリックさんも、孝さんといっしょに、丁寧にいろんな事を説明ながら各部屋を案内してくださって(1フロア全てがおふたりのオフィス・スペースなので、本当に広い!そして奥に行けば行くほど濃密度が高かった…)、仕事中にもかかわらず、珍客にいたれりつくせり。僕らといえば、いろんな話をする中で、しっかり刺激と豆知識を仕入れ、ご満悦。本当にありがとうございました。
一室には、60年代後半、孝さんが遙かシベリア鉄道を経てやってきたこの国で、最初に師事した家具の先生が使っていた木工用の手製の道具箱が、大切に残されていました。
職人魂です。
その後あれよあれよという間に、つごう4泊5日の滞在を終え、僕らは、次なる目的地ヘルシンキへと向かうことになりました。出発の日、買い付けた商品を、いつもは、自力かタクシーでエンヤコラサッと運ぶのに、孝さんが、エリックさんと一緒に郵便局まで自家用車で運んでいただいたり、飛行機までの時間を、オランダ人が入植した古い集落へつれていってくれたりと、この国の歴史をちょっと探訪。
そして、別れの時。それはもう、まるでアノ『ウルルン滞在記』的興奮状態。
異国に暮らす彼らから、今や失われつつある「日本人の心情」を、タップリいただいた気分でした。ヤバイっす、これって。
バルチック海は、まだ冬でした。
April 30th, 2003